第9話 ルーナ・パリッシュ伯爵令嬢
メイヴィスが影の主を見上げると、そこには鎧を着た青年が立っていた。
「あなたは……」
メイヴィスが目を見開くと、青年はにこりと笑い、膝をついた。
「はい、いつぞやの王宮騎士です。このような場所に座り込んで、体調でも崩されましたか?」
迷子になっていたメイヴィスを助けてくれた王宮騎士だった。
「ああ……もう大丈夫です」
「そうですか? ならよいのですが」
「……建物に戻ろうと思いましたが、気が変わりました。少し散歩に付き合ってくれませんか、騎士様」
メイヴィスはダメ元で尋ねてみる。王宮内でメイヴィスのことを知らない人間はいないだろう。にもかかわらず、二度も繰り返してメイヴィスを助けた、この騎士の魂胆を知りたかった。
しかし、騎士は困惑したように首を振る。
「騎士様だなんてとんでもない。あなた様は王太子妃候補の令嬢とお見受けします。であれば、私の方が身分は下かと」
(名乗ってないから、知らないのか)
「では、私はあなたを何とお呼びしましょうか」
騎士はなぜか動きが固まる。聞いてはいけないことを聞いてしまったのだろうか。
「……私のことは、エル、とお呼びください。ラングラー侯爵令嬢様」
「! ご存知でしたのね」
「失礼ながら、前回別れてから少し調べました。ご気分を害されたでしょうか」
エルが立ち去る気配がないので、メイヴィスは庭園の奥に向かって歩き出す。エルは無言でついてきた。返事を待っているようだ。
「いいえ。でも、不思議ですね。私の噂を少しでも聞いたことがあれば、顔を知らずとも私がラングラー侯爵令嬢とわかるものです」
「……? なぜでしょう」
「私は他の令嬢のような格好をしないからです。地味な服装をした令嬢は必然的に私、ということになります」
貴族の令嬢は華やかであることが求められる。地味を貫くメイヴィスのような令嬢は他にいないだろう。
「ああそういえば……羽織を着ていらっしゃるのでわかりませんでした」
メイヴィスは常にケープを羽織って体を隠している。何か羽織っていないと不安になるからだ。
「これはお守りのようなものです。着ていると安心するので」
「左様でしたか」
話が広がらず、しばらく無言になる。
すると、メイヴィスは今度は頭痛に見舞われた。
「……っ」
「令嬢?」
足が止まり、こめかみに手が伸びるとエルがすかさず声をかける。
「いえ、何でもありません。いつものです」
「顔色が悪いですよ。すぐに休んだほうがいいです」
騎士はメイヴィスの手を取って引こうとする。
「部屋まで送ります」
「いいえ、結構です。侍女が来ました」
侯爵令嬢様〜! とカレンが走ってくるのが見え、メイヴィスは申し出を断る。
「おや……良いタイミングでしたね。では、私はこれで」
カレンがメイヴィスの元まで来る前に、騎士は立ち去っていった。
まるで、他の者と顔を合わせたくないかのように。
「侯爵令嬢様、お疲れですよね。お部屋に戻りましょう」
「……ちゃんと殿下にお茶を淹れた?」
「はい! もちろんです」
「そう。じゃあ、行きましょうか」
クリスタ・オルセン公爵令嬢との茶会は、特に何もなく終わった。
(終わったと……思ってたのになあ)
「あら、ラングラー侯爵令嬢様。ご機嫌よう」
クリスタとの茶会を終え、メイヴィスはまたしばらく部屋に篭る生活を送っていた。しかし、たまには外に出てみようと散歩に出たその先で、もう一人の妃候補に出くわしてしまったのだ。
「パリッシュ伯爵令嬢様……あの、木の上で何を……?」
それも、木の上にいる状態で。
「仔猫が震えていたので、救出に」
さらりと答えるルーナの膝上には、確かに仔猫がいた。
「膝に乗せて可愛がっていたら眠ってしまったんです。なので動けなくて」
クリスタと違って無表情で冷たい印象のルーナだが、それは見かけだけかもしれない。
「侍女はいらっしゃいませんの?」
「ええ、私は一人が好きなので」
「そうなんですね……」
木の下と木の上でそんな会話をする。
(マーメイドドレスでよく木登りなんかできるわね……逆にすごいわ)
高さ推定約4、5メートルといったところだろうか。
「侯爵令嬢様はお散歩ですか?」
「そんなところです。あの……どうか私のことはメイヴィスと呼んでいただけませんか」
ルーナ・パリッシュはサイラスよりも2つ年上の19歳だ。つまり、メイヴィスより4つも上。そんな相手から仰々しくされるのは、なんだか居心地が悪かった。
「侯爵令嬢様がそう仰るのであれば、そうしましょう」
「ありがとうございます。では、私はこれで」
一人が好きだと言うのなら、メイヴィスは邪魔だろう。そう思ったため、場所を移動しようとしたが。
「あら。せっかくですから、おしゃべりいたしませんか、メイヴィス様」
引き止められてしまった。
「お邪魔では、ありませんか」
「とんでもない。そんなわけありませんわ。何せ動けないので、退屈で」
「……私でよろしければ」
立っているのも疲れるので、メイヴィスはその場に座り込む。少々声は聞こえにくいが、メイヴィスに木登りなどできるはずがないので仕方ない。風もないのでまだマシである。
「メイヴィス様。メイヴィス様は、私に何か聞きたいことがあるのではないですか」
成人しているルーナは、やはり周囲よりも大人びているとメイヴィスは感じた。言動や態度、全てが落ち着いており、周囲をよく見ている。
「……そうですね。王太子殿下にはクリスタ様という許嫁がいらっしゃるのに、なぜ妃候補になられたのでしょうか」
やはり、そこがどうしても引っかかった。クリスタが正妃になるのはもはや決定事項だ。側妃になるメリットがないわけではないが、肝心のサイラスはクリスタ一筋という。子を成せなければわざわざ王家に嫁ぐ意味はない。
「まあ、それはメイヴィス様にも同じことが言えますけれど……」
「私は家の厄介払いに利用されただけですから。殿下には申し訳ありませんが」
ルーナの場合は違うだろう。
「パリッシュ伯爵、つまり私の父ですが。父はこの国の大臣として国王陛下に仕えております。国王陛下は頭の切れる父をたいそう気に入っており、その繋がりで誘いを受けたのです。立候補とは言えませんね」
「……そうでしたか」
そういえば、シャロンが似たようなことを言っていたとメイヴィスは思い出す。
ルーナはその父によく似て頭が切れるので、サイラスも気に入っており、よく部屋を訪ねているのだと。つまり、ルーナもサイラスのお気に入りなのである。父である国王にも目をかけられているとなれば、メイヴィスとは似ているようで全く立場が違う。
(いいなあ……)
クリスタもルーナも、誰かに求められ、必要とされている。やはり、誰にも求められていないのはメイヴィスだけなのだ。いらないけれど捨てるわけにもいかないからと、押し付けあって。
(求められないのは仕方なくても、どこにも居場所が無いのって、辛いわね)
だからこそ、誰もがメイヴィスを疎むのだ。
どのツラ下げて、と。
(言われなくても、クリスタ様が17になれば出て行く。明日にだって、本当は出て行きたいけれど)
メイヴィスにはまだ「その」覚悟ができていない。
(準備もできていないしね)
「メイヴィス様は動物はお好きですか?」
「……動物、ですか?」
唐突なルーナの質問に、考えてみる。
(侯爵家には馬やウサギがいたけど、世話はしなかったな)
近寄ったことはあったが、どちらとも打ち解けることができなかった。メイヴィスよりもマリアに懐いていたことで、メイヴィスにはいつも威嚇してきた。なので、嫌いというより苦手だとメイヴィスは思った。
「嫌いというわけではありませんが、世話をしたことはないですね」
「先日殿下に動物小屋を見せてもらったのですが、どの子も可愛くて。今度見に行きませんか」
「……」
メイヴィスは思わず黙り込んでしまった。小さい動物ならまだしも、大きな馬には少し抵抗があった。
「メイヴィス様?」
「あ……えっと」
「気乗りしないなら遠慮せず断ってくださって結構ですよ。無理する必要はありません」
ルーナの言い方は冷たいが、本当に怒っていないようであった。むしろ、4つも下であるメイヴィスに気を遣っているように感じられた。
「気乗りしないというより、その」
「苦手、ですか?」
「ええ、まあ。色々あって」
「そうでしたか。それは失礼しました」
「いえ……申し訳ありません」
「謝らないでくださいませ」
その後、しばらく沈黙が続いた。
すると、何かが地面に落ちた音がした。
「……?」
そちらを振り向き、近寄ってみる。何やら毛玉のようだった。
「あっ!」
ルーナの悲鳴と同時に、何かが折れる音が頭上からした。
そしてメイヴィスは、その音を確認する前に頭に強い衝撃を受け、意識を失った。
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