第2話 王宮入り
王宮入りする当日になり、メイヴィスは侯爵家を出ていく。しかし、両親が見送りに出ることはない。メイヴィスも、挨拶はしない。
数日前から支度をしていたが、荷物は大きなカバンが一つだけ。嫁入りに必要なものは父親が揃える決まりになっているが、この様子だと侯爵はメイヴィスに何の期待もしていないのだろう。本気で王太子妃を狙うのであれば、もっと気合を入れているはずだ。
「……お世話になりました」
馬車に乗る前に、屋敷を向いてぼそりと呟き、軽く会釈する。使用人で見送りをしてくれるものは執事長と侍女長の2人だけ。それ以外は、誰もいない。
「ありがとう、2人とも」
声をかけると、2人はメイヴィスに対して無言でお辞儀をする。おそらく、彼らなりの独断での見送り。ラングラー邸で使用人たちから嫌がらせを受けなかったのは、てっきりシャロンのおかげだと思っていたが、違っていたのかもしれない。
「メイヴィス様、参りましょう」
シャロンの声を合図に、馬車に乗り込む。
もう二度と、ここへ帰ってくることはないだろう。たとえ王宮を追い出されても、ここだけには。
♢♢♢♢♢
メイヴィスは王宮へ行ったことがなかった。王宮へは、基本招待されないと入ることができない。マリアは何度か招かれていたが、メイヴィスが招かれることはなかった。無能が露見する前であったにも関わらず、だ。
(マリアは顔が良かったからな)
自分がサイラスだったとしてもマリアを選んだだろうと思う。誰だって、自分ではなくマリアを。メイヴィスが選ばれることは、これまでもこれからも、ない。
「到着いたしました」
御者の声と共に、馬車の扉が開かれる。
出迎えは、想定通り王宮の従者がほんの数人だ。王太子妃候補を歓迎している雰囲気ではない。サイラスも当然いない。
「……よろしくね」
一言だけ声をかけ、後は案内に従って部屋に入る。そこにはすでに先客がいた。
「ラングラー侯爵が娘、メイヴィスが王太子殿下にご挨拶申し上げます」
メイヴィスの姿を見て座っていたソファから立ち上がった男に、頭を下げる。
「息災だったか」
最後に会ったのがいつだったか、もうメイヴィスは覚えていない。初対面だと思っている。
「はい。おかげさまで」
オルティエ王国王太子サイラス。姉が二人いたが、どちらも他国に嫁ぎ、弟は王太子が決まってから騎士として臣下に降った。王と王妃はこの優秀な息子にたいそう期待しているらしい。であれば、メイヴィスが王宮内でも冷遇されるのは目に見えている。優秀な息子に無能な令嬢を薦める親はいない。
「殿下は、私に何をお望みですか」
王太子妃の座など一ミリも興味がないと遠回しに伝える。侯爵が捩じ込んだとは言うが、王室はメイヴィスを拒むこともできたはず。それでもメイヴィスを受け入れたのは、何らかの役割を期待しているからと推測できる。
サイラスは少し黙った後、ゆっくりと言葉を選ぶように答えた。
「……何も争いを起こさないことを」
彼が言いたいのは、おそらく自分の許嫁や他の候補者たちに関わるなということだろう。仲良くするよりも最初から関わらないほうが、問題は起きない。そもそも彼女たちがメイヴィスと仲良くするとはとても思えない。
「承知しました」
言われずとも、元より関わるつもりはない。自分から傷つきに行くほどメイヴィスは愚かではない。
「後日顔合わせをする。また、月の末に一度、皆で食事をする。そこには必ず出席をするように。詳細は都度連絡する」
「はい、殿下。承知しました」
深々と従者のように頭を下げ、決してサイラスの顔は見ない。どんな顔をしているのか、見る勇気がなかったから。
「では、これで私は失礼する」
頭を下げたままのメイヴィスの横を通り抜け、サイラスは部屋を出ていこうとする。すると後にはメイヴィスとシャロン、そして玄関からついてきていた侍女たち数人が残される。
「殿下、お待ちください。あちらの侍女たちの説明をして下さいませんか」
メイヴィスは、サイラスを呼び止めた。
「そなた付きの侍女だ。必要だろう?」
「いいえ。私に侍女は不要です。身の回りのことは、屋敷から連れてきた私の侍女にやらせます」
「……信用していないのか?」
サイラスの声が不機嫌になる。
「まさか。とんでもございません。ただ必要ないだけですわ。私などに人員を割くくらいなら、今まで通りに仕事をさせた方がよろしいかと」
侯爵家では、シャロンとずっと2人きりだった。ゆえに、大人数に囲まれるのはメイヴィスにとって居心地が悪いのだ。それにメイヴィスはベッドの住民なので、世話の必要がほとんどない。
「仮にも王太子妃候補が、あまりにも無防備ではないか?」
サイラスはなかなか折れない。
「ご心配には及びません。殿下にご迷惑をおかけするようなことは決してしないとお約束いたします」
「……」
まだ納得のいかなさそうな王太子に、メイヴィスは内心中指を立てる。
「ではこうしませんか。何かあったら、人員を増やすというのは」
提案しながらも、なぜサイラスが侍女を付けたがるのか、メイヴィスにはよく理解できなかった。サイラスは許嫁以外どうでもいいと思っているはずなのに。
「わかった。ではそうしよう」
今度こそサイラスは背を向け、立ち去る。侍女たちもおとなしく引き上げていき、部屋にはメイヴィスとシャロンだけが残された。
「よかったですね、メイヴィス様。殿下が納得してくださって」
少ない荷物に手をつけながら、シャロンが言う。
「殿下は私の監視役として、侍女を置きたかったのかしらね。何にせよ、納得して下さって安心したわ」
ソファに座り込み、メイヴィスは呟く。
「これからどうなさるおつもりで?」
「そうねえ……」
メイヴィスは現在15歳。サイラスは17で許嫁の令嬢は14。彼女が17の誕生日を迎える日、正式に王太子妃にする発表があるという噂だ。こんな出来レースでなければ妃候補たちは各々自己鍛錬に励むところだが、メイヴィスにその必要はない。波風立てずに過ごすことが目標であるので、約3年は王宮暮らしということになる。
「建前としては王太子妃に必要な教養を詰め込まれるでしょう。ただ、真面目にやる必要はないわね」
「王宮の書庫でしたら、侯爵家よりも蔵書が豊富で飽きないかと思われますが」
「そうね。すぐ忘れてしまうから、読んでもあまり意味はないのだけど。暇つぶしにはなるでしょう」
「では、近くの空き部屋をお探しします」
「ええ、よろしくね」
侯爵家では時間ばかりが余っていたので、1日の大半を睡眠に費やし、後はひたすら読書がメイヴィスのルーティンだった。書庫の近くの物置を勝手に改装し、小部屋にしてそこに居座った。王宮でも同じことをしようとしている。
どうせ誰も気にはしないから。
「私は席を外しますが、少しお休みになりますか?」
会話をしているうちに、荷解きは終わったようだ。相変わらず仕事が早い。
綺麗に整えられたベッドを見て、メイヴィスは頷いた。
「そうするわ。少々気疲れしてしまったし」
久しぶりに自分より身分が上の者と会話をした。それも王太子。緊張しない方がおかしい。
「では、私は失礼いたします」
シャロンも退室し、部屋はしんと静かになる。
「……」
何となく空気を入れ替えたくて、窓を開ける。柔らかい風がカーテンをふわりと巻き上げ、部屋に入ってきた。
「良い風ね」
メイヴィスに用意された部屋は、広い王宮の隅だった。誰の居室からも遠いので、快適に過ごせそうではある。が。
「でもこの部屋は、ちょっと広すぎるわ」
メイヴィスにとって必要なものは、本当に少ない。自分の体が収まるくらいのベッドと、本が読める机と椅子、そして照明があれば事足りる。
「……ベッドも広すぎる」
横になってシーツに包まるが、どうにも落ち着かない。
「少しの辛抱ね」
とはいえ、暖かい春の日差しはすぐにメイヴィスの眠気を誘い、瞼を閉じさせた。
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