第23話 ストレス増量中

 エルキントン公爵の屋敷から戻って来てから、私とルークの間の空気は最初の頃ほど緊張感の漂うものではなくなっていた。

 とは言え、あくまでも普通に会話が出来るようになった程度である。そこに新婚の浮ついたものは全く感じられない。

 私は愛情が落ち着くどころか高まる一方なので、顔がハッキリ分かるぐらいまで近づくと今まで以上に変態への扉が容易に開きそうになるので、微妙に視線をずらしたりにやけそうな顔を引き締める状態は変わっていない。

 ただ地道だが着実な進歩は感じているのだ。

 だからもう流石にベッドが殺害現場になるほど鼻血まみれ(緊張と興奮で)になることは抑えられるんじゃないかとは思っているのだが、ルークはまだまだ不満らしい。

「ほら、せっかく旅行で少し仲良くなれたと思ったのに、まだエマは私と顔を突き合わせて話す時には視線を逸らしたりするだろう? これからの人生は長いんだし焦ってはいないんだよ。私は君からしてみれば、体はゴツゴツして大きいし女性の扱いに慣れていないところもある。どうしても警戒心や恐怖心を煽ってしまうような部分があるのも自覚している。だからエマが心から打ち解けて私と接することが出来る日が来たら、そこからが夫婦としての本当の始まりなんだと思っている」

 穏やかに笑うルークだが、正直彼に対する警戒心もなければ恐怖もない。

 私に標準装備されているのは、彼を愛するあまりに加速度的に変態になって行く脳内思考と、そんな情けない自分や目のこと、足のことなどがバレたくないという外面を取り繕う緊張感である。

 心から打ち解けて……という彼の希望は、私が秘密を持っている限り有り得ないし、愛情が衰えることなど想像もつかない。

 となると私が愛情を持ち続ける限り、彼の一挙手一投足に顔がにへら~っとしないよう常に表情を引き締めていなければならないのだから、緊張感が完全になくなるとも思えない。

 何しろ嫁き遅れ寸前で嫁いで来た、家柄と容姿だけが売りの三つも年上の欠点まみれの妻なのだ。

 ルークは昔から優しいので、内心で本当はもっと若くて可愛らしい、扱いやすい女性の方が良かったなあ、などと思っていても絶対に口にはしないだろうし、私も聞きたくはない。

 だからこそ早く本当の夫婦になって安心したいのに、このままでは白い花嫁として国に帰されてしまう危険の方が大きいのではないか。

 閨の件も、興奮からのアレコレの心配がなければ、私はいつでもウェルカムなのに。

 ──これは、私のマインド改革を早急に進めなくてはならない。



『やあおはようエマ、今日も綺麗だね』

「もう、いやですわルーク様ったら嘘ばっかり」

『私が君に対して嘘なんてつくわけないだろう? そうそう、頼んでいた例のナイトドレス、届いたよ。今夜は是非私のためにそれを着て欲しいな』

「まあ……喜んで♪」

「──エマ様、ぬいぐるみのクマ相手にそんな小芝居をしてどうするおつもりですか?」

 隣の衣裳部屋でアイロンがけをしていたはずのベティーが背後から声を掛けて来たので、私はびっくりしてクマのルークを落としてしまった。

「……いやあねえベティーったら、驚かさないでよ。本番に向けての地道な練習じゃないの」

「練習が実践に活かされたことが何一つないのがエマ様です。それにそんなことをしてても、エマ様の減少させたいおつもりの妄想力が膨らむだけじゃありませんか」

「……それも一理あるわね」

「一理も二里もなく真理ですわ。変態から脱却したいと仰ったのは嘘でございますか」

 ピシッと返される言葉に反論の余地はない。

「嘘じゃないわよ」

 床に転がったままのクマのルークを拾ってくれたベティーがぽんぽん、と埃を払い私に渡す。

「──でも、ルークへの好きがどんどん蓄積して行くのよ。だから嫌われたくない、みっともない姿をさらしたくないと言う気持ちもどんどん大きくなって行くのよ。そうすると、顔も終始緊張してないとならないじゃない? それで彼には自分の体が大きく鍛えてるから威圧感で怖がらせているのだと、と要らぬ誤解をされるのよ。もう四面楚歌なのよ」

 私は受け取ったクマのルークの手をぐりぐりと回しながら愚痴をこぼす。

「色々と隠していることも多いですしね」

「そうなのよ……」

 目のことや足の巻き爪の件などの大きな隠し事は別として、私にはやりたいのに出来ないことがある。

 土いじりと絵を描くことだ。

 絵はずっとあの分厚いメガネを掛けている必要があるし、風景を描く作業は外に出なければならない。人気のないところを選んだとて、誰に見られるか分かったものではないのだ。完璧な淑女でなければいけないのに、そんな危険は冒せない。

 また土いじりについても、花壇をいじるなどの女性らしい感じのものではなく、私が好きなのは野菜や果物など食べるもの全般。つまりは農作業だ。

 最初は家庭教師による教育の一環で、普段口に入る食べ物はどう作られているかを学ぶため、王宮内の畑に行ったのが始まりだった。

 そこで収穫を手伝ったり、すくすくと成長するトウモロコシやジャガイモ、トマトやナスなどに魅了されたのだ。

 働いている者たちには止められたが、畑を耕し種を植え、収穫してそれを食べまた耕す、という流れはとても自然で、家庭教師から学んだ生産や消費というものを実地で学んでいる、と幼な心にも思えてとても楽しかった。

 まあ周囲に口止めしつつ隠れて通っていても子供である。ドレスがしょっちゅう泥だらけになっていれば隠せるはずもない。すぐ両親にはバレてしまったが、何しろ我がウェブスター王国は酪農と農業が盛んな国であり、両親もそれぞれ農業への理解も深い。

 そのため、

「一応姫なのだから、人目につかないようドレスは止めて、日焼けしないような恰好に着替えて作業の手伝いをする程度なら」

 と認めてくれた。

 麦わら帽子にまとめた髪、首にはタオルを巻き長袖長ズボンに手袋までして、嬉々として農作業をしている女の子を「姫様」だとは気づかない民も多く(何しろ農地が広い)、

「お、お嬢ちゃん偉いな。父さんか母さんの手伝いかい?」

「良かったらおやつにリンゴ食べな」

 など気軽に声を掛けてもらったりと楽しく働けた。

 ダイエット中の数年は病弱設定が目標だったので、徐々に畑にも行けない状態を演出しなければならなかったのが辛かったが、健康になりましたアピールで畑にまた通えるようになった時には、嬉しさで涙が出そうだった。

 だが、自国では理解のあった両親で許されていたが、ラングフォード王国では厳しい。

 一国の王女が土いじり、しかも農作業大好きなどとは口が裂けても言えない。

 私は完璧な淑女なのだ。

「……ああ、自分が育てたトマトを丸かじりしたい……キュウリを使ったサラダが食べたい……」

 頑張る決意を胸にこの国にやって来たが、思うようにならないこともある。出来ないこともある。

 私のストレスは溜まるばかりだった。




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