第16話 提案
それから数日もすると、空気は一気に冷え込んで、くしゃみをする回数も増えた。
「期待通り、お前は寒さにも弱いのな」
また書庫の小部屋に篭る日々が続くメイヴィスは、コーディお手製の火鉢によってその寒さをしのいでいた。
「小さい頃は熱を出してずっと寝込んでたわ。今もたまに寝込むけど」
ベッドに居座るコーディには目もくれず、メイヴィスは返事をした。
「じゃあ、お前がここに来なくなったら寝込んでるってことだな」
「そうね」
オルティエ王国の冬は約3〜4ヶ月ほど。その間、春に向けて民は支度をする。王室は食べ物などの備蓄を確認し、不足している地域に配布するのが役目だ。
「本ばっかりで退屈しないか?」
「あなたこそ、退屈してるのはわかるけど、私はあなたを書庫の外に出すつもりはないわよ」
縛り付けて申し訳ない気持ちがないわけでもないが、何かやらかした時のことを考えると、とても怖くてコーディを自由にすることなどできない。
「別にお前が俺をここに縛るのは構わんよ。そうじゃなくてさ。お前、その様子だと自分の家とここ以外、どこにも行ったことないんだろ」
「そうだけど、それがどうかした?」
体が弱かったメイヴィスは生まれてからほとんどを実家で過ごした。旅行なども行ったことがない。ほとんどベッドの中で、調子の良い日に庭でマリアと遊んでいたくらいだ。
二人とも、外への憧れはあった。ほんの少し。ただ、両親はマリアの外出を禁止した。王妃になるかもしれない娘に何かあってはいけない、ということだ。メイヴィスは禁じられなかったが、一人で外に行く勇気はなかった。メイヴィスが外に行ったところで、誰も気にかけはしなかっただろうが、シャロンもいい顔をしなかったため、メイヴィスは何も言わなくなったのだ。
「今なら、行けるんじゃないか。どうせ誰もお前の行動を気にかけはしない。数時間姿を消したってきっと気づかないだろうよ」
コーディの提案に、メイヴィスはすっかり驚いた。その発想はなかった。言われてみれば、メイヴィスは誰にも縛られていないのだ。義務のように、王宮にいなければならないと勝手に思っていたが。
「それ、いいわね」
サイラスの言った騒ぎの基準は、おそらく他人を巻き込むかどうかだろう。毒騒動も怪我も、クリスタやルーナが関わってしまっている。だが、メイヴィス一人が少しだけ姿を消すことを、誰が騒ぐだろうか。現にカレンとて、メイヴィスが書庫にいると信じて疑っていない。
「惜しむべくは、もう冬ってことだな。今はまだ市場も賑わっているが、じきに終わる。春先にしたらどうだ?」
メイヴィスは少し考える。何のために外に行くのか。
「そうね……でも、行ってみたいわ。春先なんてまだまだ先じゃないの」
ニィ、とコーディが微笑む。
「俺は止めないぜ。お前がどうしてもって言うなら、侍女の服をどこからか拝借してくるし」
その笑みを見て、メイヴィスは少し引いた。
「あの……それはありがたいけど、流石に新品の持ってきてね?」
念を押すと、コーディは心外だとばかりに鼻を膨らませる。
「はあ!? 俺が私室に侵入して盗みを働くとでも!?」
「なら、いいんだけど」
憤慨した様子を見て、メイヴィスはほっと胸を撫で下ろした。コーディは大体俺はここから出られないんだから、とか何とかぶつぶつ言っている。
「侍女といえば。お前の侍女、まだ帰ってこないのか」
思い出したように、コーディが尋ねる。メイヴィスはまた視線を逸らした。
「……そうね。新しい侍女に聞いてみたけれど、無事の一点張り。信じていいのやら」
あれからしばらく経つが、何の進展もない。冬も近い季節に、凍えていないか心配でたまらないのだが、メイヴィスのささやかな願いは届きそうになかった。
「ちょいと時間はかかるが、探すことはできるぜ」
「何が欲しいの?」
即食いつくメイヴィスに、コーディは苦笑する。
「単なる暇つぶしで提案しただけだが……お前が納得できないってんなら何かもらおうかねえ」
この世にタダより高いものはないという。欲しいものがあれば、それ相応の対価を払わなければならない。メイヴィスはそれを心得ていた。
「私にできることなら、なんでも」
「あんまりそういうこと言うもんじゃないぜ」
心意気だけは評価するけどな、とコーディは続けた。
「それで? 欲しいものは何?」
「考えとく。ツケってことで」
サラリと答えたコーディに、メイヴィスは拍子抜けした。てっきり自由になりたいと言われると思ったのだ。
「……わかったわ。シャロンのこと、よろしく」
自由になりたい。それだけは頼んでくれるな、と言いたかったが、メイヴィスは自分がコーディと対等な立場はないことを痛いほど自覚していた。自分では何もできない侯爵令嬢が、万能の精霊を御せるはずがない、と。結局、何かを望むのであれば、コーディの言いなりになるしかないのだ。契約とは、そういうものだから。
「あいよ。次来た時に教えてやる」
「ありがとう」
「気にすんな。互いの利害が一致してるだけだから」
それは果たして友人と呼べるのか? メイヴィスは思ったが、相手は精霊という名の人外。理解し合うことの方が難しい。それ以上は突っ込まずに、メイヴィスは小部屋を後にした。
♢♢♢
王宮の侍女たちには、階級がある。貴族らのそばについて身の回りの世話をする上級侍女、貴族らの部屋に入り、掃除や不足したものの補充などを担当する中級侍女、そして部屋に入ることが許されておらず、雑用を担当する下級侍女。ほとんどの者が下級侍女から始まり、年数を重ねたり成果を出したりすると階級と待遇が上がる。出身は庶民の娘が多く、採用されるには狭い門ではあるが、採用されるとその身分は保証される。貴族の家に雇用されることもあるが、身分は保証されないため、王宮に来たがる者は多い。
シャロンのように外部からの侍女も主人の王宮入りと共に身分が保証され、上級侍女として登録される。しかし王宮では新入りのため、ベテランの侍女たちから嫌がらせをされることもある……とは、コーディの言だ。
それはさておき、上級侍女ともなると主人の世話のため休みはほとんどない。対して、下級侍女たちは休みの日には実家に戻り、プライベートが比較的充実している。つまり、その里帰りの中に紛れ込めば、メイヴィスも街へ行って帰ることができるというわけだ。
が、下級侍女であっても城の出入りは厳しく検査され、所属も問われる。正門からの行き来は難しい。
「ほらこれ、下級侍女の制服」
きちんと袋に入った新品を差し出され、メイヴィスはそれを受け取る。
「出られないのにどうやって?」
「俺は探しものが得意なんだ。見つかればどうとでもなる」
そういえば、相手は人間ではなかった。
「でも……正門からの行き来ができないなら、どうしろっていうの?」
諦めるしかないのでは、と言いたそうなメイヴィスに、コーディはNOを突きつける。
「実は、城から出るだけならそんなに難しくないんだ。持ち物を検査される程度だから。問題は入る時なんだが」
コーディが言いかけた、その時。
「……おっと。見つけた」
ふー、と疲れたように息を吐く。その姿を見て、メイヴィスは一つ思い当たることがあった。
「まさか、シャロンの?」
ご名答、とコーディは指を鳴らす。
「お前のメイドは地下牢にいる。拷問……は受けてないな。少しやつれたかもしれんが、元気そうだぞ」
「本当?」
「ああ。会いに行くのは無理だろうがな」
助けてやれないのは残念だが、無事を確認できただけでもメイヴィスは安心した。実際に会えるまでは油断はできないが。
「安心したところ悪いが、悪い知らせもある」
「え?」
「ここから出ろ。新しいメイドがお前を探してる」
コーディが痛くない程度の力でメイヴィスを小部屋から追い出す。
「えっ、コーディ」
「悪いが俺は助けてやれない」
目の前で扉が閉められ、メイヴィスは呆然とする。しかし、誰かの足音が聞こえてきたため小部屋から離れ、書庫の出入り口へ足を向けた。
「侯爵令嬢様。やはりこちらでしたか」
やや息を切らしたカレンがメイヴィスの元まで来て頭を下げる。
そして神妙な顔で、言いにくそうに口を開いた。
「……国王陛下がお呼びです」
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