第15話 人形
カレンが退室すると、サイラスが徐に椅子から立ち上がり、その音でメイヴィスは大袈裟に肩を震わせてしまう。が、サイラスはメイヴィスではなく、窓に近づいて外を眺め始めた。
「怪我の具合はどうだ」
しばしの無言の後、サイラスは尋ねた。顔はやはり窓の外に向けたまま。
「もう大丈夫です」
本当は雨の日にまだ痛むが、それを言ったところでどうにもならない。傷は塞がっているのだ。傷痕はあれど、サイラスはそれを見聞きして同情するような男ではない。
「……」
サイラスは無言で窓のそばから離れ、メイヴィスの背中側に歩いてくる。
背中に視線を感じるが、振り返る勇気はない。
「っ!?」
布と、遅れて体温を首に感じる。サイラスの黒い手袋をはめた手が、メイヴィスの首に回っているのだ。これには流石のメイヴィスも動揺する。
「な、にを」
するりと指先が首筋を撫で、メイヴィスの首を隠す毛束を除ける。かと思うと、親指が首の後ろにグッと食い込んだ。その反動で残り4本が喉元を圧迫するが、息ができないほどではない。
「マリアがいなくなって、何年経った?」
「は……」
唐突な話題の転換に、メイヴィスは思わず首を動かした。しかし、命を握られていることを思い出し、正面に向き直る。そしてサイラスの本意を探った。
(殿下はまだ、マリアのことを?)
マリアを覚えている人間はそう多くはない。クリスタという新しい許嫁が立てられてから、マリアは何となく口に出せないタブー的な扱いになってしまっていた。
「来月で……ちょうど5年になります」
これだけは忘れもしない、マリアが亡くなった日。
あの年は大寒波に見舞われ、マリアも高熱を出して寝込んでいた。メイヴィスはマリアに付いていた侍女から面会謝絶を言い渡され、部屋でふて寝していた。両親は長女を心配こそすれど自分たちの仕事や生活もあったため、マリアのそばにずっといたのは侍女だけだ。しかし、侍女がマリアのためにお湯を持ってこようとそばを離れたその隙に、マリアは部屋を抜け出した。そして見つかった時には、吹雪の中庭園で倒れており、冷たくなっていた。
死因は凍死だった。
あの時ふて寝していたメイヴィスは、皆よりマリアの訃報を聞くのが遅くなった。唯一情報をメイヴィスに教えてくれていたシャロンもメイヴィスに付き添って、周囲と断絶していたためだ。まさか自分が眠っている間に姉が死ぬとは夢にも思わず、その後のことはあまり覚えていない。両親が酷く悲しんでいたことくらいしか。
なぜマリアが雪の積もる庭園に出たのかはわからないが、下がらない熱にやきもきして手っ取り早く冷やそうとしたのではないか、と医者が言っていたらしい。
「そうか」
まだメイヴィスの首から手は離れない。
(マリアの葬儀には、殿下もいらっしゃっていたはず……なんだけど、何も覚えてないな)
毎年、命日が来るたびにサイラスはマリアのことを思い出しているのだろうか。
(いや、それはどうなんだろう)
溺愛しているクリスタがいながら、マリアのことを思い出している暇はなさそうだ。マリアをまだ思っている、というより、メイヴィスを見て思い出しただけなのかもしれない。
メイヴィスとマリアは、似ても似つかないけれど。
(この5年の間、殿下は一度も侯爵家には来なかった)
マリアを想っているのなら、命日に花か手紙を送ってきてもおかしくないのだが、それらも一切なく、両親が「冷たい」と文句を言っていた気がする。
「あの、殿下。私の首に……何かありましたか」
だが、今はそれどころではない。気になっていたことを訊ねてみる。サイラスはメイヴィスの首をするりと撫で上げ、インナーのハイネック部分を摘んだ。
「そなたはいつからこんな服を着るようになったのだ?」
想定内の質問に、メイヴィスは深く息を吐く。
貴族の令嬢は基本場面に合わせたドレスを何着も持っているのが常識である。しかしメイヴィスは人前に出ることもなく、そもそもドレスを買うようなお金もないので、令嬢らしからぬ格好をしている。
今着ている服も、マリアがメイヴィスの希望に沿って生前最後に贈ってくれたものを生地にして、シャロンが繕ってくれたものだ。
(まあそんなこと、言えるわけないのだけど)
「マリアが亡くなった頃からです」
余計な情報は加えず、シンプルに答える。
「なぜ?」
だがサイラスは食い下がる。
「……あまり肌を晒したくないからです」
それが1番でもないが、少なくとも嘘ではない。年頃の令嬢たちは、肩や背中など、そこそこの露出は珍しくない。メイヴィスは単にそれを嫌っていた。というより、周囲から“そういう目”で見られるのが嫌だった。
「なるほど。だが、露出の少ないデザインのドレスならいくらでもあるだろう。一着でいい、仕立てておけ」
「っ!」
それはまるで処刑宣告だった。ドレスを仕立てろ、ということは近いうちにメイヴィスを公衆の面前に出すということだ。でなければ、こんなことを命じる必要はない。
「……承知、しました」
自分の手元にいくらあるか思い出しながら、メイヴィスは返事をした。
(お金も、マリアがこっそり渡してくれたものだからなあ)
要は遺産である。残りは両親が回収しただろう。メイヴィスに侯爵家の資産が渡ることはなく、彼女は侯爵令嬢でありながら最も資産を持たない令嬢であった。宝石も、ドレスも、靴も、装飾品も、何にも興味がなく、散財とは縁遠い娘であるにもかかわらず。
(全部使ったら、一つくらいは仕立てられるかな)
そうなるとメイヴィスは本当に意味通りの一文無しだ。せめてシャロンがいてくれたら、と思わずにはいられない。シャロンは、資産を持たないメイヴィスのために色々と手を尽くして工夫してくれた。
「話は以上だ」
サイラスの言葉を合図に、メイヴィスは軽く頭を下げてすぐさま退出する。
外で待機していたカレンは何も言わず、メイヴィスについていく。
全財産をはたいても、ドレスを仕立てるつもりであったメイヴィスだが、ふとクリスタやルーナの着ていた艶やかなドレスを思い出す。
(あんな高そうなもの、仕立てられるわけがない)
よく考えてみれば、仮にもメイヴィスは王太子妃候補。安いドレスを仕立てようものなら、王室の品格も疑われる。そうするとまた、メイヴィスをよく思わない人間たちに叩く口実を与えてしまう。
(いや、もう……どうしろと……)
相談できる相手など、王宮には一人もいない。
こんなことをクリスタやルーナに言えば、仮に支援を申し出されたとしても侍女たちによって『図々しい女』と広められることは想像に易い。そもそも、クリスタもルーナも困るだけだ。
サイラスなど以ての外で、政に使用する国庫からドレス一着分を支出させるなど、到底許しはしないだろう。
(保留……)
サイラスは明確な期限を言わなかった。メイヴィスのお披露目はまだ先なのかもしれない。
(そうであれ)
考えることを放棄して、メイヴィスはベッドに倒れ込んだ。
『マリアに触らないで! あなたの病気が感染るでしょう!』
咳き込むマリアに伸ばした手が、乱暴に押しのけられる。その勢いで、小さなメイヴィスの体は床に倒れた。
『メイヴィス』
弱々しくマリアの呼ぶ声が聞こえる。
『おかあさま』
何かが明確に変わった、あの日。マリアが、サイラスに見初められて、少し経ったあの日。
マリアとメイヴィスは、同じ時を過ごすことを禁じられた。唐突に。
両親、特に母は、マリアに降り掛かる不幸全ての原因が次女のメイヴィスにあると思い込んでいた。そのため、マリアの周囲からメイヴィスという存在は徹底的に消された。やがてそれはマリアに限らず、侯爵家全体からメイヴィスが迫害される結果を招いた。
『メイヴィス。そんなに寂しいなら、これをあげよう』
珍しく上機嫌な父から受け取ったのは、人形。美しい金色の髪に、緑の瞳。それはマリアによく似ていた。
『ありがとう、おとうさま』
両親から見向きされなくなったメイヴィスは、寝食のほとんどをその人形と共に過ごした。
(そういえばあの人形……あんなにずっと一緒にいたのに、忘れてた)
目が覚めた後、侯爵家から持ってきた荷物をひっくり返してみるが、どこにも見当たらない。
(もう古くなって、シャロンが捨てたのね)
すでにメイヴィスの頭から、ドレスの件は綺麗さっぱり消えていた。
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