第2話 やっぱり王子は悩んでいる

「……申し訳ありませんが、私にはため息を吐く理由が分かりかねます。あれだけの美貌をお持ちの女性はこの国にも滅多にいないと思われますし、王族で立ち居振る舞いも上品、なおかつ大変教養もおありだと聞き及んでおりますが。手紙でのやり取りも密であったと伺っておりますし」

「そうだね。確かに理知的で素晴らしく美人でたおやかな人だと思うよ」

「では何故?」

 私はふう、と再度ため息をこぼした。

「……私はね、昔出会った頃の彼女の屈託のない笑顔と、ぷにぷにした柔らかそうな体形、耳に心地の良い声、そして美味しそうに物を食べる姿が本当に好きだったんだ。あ、もちろん内面的にも素敵だと思っていたんだけどね」

「──なるほど、豊満体形がお好みだったのですか?」

「うーんどうだろう……別に太ってても痩せててもどっちでも良かったんだけど、彼女のまとう柔らかい雰囲気が好きだったと言うか……まあ、女性はふっくらしていた方が好みかも知れないね」

 私は答えながら何となく自分の腕を見る。

 筋肉質で少し力を入れれば筋が浮かぶ。胸板も厚いし足も筋肉が盛り上がっている。

 日々鍛錬していたのだから当然だが、岩のようで正直ゴツゴツとしている。柔らかい部分など見当たらない。こんな体になったのも健康維持や鍛錬云々よりも前に本来の目的があったのだが。

「私は幼い頃のエマに癒やされていたし、ずっとそんな彼女でいて欲しかったという期待、なのかな……があったんだ。でも昨日食事をした時に感じたのだが、彼女は私と目を合わせるでもなく笑顔を見せるでもなく、無表情で目の前の食事を少しずつついばむような感じでさ、会話も最低限の礼儀としての受け答えしかしてくれなかった」

「いえ、いくら友好関係にあるとは言え、他国の王族に嫁ぐためにこちらへ来られたのですから、流石に緊張ぐらいされるのではないでしょうか?」

「うん。私も最初はそう思った。だからなるべく気さくに話し掛けたり、あちらの国の話を振ったりしたんだけど、ええ、とか、そうですわね、みたいに一言で終わって会話が続かないんだよ。それで寂しくなってしまって……あれだけ手紙もやり取りしていたのだから、もっと警戒心を解いてくれても良くはないかい? 久しぶりの再会なのだし。しかも健康的な問題もあったのだろうけど、あんな見る影もないほどガリガリになってしまって……」

 トッドは真顔で聞いていたが、周囲を見回し、誰もいないのを確認すると、

「──あのですねえ、何を贅沢言ってるんですかルーク様?」

 と小声でたしなめられる。

「え? 贅沢?」

「贅沢ですよ! だってあんな艶やかで美しい長い黒髪に白い肌、潤んだようにきらめくダークブルーの瞳の目眩がするほどの美女ですよ? ほんの少しエマ様のお顔を見ただけの同僚が、言葉もなく口をぽかーんと開けたまましばらく放心してたぐらいのとびきりの美女なんですよ? スタイルだって抜群ですし、所作一つ取っても優雅で気品があり、全てにおいて華やかじゃありませんか。傷も曇りもない一流の宝石のような御方です。いくらルーク様が豊満体型で良く食べるニコニコ笑顔のエマ様が良かったと言っても、いつまでも子供じゃありませんし、年頃になればそりゃあ痩せたりもするじゃないですか。それに療養もされていたことですし……え? まさかルーク様、いつまでも少女のままだと思ってたんですか? それは色んな意味でちょっとまずくないですか?」

「……いやでもさ、どんなにぷにぷにと成長していようと、私は彼女を結婚式で軽々と抱きかかえて見せるんだ、と決意して死ぬ気で鍛錬していた自分の気持ちはどこに行けばいいんだ? 彼女があんなに細かったら、そこらの筋肉のない男だって軽々と抱き上げられるじゃないか!」

「……エマ様を抱きかかえるためだけに鍛錬していたのでしたら、個人的にはそちらの方がもっとドン引きですが」

「待て待て待て。変態みたいに言われるのは心外だな」

 私はトッドを睨み付ける。

「愛する女性、大切な妻になる女性に恥ずかしい思いをさせたくない、と考えて肉体を鍛えるのがそんなに悪いことだろうか?」

「悪い悪くない以前に、あなたが未来の王として強くありたいからと仰る姿に心から感動し、全力でビシビシと鍛え、そこらの騎士がまとめて襲って来ても返り討ちに出来るまでに育てた私の熱意と努力を返して下さい。今すぐに」

「やだよ。だって嘘は言ってないじゃないか。王として臣下の者たちに舐められるような貧弱な体ではまともな治政すら覚束ないだろうし、信頼だって得られない。だったらなおさら鍛えること自体は大切だろう? 大体さ、妻一人抱き上げることすら満足に出来ない男など、国王として従う気になるか? ならないだろう? 違うかトッド?」

「なりませんよ。なりませんけど、国民や臣下が求めているのは『鍛え上げた強い国王だから、結果的に王妃だって軽々抱き上げられるようになった』であってですね、ルーク様が求めていた『以前の豊満なエマ様が成長し、更に豊満になっていても抱き上げられる強靭な体を作るためにせっせと鍛えていたら、国王になっても恥ずかしくないほど強くなった』と言う結果じゃないんですよ!」

「まあまあそんなに怒るなよ。辿る道は異なれどゴールとしては同じじゃないか。……だけど、エマがあんなに細くなってしまったし、この鍛え上げた体も大して意味がなくなってしまった」

 トッドをなだめながらも、私はどんよりとした気持ちになる。

 いや、次期国王としては弱いよりは強い方が良いのは間違いないのだが、鍛えるモチベーションの維持の問題なのだ。

「私はね、今後どんなに激務だったとしても、彼女と一緒に楽しく食事をしたり、笑顔で話が出来るだけでこれからも全力で頑張れると思っていたのに……私が求めているのは、いくら美人でもあんな無表情でよそよそしい対応をするクールビューティーじゃなくて、ちょっとしたことでコロコロと笑ったり、楽しく話したりして過ごせる愛らしい妻なんだよ。願わくばもう少しぷにぷにむっちりしてくれればもっと嬉しいが……ささやかな願いじゃないか。結婚に癒しを求めたいというのは、そんなに過ぎた願いだったのだろうか?」

「いや確かに癒しは大切だと思いますが……率直に伺いますがここ最近で、お優しいエマ様とのお手紙のやり取りでしくじられたことはありませんか? その……冷たくされるような原因みたいな言動をしたりですとか」

 あまりにもしおれている私に怒りも収まったようで、少し心配そうなトッドに尋ねられた。

「覚えがないんだよね、本当に。それが分かれば苦労はしないよ」

 いつだって手紙の返事は時間を空けずに戻って来ていたし、楽しそうに日々の出来事を書いてくれていたし、私の健康を気遣うような言葉も入っていたのだ。

 ただ私は女性への手紙は彼女にしか書いたこともないし、正直恋愛マスターでもないので、意図せず何か失礼なことを書いたりしたかも知れない、という不安はある。

「……もしや私のせいなのだろうか?」

 私が何か不快にさせたり怒らせるような内容の手紙を書いたりして、だからエマがあんな対応をするようになったのかも知れない。

「だとしたら、謝らなければならないよね。彼女の気分を害する気持ちで手紙を書いたことなど一度もないのだから」

 そうすれば体形はともかくとして、以前の柔らかな雰囲気で美味しそうに食事をしてくれたり、よく笑う彼女に戻ってくれるかも知れない。

 私は少し目の前が拓けたような気持ちになった。

「──失礼ながら、原因も分からないのにただ謝るのは悪手ではありませんか? 私がエマ様の立場なら『分かりもしねえのに謝んじゃねえよクソが』とか腹が立ちますけどね」

 トッドの言葉に浮き立った心がまた沈んでしまった。

「だったらどうすればいいんだよ。私はね、ただ仲の良い夫婦になりたいんだよ。だってこれから何十年も一緒に過ごすんだよ? 結婚式の前からこんな感じでは先々不安しかないだろう?」

 私を眺めていたトッドが、俯いて少し考え込んだ様子をしてから、

「……私から一つご提案があります」

 と顔を上げた。




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