【完結】囚われ姫の二世界生活 今度は姫のターンです! ~氷雪の騎士と政略結婚~

サカエ

1・ルクレツィア姫とセレスティーヌ姫


「は? 婚約? 俺がルクレツィア姫と?」


 ジルベルトは素っ頓狂な声を上げた。

 すぐに我に返って自分の口を押さえる。ここは王城の庭園である。魔王討伐成功を祝う舞踏会の真っ只中で、広間にも庭園にも大勢の招待客がいる。客のほとんどが貴族だ。


「うん。父上が、ルクレツィアの婿は救国の勇者ジルベルト以外にいないって」


 にこにことそう告げるのは王太子オズヴァルドだ。

 平民のジルベルトがおいそれと口をきいていい人物ではないのだが、共に魔王と戦った仲間である。身分による分け隔てのない気のいい王子で、魔王討伐の長旅の間にすっかり背中を預け合う戦友になっていた。


「俺平民ですけど」

「いや勇者。倒しただろ、魔王」

「いや倒しましたけど平民ですし」

「なればいいだろ貴族」

「なればいいって。そんな簡単に」

「受ければいいだろ叙爵。俺の父上って王様よ? 簡単簡単」

「陛下がおっしゃったのですか? その、俺をルクレツィア姫の婿にって……」

「最初にそう言ったよ」


 旅の間にすっかりしゃべり方が庶民化してしまった王太子がにこやかに言う。話しやすくていいのだが、王都に戻ってきたからにはもうちょっと王族らしくしないとまずいのではなかろうか。


「で、でも、こういうことは姫のお気持ちが第一……」

「ルクレツィアっていつも首からこう、ペンダント下げてるだろ? あれって開けると中に小さい肖像画が入ってるんだけど、誰の肖像画だと思う~?」

「亡き王妃の――」

「ジルはバカなの? この流れでどうして母上なのさ。君の肖像画に決まってるだろ。ルクレツィアが自分で描いたんだぜ。妹は手先が器用で絵も上手いから――どうした?」


 ジルベルトは真っ赤になってその場にくたりとへたりこんでしまった。

 なんということだ。信じられない。

 姫が。あの誇り高く美しいルクレツィア姫が、自分ごときの肖像画をその胸に下げているだなんて!


 王女ルクレツィアは偉大な聖女でもあり、瘴気が強くて近寄れなかった魔王城周辺を浄化して魔王討伐に貢献してくれた仲間だ。しかしコロッと討伐隊の庶民感覚に馴染んだ王太子と違って、王女の気高さを決して失わなかった。

 王族として聖女として、民のために死力を尽くすルクレツィア。瘴気に満ちた地から穢れを祓い、生命の芽吹きを蘇らせるルクレツィア。その姿に胸打たれたジルベルトは、ルクレツィアを心から尊敬していた。その気持ちを恋心などという俗なものにしてはならぬと心に誓っていた。魔王を滅し城へ帰還したら騎士の称号を与えられるだろう、そうしたら生涯姫に騎士の忠誠を捧げようと決めていた。


 それを、いきなり、婿だなんて。

 騎士をすっとばして貴族になって婿だなんて。

 つまりその、ルクレツィア姫と結婚だなんて――。


「おいどうした勇者」


 王太子も一緒にしゃがみこんで、横からジルベルトを突っつく。


「……心の準備ができない」

「心の準備が間に合わないところ何だけど、ルクレツィアがこっちに向かってきてる」

「ええっ!」

「ってことで、後は二人でごゆっくり~」

「待っ……」


 ジルベルトが伸ばした手をするりとかわし、王太子オズヴァルドはテラスを通って大広間に消えた。

 敬愛するルクレツィア姫がここへ来る。みっともないところは見せたくない。地面にへたりこんでなどいられない。ジルベルトは覚悟を決め、しゃきっと立ち上がった。




 今宵のルクレツィアは夜会用の優雅なドレス姿だ。

 旅の間、動きやすい男物の旅装束でも、姫の気高く清らかな美しさは匂い立つばかりだったのに。光沢のあるなめらかな生地のドレスに美貌が引き立つ薄化粧。その姿は女神の降臨と見紛うばかりだった。


「どうしました、ジルベルト。ぽかんとして」


 月明りに艶めく豊かな金の髪をふわりと揺らし、ルクレツィアが可笑しそうに言う。

 二人は庭園のベンチに座った。吊るされたランタンの明かりが、ルクレツィアの典雅な美貌に神秘的な影を落としている。


「姫様があまりにもお美しくて。まるで女神様かと」


 ジルベルトは思ったことをそのまま口にした。素直な性格なのだ。素朴な村育ちゆえ、宮廷の貴公子たちのような詩的な言い回しも心得ていない。


「……どんな殿方に褒められるより、あなたに褒められるのが一番うれしい」


 ルクレツィアはそう言うと、恥じらうようにうつむいた。

 ジルベルトはちらりと姫の開いた胸元に目をやった。やましい気持ちなど持つ余裕はない。ペンダントを確認するためだ。

 ルクレツィアは、旅の間もつけていたペンダントを真珠の首飾りに重ねてつけていた。


「姫様、そのペンダント……」

「これ? 夜会用のドレスには合わないかしら。でも、つけていたいの。いつでもどこでも、ずっとつけていたいの」

「中にあるのは王妃様の肖像画……ですよね?」


 オズヴァルドの言ったことが信じられないジルベルトは、姫に問わずにはいられなかった。――ありえないだろう、自分の絵姿だなんて。


「どうかしら。ご覧になる?」


 ご覧になる?と言いながらルクレツィアが顔を上げる。頬が上気し、薄紫の瞳がうるんでいる。こんな色っぽい表情の彼女を今まで見たことがない。


「はい」


 ジルベルトの返答に、ルクレツィアがかすかに震える手でロケットペンダントの蓋を開けた。




「ほよわあああぁあああぁあ!」


 夜会から宿舎に戻ったジルベルトは、奇声を発しながら自室のベッドに倒れ込んだ。

 本当にルクレツィアのペンダントには、彼女の手によるジルベルトの肖像画が入っていたのだ。燃えるような赤毛の青年。キリッとして、実物より三割増しくらいかっこいい気がしたが。


(それでも俺。どう見ても俺だった)


 こんな事実、奇声を発せずにいられようか?


「姫様って俺のことが好き? なの? マジ?」


 王族として、偉大な聖女として、敬っていたルクレツィア姫が急に「女」に見えてきた。

 ペンダントの中を見たとき内心めちゃくちゃ昂ったジルベルトだったが、切り替えは早かった。オズヴァルドが見ていたら「何が心の準備ができない、だ」と呆れられそうだが、あわやキス……という流れに冷静に対処し、ジルベルトは人差し指をルクレツィアの唇にそっとのせた。そして「続きは、俺が姫様にふさわしい身分を得てからです。あなたを不幸にしたくない」と言ったのだ。

 本当にそう思ったからそう言ったまでだが、ジルベルトの指を唇にのせたルクレツィアは、キスするより甘い表情になった。そして震える指先をジルベルトの唇に伸ばし、そっと触れた。

 見つめ合い、お互いの人差し指でお互いの唇に触れる――。キス以前のキスだ。キスの誓い。キスの約束。なんて、なんて清らかで甘い――――


(ふぎょあああぁあああぁあ!)


 ルクレツィア姫は俺のことが好き!

 俺のキスを待ってる!

 俺たち両想い!

 結婚? するする! 絶対する! 何があってもする!


 姫への想いを恋心などという俗なものにしてはならぬとした誓いなど一瞬でどこかへ消えた。騎士として生涯姫に忠誠を捧げようという決心は、夫として生涯姫を守り抜こうという決心に見事に切り替わった。


(あーーーー魔王討伐してよかった。絶対死ぬと何度も思ったけど勝ったし死ななかったし、俺頑張った。死ぬほど頑張ったから、神様がご褒美くれた)


 勇者という、滅多にないやっかいな運命を授けてくれやがった神様だけど、そんなことはもうどうでもよかった。


(ありがとう神様! 俺ルクレツィア姫としあわせになるよ!)


 ジルベルトはこれ以上なく幸福な気持ちで眠りについた。



     *****



 目覚めたら、冬だった。

 窓ガラスは曇り、窓の桟に雪が積もっている。ときおり寒風が薄いガラスをガタガタ揺らしていく。

 舞踏会が行われたのは気候のいい初夏の夕べだった。突然季節が反転したわけだ。  

 しかし『ジルベルト』は慌てなかった。

 うろたえもせず、ただ恨みがましい目で雪粒の当たる窓を見る。夜は明けているが、こちらの国の冬は一日中薄暗い。

 もそもそと粗末な上掛けをのけてベッドから出る。むきだしの石床は氷のように冷たく、床についた足を反射的に引っ込めた。


(木靴があったはずだ)


 ベッド下にもぐりこんでいたひび割れた木靴を履き、毛玉だらけのショールを羽織る。


(なんでこのタイミングでこっちに来ちゃうんだよ……)


 これからルクレツィア姫と大いに青春を盛り上げていくところだったのに。魔族との殺伐とした闘いの日々は終わり、愛する姫のいるキラキラした夏が目前だったのに。


 ――おあずけを食らった。


(神のやつめ……)


 グギギと歯を鳴らして拳を握る。白くか細く弱々しい拳だ。勇者『ジルベルト』のたくましい拳なら神も叩きのめせるかもしれないが、この華奢な手は虫すら潰しそうにない。


「まいったなあ~……」


 思わず口をつく独り言の声も、高くか細く、そしてちょっと愛らしい……。

 『ジルベルト』が肩を落としていると、コンコンとノックの音がした。


「……マーサ?」


 主観的には半年ぶりに、小間使いの名を呼ぶ。廃屋同然のこの館でともに暮らすのは長年仕えてくれているマーサだけだ。

 マーサは「失礼します」と言いながら扉を開け、いつものように『ジルベルト』に声を掛けた。



「おはようございます。お起きになられますか? ――セレスティーヌ姫様」




 勇者ジルベルトには生まれる前の記憶があった。

 ジルベルトとして生まれ変わる前に、神様と交わした会話の記憶。

 愛らしい少年の姿をした神様は、雲の中のような真っ白い空間で、ジルベルトになる前の魂にこう言った。


「君って稀に見る強い魂だからさぁ~、身体二つ受け持ってみない? 世界の違う二つの体を行ったり来たり、きっと楽しいと思うよぉ~?」


 それは提案の形をした決定事項だった。

 かくして村人ジルベルトは、異世界の王女セレスティーヌとしても生きることになった。


 十歳までのジルベルトは、レドニア国の小さな村で農夫の息子として暮らしていた。

 十歳までのセレスティーヌは、トゥールイユ国の王城で末の王女として暮らしていた。


 数週間から数ヶ月ごとに生きる世界が入れ替わったが、生まれてからずっとそうなので慣れていた。人に言っても「夢を見たんだね」と言われるだけなので、とくに隠しも言いふらしもしなかった。ちょっと変わった農夫の子、ちょっと変わったお姫様として、のびのびと生活していた。留守にしているほうの世界の時間は流れなかったから、身体と世界が二つあることに困難はなかった。人の倍の経験を積めるので、ジルベルトもセレスティーヌも大層利発な子供だった。


 ジルベルト十歳のとき、肩に「勇者の徴」と呼ばれる痣が現れた。勇者の徴を持つ者は、魔族にダメージを与えることができる。普通の人間なら幻を斬るように手応えのない魔族への攻撃だが、勇者の徴を持つ者なら肉を断てる。ジルベルトは王命で王都に呼ばれ、魔物討伐隊に入って訓練を受けることとなった。ジルベルトは日に日に強くなり、十代半ばには魔王を倒せるのは王太子オズヴァルドか炎の勇者ジルベルトだけと言われるようになった。そして十八歳になった年、王太子と共に、レドニア国の宿痾と呼ばれる魔王を倒すことに成功した。


 セレスティーヌ十歳のとき、トゥールイユ国でクーデターが起こった。王と正妃と側妃、そして王子たちは全員処刑されたが、他国へ嫁いでいた長子の王女と、まだ十歳の末子の王女は処刑を免れた。末の王女は前王家の血筋を悪用されないよう、王都から遠く離れた北の地に幽閉されることとなった。それ以来ずっと、十八歳の今日まで幽閉されたままだ。


 ジルベルトとしてもセレスティーヌとしても、滅多にない数奇な運命を担わされているわけだが、人生が二つあること以上に数奇なことなどない。本当に、神様はやっかいな運命を押しつけてきたものだ――。

 今さらながら『ジルベルト』は、いや『セレスティーヌ』は、深くため息をついた。


(はやくあっちの世界に戻ってルクレツィア姫に会いたいよ……)


 恋する魂が願うことは、愛しい人のそばにいること、今はただそれだけなのだった。

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