第19話 エマは己の失言を知る

 レイチェルとカフェでお茶をし、美味しいパウンドケーキを頂いたのだが、隠し味のラム酒が少し強いかも、と思ってからの記憶がどうも曖昧だ。

 私はそもそもいつベッドに横になったのだろうか。……ここはエルキントン公爵の屋敷よね?

 窓の方を見ると既に日は大分傾いている。

 慌ててベッドサイドの時計を見ると五時をとうに回っている。

「ひっっ」

 息を吸い込んで慌ててベッドから足を下ろすと、メガネを入れてあるバッグを探す。大体この辺りに置いてあったと思うけれど……。

「──エマ様、お目覚めでございますか?」

 暗がりから声がしてビクッと肩を震わせるが、ベティーの声だと気づいて安堵した。

「ああ良かった。ねえベティー、私のメガネはどこかしら?」

「はい、こちらでございますよ」

 手渡しされたメガネを掛け、クリアになった視界で部屋の様子を見て、やはりエルキントン公爵の屋敷の客室だと理解した。

「ベティー……私は何故眠っていたのかしら?」

「お菓子のラム酒で酔ってしまわれたようですね。元々エマ様はお酒が弱くていらっしゃるんですから、スイーツなんて誘惑の多いものに入っていたら特に気を付けなくてはダメじゃありませんか」

「ごめんなさい……でもすごく美味しかったのよ」

「私も他の使用人の方と一緒にご馳走になりましたが、確かに美味しゅうございました」

「でしょう? ──いえ、それよりもルーク様は?」

「とうにお帰りになっておられます。休んでいると聞いて、夕食で会おうと仰っておられました」

「あああああ……」

 私は思わず声を上げた。

 何という失態だろう。完璧な妻として振る舞いたいのに、お菓子の隠し味程度のお酒で昼間から酔っ払って眠るなど。だらしないことこの上ないではないか。理想の対極だ。

 自分でも分かるぐらいのお酒が入ったお菓子は、例えすごく美味しくても二度と口にしないわ!

「……反省しているところ大変申し訳ないのですが、七時には夕食でございますので、急ぎお風呂で寝ぐせのついた髪や外出の汚れを落としませんと」

「そっ、そうよね!」

「もう着替えなどは準備しております。メガネはもうよろしいですか?」

 頷いてベティーにメガネを渡すと、軽く手を添えられて風呂場へ案内される。

 来客用の風呂場が別途二階にも設置されているので、階段を下りてエルキントン公爵家の人達に無様な状態を晒さずに済むのはありがたかった。


 ベティーは私の髪を洗って一つにまとめると、手早くタオルに石鹸をつけて泡立てて私の体を丁寧に洗い出した。

「……ねえベティー」

「はい何でしょう?」

「私、レイチェルに失礼なことをしたりはしてないわよね? お酒の酔いに任せて、暴言を吐いたりとか……さっぱり記憶がないのだけど」

「──まあ、その辺は大丈夫ではないかと」

「その辺は? その辺以外は何かあると言うの?」

「どうやらレイチェル様にメガネの話や巻き爪の話をされたようですね」

 石鹸を取り、新たに泡立てたタオルで腕を擦りながら、さらっと続けるベティーに私の時間が一瞬止まった。

「まままま、まさか」

「もちろんカフェでの会話は聞こえませんでしたし、わたくしも戻って来てエマ様をベッドに寝かせた後、レイチェル様に伺うまでは存じ上げませんでした」

「そ、そそそそ」

「ご安心下さい。レイチェル様はエマ様の味方だし、協力は惜しまないと仰っておられましたわ。話をして仲良くなったことで冷たい印象が誤解だったのも分かったし、見た目ほど完璧じゃないところにむしろ好感を覚えたとかで。これからも仲良くして欲しいと。わたくしとも『エマ様を応援する会』の仲間として一緒に頑張って行きましょうね、と力強く握手を求められましたわ」

「……それはとりあえず、一安心と言っていいのかしらね」

 恐怖で意識が飛びそうになっていた私は、彼女の言葉で何とか胸を撫で下ろした。

 お酒とは何と怖いものであろうか。必死に隠していたことをいくらルークの前でないとはいえ打ち明けてしまうなんて。私は一生お酒は飲まない方がいいわね。

「こちらも理解者が増えるのはありがたいですし結果としてはまあ良かったのですが、エマ様の発言があまりにも軽率だったことは変わりませんわ。レイチェル様が悪意を持って言いふらすような方だったらおしまいだったのですよ?」

「──本当にごめんなさい。今までの苦労も台無しよね……」

 落ち込む様子を見ていたベティーが、はい流しますよ、と泡立った体に湯をかける。

「ですが、私もメイドとしての立場上、エマ様のお傍にいられない状況というのは多々ございますし、ある意味では幸運だったかも知れませんわね」

「そう、そうよね? レイチェルはとても優しくて良い子だもの」

「公爵令嬢でおられますから、大切な社交の場でエマ様の隣にいても不自然ではない、というのもかなりの利点でございますしね」

「ルーク様に恥をかかせる危険も減るわよね?」

「さようでございますね。エマ様のフォローが出来る機会も少なくないと思いますわ」

 ベティーの言葉に、私の心の重荷は大分軽くなった。

 良かった、レイチェルが良い子で本当に良かった。

 私も無意識とは言え、彼女が信頼に足る女性だと理解していたのかも知れないわね。

「ですが、今後はお酒に関してはくれぐれもご注意くださいませ。ルーク様は王国で民の人気もかなり高い方ですし、何と言っても次期国王です。娘を後添えに出来るならと、エマ様の足を引っ張れるだけ引っ張るなんて貴族もいるかも知れません。わたくしたちは他国から来た人間ですし、むしろ味方より敵の方が多いと思っていた方が間違いはないのですから」

「ええ、気をつけるわ」

 努力の甲斐あって奇跡的にルークと結婚出来たのに、他の女性に奪われるなんて耐えられない。

 私はこれからも完璧な淑女を演じなければならないのよ。

 そして、淑女であることのマイナス部分は出来る限り切り捨てないと。

 そう思いつつも、これが結構あるのだけれど……と考えると気分が落ち込みそうになったので、今は忘れよう、と首を振った。

 人生には試練が多いものだわ。




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