第26話 温泉
メイヴィスの部屋は、王宮の自室とあまり変わらない広さであった。家具の配置も似ている。リラックスできるようにとのことらしい。その部屋で少し休養を取ると、いつのまにか夕方になっていた。
それまで一度も本を開いていないことに気がついたメイヴィスは、カレンの不在を確認してそこでようやくページをめくる。
「よお。いつ開けてくれんのかと思ったぜ」
伸びをしながらコーディが現れた。
「ごめんなさい。せっかく来たのにつまらなかったわね」
この旅行を楽しみにしていたなら申し訳ない、とメイヴィスは謝ったが、コーディは怒ってはいないようだった。
「いいさ、別に。食事とって眠ってただけだろう?」
「ええ、まあ」
眠っていただけでじきに夕食だ。また全員と顔を合わせなければならないと思うと憂鬱で仕方ない。
(嫌いってわけではないのだけど……自分のことがもっと嫌いになる)
「元気ないな。温泉にでも行ってきたらどうだ?」
「でも、たぶんそろそろ夕食なのよ」
コーディの提案は魅力的だが、決まった時間に姿を現さないと後が面倒だ。
「侯爵令嬢様」
外からカレンの声が聞こえ、メイヴィスは慌てて本を閉じる。フギャッと悲鳴が聞こえたが、構ってやれない。
返事をすると、カレンが入ってきた。
「お休みのところ失礼します。予定の変更がありましたのでお伝えに参りました」
「何かあったの?」
「いえ。離宮での食事は四人全員で、とのことでしたが、突然王太子殿下が個人でとるようにと命じられたのです」
メイヴィスは眉をひそめた。
「急な仕事でもできたのかしらね」
「おかげで好きなタイミングでお食事のご用意ができます。侯爵令嬢様、お夕食はいかがなさいますか」
カレンの言う通り、食事予定の変更はメイヴィスにとって好都合であった。
「食事はいいわ。それよりも私、温泉に行きたいの」
メイヴィスが予定を告げると、カレンの顔が曇った。
「……申し訳ありません。実は、私は王太子殿下に呼ばれておりまして、今から向かわなければいけないのです」
「ああ、だったら一人で行くわ。大丈夫よ」
手をひらひらと振ると、カレンは突然叫んだ。
「なりません! 私は侯爵令嬢様のお側にいるよう言われておりますのに」
少し前までほったらかしにされていた気がするが、今はどうでもいい。
「でも当の本人が呼び出していたら意味ないわよね」
本来、メイヴィスの侍女はもっと多いはずであった。それを断ったのは他でもないメイヴィスだ。それゆえに、サイラスが何を言おうとその責任は負わなければならない。
「……少しだけお待ちいただけませんか。すぐに済ませて参ります」
「用事もわからないのに待てないわ。大丈夫よ、すぐに戻ってくる」
頭を抱えてしまったカレンには悪いが、メイヴィスは今であれば人がいないという確信があった。食事を摂るタイミングは、個人に任されたとはいえ大抵は普段と同じなのである。であれば、湯浴みは食後に済ませるはずだ。しかし今回はいつもとは状況が違う。温泉の場所は外にあり、暗くなれば道中の視界も悪くなるので、きっと全員が明るいうちに済ませたに違いない。
「しかし……あの場所は警備がありません。そのようなところにお一人で行かせるわけには」
尚更都合の良い話だった。
「実は寝ている間に汗をかいてしまって、気持ち悪いの。ね、お願い」
意思を曲げるつもりはないことを理解したのか、カレンはため息をついた。
「……かしこまりました、そこまでおっしゃるのなら。でも、すぐに戻ってくださいね」
「ええ。いってらっしゃい」
カレンを見送り、メイヴィスは着替えを持って部屋を出た。
外はもう日が沈みかかっている。急ぎたかった。
♢♢♢♢♢
「あっ、コーディのこと忘れてた」
友人を思い出したのは、温泉に着いてからであった。離宮からは少し離れた外に建てられているが、屋根も壁もある。遠目から見れば湯気が立ったやや大きい小屋だ。
「どうせ入れないって言ってたし、まあいいか」
せっかくできた友人一人、メイヴィスは大切にすることができない。接し方も、よくわかっていない。
「怒ってるわよね、きっと」
見放されることには慣れている。寂しいが、相手の意思を曲げようとは思わない。悪いのは自分だ。
「……」
建物の扉を開ける前に、人がいないか聞き耳を立てる。水音はするが、それ以外は何もない。そっと扉を開けて中を確認するが、やはり人影はなかった。メイヴィスの思惑通りである。
ふうっと息を吐いて、中に入った。
玄関らしき場所で靴を脱ぎ、奥に進む。切れ込みの入っている吊り下がった布を避けると、脱衣所があった。
タオルは用意されており、メイヴィスは安心して浴場に入る。浴室は広く、少し落ち着かない。
掛け湯をし、タオルを濡らして体をきれいにしてから湯船に浸かった。
「っ、ふぅぅぅ……」
やや熱めの湯がじわじわとメイヴィスの体温を上げる。広い湯船の隅には温泉を供給するパイプがあり、そこから湯が落ちる音が響いていた。
「……」
ぼんやりと飾り気のない天井を見上げ、何分経っただろうか。五分も経っていないと思う。
そろそろあがろうと立ち上がった瞬間、立ちくらみで前が見えなくなった。
「う」
浴場の床に手をつき、視界が開けるのを待つ。
そして少し回復した頃、メイヴィスは壁に手をつきながら脱衣所に戻った。大きめのタオルを背中から被り、備え付けられた長椅子に腰掛ける。
(み、水は)
見渡すが、水はない。こういった時に一人は不便だと実感するが、かといって自分の周囲に人を増やしたいとはとても思えなかった。
「……」
ぱたん、と長椅子に横になる。動く気にもなれず、少し休もうとメイヴィスは裸のまま目を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます