15. ある教授の日誌_2006年11月4日
今日は神社や例祭の準備となる儀式を見学させてもらった。
興味深い事柄ばかりだった。
分析には時間がかかるだろう。
まずは今日いちにちの印象を仔細漏らさず記録する。
まずは津奈比売神社の造りについて。
津奈比売神社には本殿が存在しない。拝殿の社のみが境内に設置されている。拝殿は山陰地方の出雲大社とおなじ、大社造りを踏襲している。
神社の御神体はどこにあるのか。
豊田氏に案内され、拝殿の奥へと向かった。
拝殿の奥には、境内をさらに区切るように垣根と門が設けられていた。門をくぐると、森を縫うように小道が敷かれている。
石で作られた路面をたどりながら、歩いていくと、突然開けた場所に出た。
広い池があった。池のほとりには鳥居が建てられている。
池の中心には浮島があり、巨大な岩が屹立している。
岩にはわらでできた縄が岩を締め付けるように何重にもぐるぐると巻かれている。しかも端っこは頭のような形をしていた。注連縄にしては特異である。まるで蛇のようだ。
池の名前は「つなら池」だという。
このつなら池が津奈比売神社の御神体でもあった。
岩を巻く縄は「藁ツナ」と呼ばれ、ツナラ様の姿を模しているらしい。
豊田氏から詳しく話を伺う。
「社伝によれば、津奈比売神社の建立は1000年以上前に遡るそうです。この池をツナラ様に見立て、人々は豊穣を祈願したと。池への信仰が先にあり、建てられたのがこの津奈比売神社なんです」
ではツナラ様、つまり津奈来命とはどんな神なのか。
島にはこんな逸話が伝わっている。
ある時、津奈島の内湾に1匹の巨大なウナギが漂着した。ウナギは自らを津奈来之命と名乗り、助けを求めた。
すると1人の娘がウナギの境遇に同情し、ウナギを助けようと島民たちを説得する。島民たちは手分けして、ウナギをこの池まで運びこんだ。ウナギは清い池の水により安らぎを得たが、傷はいえず、そのまま命を落としたという。
するとウナギの死体から、様々な食物が生え、決して島の人間たちは植えることがなくなった。
こうして津奈来之命に対する信仰が始まり、ウナギを助けるよう懇願した娘の家が代々神社を守るようになった。これが豊田家の興りであるらしい。
そして島の人間はウナギを「ツナラ」と呼び、決してウナギを食べないようにしているのも、ウナギの恩を忘れないためなのだという。
津奈来命は豊穣を司る神であるらしい。
また津奈来命の説話は殺された神の死体から作物が生まれたという世界各地にみられるハイヌウェレ型神話の構造を有している。
しかし話を伺っていて、いくつか疑問が生じた。
津奈来命に関する疑問は後ほど改めてまとめる。
有賀氏から説明を聞いているあいだ、邸宅からは太鼓の拍子が響いていた。境内を案内してくれた有賀氏によれば、千尋さんが神楽の練習をしているらしい。
練習の様子もぜひ見学したかったが、神楽の練習姿は外部に公開できないしきたりらしく許可が下りなかった。
午後には白布の浄衣を着た豊田氏、千尋さんと珠代ちゃんと共に、麓にある村役場へと向かう。例祭にあたって準備となる儀礼を行うらしい。
「明日の神事に用いる神饌のお清めです。村役場の隣に、津奈比売神社の分社になっている広場があるのですよ」
「わざわざ分社まで降りるのですか?」
「山まで運ぶには手間がかかりますからね。御覧いただければわかりますよ」
豊田氏は云った。
村役場に着く。隣接した広場に人だかりができている。人々の視線の先には巨大な生き物がいた。
褐毛の牛である。肉牛だろう。頭につけられた頭絡に牽引されて、おとなしくしている牛の前には香炉が置かれていた。
私と千尋さん、珠代ちゃんも見学者たちの席に座る。
やがて清めの儀式が始まった。
豊田氏は大麻を振りながら、穢れを祓う祈りであるところの大祓詞を唱え続ける。人々は神妙な面持ちで儀礼を見守っていた。
千尋さんも珠代ちゃんも、父親の仕事をじっと見つめている。牛だけが人間の行いの意味を理解せず、呑気に耳を揺らしていた。
やがて大祓詞を唱え終えた豊田氏が大きくお辞儀をすると、周囲の緊張が一気に解ける。牛はすぐ村の人間に引っ張られ、どこかへ行ってしまった。珠代ちゃんは牛に向かって「ばいばい」と手を振る。
儀式が終わったあと、有賀氏をつかまえて訊ねる。
「ええ、そうです。あの牛は明日、津奈来之命に捧げる神饌です。このあと屠畜される予定です。昔は島でも放牧していたらしいんですけど、世話をする人がいなくなってしまって。今はこうして、牛を本土から外から買い入れるようになったんです」
牛の肉は例祭が終わったのち、島民も直会の席で食べるのが習わしとなっているらしい。神饌はつなら池に捧げるのかと訊ねたが、有賀氏は否定した。
「綿土湾の端にある岬に“つならの岩屋”と呼ばれる洞窟があるんですよ。岩屋に神饌を捧げるのが毎年の恒例なんです」
豊田氏と有賀氏は明日の例祭の段取りについて、改めて村の顔役たちと話をするため、役場に引っ込んでしまう。
手持ち無沙汰になった私に、千尋さんは島の案内を買って出てくれた。珠代ちゃんも姉と一緒にいることを選んだ。
「もうお昼ですね、先生。お腹すいてませんか? お勧めがあるのですが」
正直、お腹はすいていなかったので、あまりに千尋さんが真剣な眼差しをしているので、お勧めを案内してもらった。
千尋さんたちが入ったのは、島にある定食屋「つなっこ」だった。
厨房がコの字のカウンターに囲まれており、他は四人掛けのテーブルが四卓ほど。さらに食堂の奥には和室の座敷が備え付けられている。
島の人間たちの憩いの場となっており、朝の漁を終えたらしい常連の漁師たちが酒を飲み交わしていた。
「あ、先生! ヒメコ様と一緒でしたか!」
カウンターにいたのは、行きのフェリーで一緒になった宮川氏だった。
宮川氏はぺこぺこと頭を低くしながら、我々をカウンターに案内する。
珠代ちゃんはカウンターの席に座り、厨房の様子を真剣に見守っている。そんな珠代ちゃんの頭を千尋さんは優しくなでながら、何品かを注文した。
「ここ、とっても美味しいんですよ? 私もよく友人と来ることが多いのですが」
「放課後に集まったり?」
「はい。マックやサイゼみたいなものです」
マックもサイゼも私は全然好きではないのだが、なぜか千尋さんは誇らしそうな顔をしている。この年頃だと憧れがあるのかもしれない。
大人びて見えていた少女の年齢相応に世俗的なところを発見し、少しだけ安堵する。
こちらが質問すると、千尋さんは島での遊びや生活を話してくれた。
「山で遊ぶことが多いですね。龍転崖から海を眺めたり、みんなと沢で釣りをしたり、虫取りしたり。村役場の公民館に64もあります。スマブラ強いです」
鼻を膨らませて答える千尋さんを微笑ましく思う。
ちょうどそこへ宮川氏が昼食を持ってきてくれた。
海苔の佃煮と、カメノテの吸い物、イカの漬け丼が運ばれてくる。どれも島で獲れた海産物の調理だという。
「津奈島名物なんです。いまの季節のイカは最高です。先生も召し上がってください」
千尋さんはそう云って、ご飯を食べる。
一方、隣の珠代ちゃんの御膳には豚肉の煮つけなどが盛り付けられていた。珠代ちゃんは昔から魚が食べられないらしく、満足そうにお肉を食べている。
海の味に舌鼓を打ちながら料理を完食。すると千尋さんが心配そうにこちらを伺っていた。私の舌に合ったのか不安なのだろう。
美味しかったよ、と伝えると、千尋さんの涼やかな口元が嬉しそうに緩んだ。
宮川氏はかつて有名な料亭に務めていたらしく、時折釣った魚を神社に奉納し、自ら捌くこともあるらしい。
「特に刺身には自信があるんですよ」
と宮川氏は笑いながら云っていた。
そんな宮川氏に明日の祭りのことを尋ねる。
「祭りは昔から獣肉をささげていたのでしょうか?」
「ああ、昔からそうだったんじゃないかな。私が生まれるちょっと前までは境内で牛を飼っててね、それを捧げてたらしいよ」
「牛の飼育をやめたのはなぜでしょう?」
「まぁ、当時は戦争があったしね。島の若いのも戦地に行ったらしいし、大変だったんじゃない? だから牛を根こそぎ捧げて」
宮川氏がそこまで云うと「宮さん」と客席にいた漁師が制するように云う。宮川氏はごまかすように笑った。
「ヒメコ様、珠代様。本日はありがとうございました。またお越しください」
「はい。いつもありがとうございます」
千尋はお辞儀をすると、珠代ちゃんを連れて店へ出る。
私たちは腹ごなしを兼ねて、海岸沿いを散歩する。
道沿いには海の侵入を防ぐ、堤防が設けられている。堤防の天端に登り、海を望みながら歩き続けた。珠代ちゃんはなにかの歌を元気よく唄っている。最近、はまっているアニメの曲らしい。
妹の元気な姿を、千尋さんは優しいまなざしで見つめる。
「君たちは仲がよい姉妹だね」
見たままの感想を伝えると、千尋さんは寂しそうに首を振った。
「母が去年亡くなったから、代わりに私に甘えてるのだと思います。お母さんみたいにできればいいんだけど、全然で」
「千尋さんが母親の代わりになる必要なんてないだろ?」
「でも、みんながそれを望んでいますから」
迷いなく千尋さんは答えた。
お母さんみたいにできればいいんだけど、全然で。
その言葉に込められた意味を私は遅れて理解する。珠代ちゃんの母親代わりということだけではない。ヒメコに対する想いも込められている。
千尋さんはヒメコの役割をなんの疑いも持たず受け入れている。彼女たちの亡くなった母親、早苗さんも、彼女の祖母も、代々ヒメコという役割を引き継いできた。
ヒメコとはなんなのだろう。まだ年端もいかない少女に、島の人間たちはなにを背負わせようとしているのだろう。
「千尋さんにとって、ヒメコってなんなんだい?」
私の質問に、千尋さんは目を少しだけ見開いた。困惑したように眉を顰める。
「果たさないといけない、大事なお勤めです。お母さんや祖母たちがそうしていたように、私はお勤めを果たさないといけません」
「お勤めって?」
「……ごめんなさい。それをお話することはできません」
千尋さんは頭を振りながら、唇を固くかみしめる。
「でも大事なことなんです。そのために私は生まれてきたのですから」
あまりに無遠慮な質問だったといまさらになって気づいた。たとえ外部の人間からは不合理に見えようと、共同体には共同体のルールがある。
私ができるのは共同体のルールの理解であって、是非を問うことではないのだ。
「……外の人から見たら、やっぱりこの島はおかしいのでしょうか?」
恐る恐る千尋さんは心配するように切り出した。
私はすぐに答えられなかった。
フィールドワークにおいてもっとも気を遣わなければならないのは、外部の人間が研究対象である共同体に影響を及ぼしてしまうリスクである。私の返答次第では、千尋さんとの信頼関係も損なわれてしまう。
「文化に異常も正常もない。自分がどの文化に所属するかで正常の基準も変わる。島の文化は興味深くはあるよ。私から云えるのはここまでだ」
「そう、ですか」
相変わらず感情の乏しい表情で答えた。しかし千尋さんが聞きたいのは、そんなことじゃないのはわかっていた。
私は続けた。
「もしも外から見た島の位置づけが気になるなら、東京へ出てみたらどうだい?」
「私が、東京に?」
思いもよらないという表情で、千尋さんは目を見開いた。おそらくいままで考えたことすらなかったのだろう。
「島の外に出ることで見えるものもあるはずだ。もちろん、そのあとで島に戻ってもいい。東京から見た私にしかわからない島の姿があるように、島で育った君にしか見えない世界の姿がきっとある。そういう視点はこれからの時代、大きな武器になる」
「大きな、武器」
千尋さんは噛み締めるように、私の言葉を繰り返す。
余計なことを云っただろうか。しかし、たとえお節介であろうと口に出さずにはいられなかった。この聡明な少女の幸多い未来を祈念せずにいられなかった。
「わたしも、トーキョーいく!」
突然、珠代ちゃんが云った。
私たちの話を聞いていたらしい。珠代ちゃんはそのまま千尋さんの腰に抱き着く。
「チーちゃんもいっしょにいこ! トーキョーいけば、ディズニーランドいけるよ!」
「そうだね。ディズニーランド、行ってみたいね」
千尋さんは珠代ちゃんの頭を愛おしそうに撫でる。
夕日に染まる内湾と、山々のあいだに立つ姉妹の姿を、私はこの先も忘れないだろうと思った。
気がつくと千尋さんとの話ばかり書いている。
一旦、ここで改めてツナラ信仰についてとりまとめたい。
夕餉のあと、豊田氏とツナラ信仰について思うところを話した。忘れないうちに、豊田氏とのやりとりを記録する。
私が抱いた疑問は次のとおりである。
すなわち、津奈来命とは山神なのか。海神なのか。
島の伝承によれば、津奈来命の住処とされる場所は二つある。
岬にある洞窟“つならの岩屋”と、神社の境内にある“つなら池”である。それぞれ海と山にわかれている。
信仰の主体はどちらなのか。
「岩屋も、池も、どちらもツナラ様の住まう場所であると我々は考えていますね」
豊田氏は云った。
「神社では池をご神体として祀っていますが、例祭ではむしろ海にある岩屋を中心に祭祀が執り行われます。海か山かという区別がそもそもないのです」
「しかし神社の伝承によれば、岩屋のことは特に語られていないですよね。あの岩屋にはどのような逸話があるのでしょうか」
「それがないのですよ」
「ない?」
豊田氏は頷いた。夜の風が外で吹きすさぶ音が聞こえた。
「社伝による記録がないのです。ただ、口承でずっと伝えられています。あの岩屋に近づいてはならない。ツナラ様に祟られると」
途端に肌寒いものを感じた。豊田氏の語りのせいなのか。静謐な夜が否応なしに島の地方神を実感させるからなのか。
「津奈来命は豊穣を司る神だとお聞きしています。しかしそうではなく、災厄も司っているということなのでしょうか?」
「さぁ、正確なところはなんとも。ただ、いわゆる荒魂、和魂の関係に近いのではと私どもでは考えていました。同一の神であろうとも、慈愛の心と荒ぶる心が同居しているもの。それらがツナラ様においては、海と山に分かれたのではないかと」
荒魂、和魂は神道の概念であり、神が持つ2つの側面を表す。
神社によってはわざわざ祭神の荒魂を祭る宮を設けているところもあるほどだ。
「なので例祭では毎年、ツナラ様の荒ぶる魂を鎮めるために牛をささげているのです。ツナラ様を慰撫し、来年の豊穣を祝う。これが毎年の例祭の習わしなのです」
一見、豊田氏の言葉は理屈に合っているように思われる。
しかし私はすぐに納得できない。
「だとしても、どうして捧げるものが牛なのでしょう? この島と牛はなんの関係もないように思うのですが」
「そうですね。もともと牛ではなかったと聞いています。牛はあくまで代わりなのです」
「代わり? なんの代わりなのです?」
「それは――」
答えようとした豊田氏は急に思い立ったように言葉を切った。
「ここでお答えするより明日の催事を直接ご覧になられたほうがよろしいでしょう。結城先生のご意見をぜひお伺いしたい」
結局、言い含められてしまったため、それ以上聞くことはできなかった。
また明日、祭事を見たあとで改めて聞くしかなさそうだ。
しかし、こうして日誌にまとめていると、その時は浮かばなかった疑問が次々とわきあがってくる。
豊田氏は津奈来命に山神や海神の区別などないと話していた。
だが、やはり改めて振り返ってみると、津奈来命は海神としての性質が強いように思う。
それは島民たちが抱く、海への強い畏れだ。
千尋さんは島での遊びについてこう答えていた。
――山で遊ぶことが多いですね。龍転崖から海を眺めたり、みんなと沢で釣りをしたり、虫取りしたり。
彼らは海の遊びに一切言及していなかった。
実際、今日は休日でよく晴れていたにも関わらず、海で遊んでいる子供をまったく見かけなかった。
考えすぎなのだろうか。
いずれにしろ明日の祭祀を目撃すれば、疑問が解消するかもしれない。
今日のところはここまでにして床に就くことにする。
追記
寝付けなかったので、ふたたび日誌を記す。
また赤ん坊の泣き声も聞こえる。いつもこの時間になると、夜泣きをするようだ。親御さんの苦労が偲ばれる。
そんなことを考えながら、ぼんやりしているうちに気づいた。
鳥だ。
山では野鳥の姿を見かけるのに、海ではまったく鳥の姿を見かけなかった。これほど豊かな漁場が目の前にあるのだから、海鳥が群生してもおかしくはないのに。
この島は海によって生かされている。だからこそ、海に畏れを抱く。それらの畏れが津奈来命という信仰に結実したのは理解できる。
だが、鳥がいないのはなぜだ。
当たり前だが、鳥に信仰心はない。
人間の文化など鳥が解しているはずもない。なら、どうしていないのか。
鳥たちはなにを恐れているのだろう。
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