《僕の場合》02

「お待たせ致しました。ご注文の珈琲です」


「ありがとうございます」


 彼女と目が合う。

 会話するチャンスな筈なのに、喉まで出掛けた言葉を飲み込んでしまった。


「では、失礼いたします」


 一礼してから、その場を逃げるようにして立ち去る。

 僕だって、それなりの恋愛経験は積んできたつもりだ。


 ーーいや、本当はどうだったんだろう?


 彼女のように心惹かれ、声をかけることすら出来ないなんて事は今までなかった気がする。

 これまで、僕は恋愛してきたつもりになっていたのかもしれない。ただ見た目が可愛かったからだとか、相手から告白されたからだとか、そんな単純な理由で好きになった気になっていただけだった。


 今更、気が付いた。


(ひとまず、なんとか会話だけでも出来るようにならないと……)


 そのきっかけを何度か考えてはみるが、情けないことに何も浮かばない。マニュアル通りの台詞しか言えず、告白まで行き着くのに一体どれだけ時間が掛かるのだろう。自分の情けなさに嫌気が差した。


 彼女に会えない平日は本当に退屈で仕方がない。なにもやる気が起きず、気付けは溜め息ばかり零している。


 ーーこれが恋煩いというやつだろうか?


 そんな日々を過ごしていたある日、バイトへやって来た僕に叔父さんがある物を差し出す。

 ふわふわの生クリームが添えられたシフォンケーキ。生地には紅茶の葉が練り込まれているようで、きっと珈琲には相性が良さそうだ。一応ここは喫茶店ではあるけれど、若い女性客が少ないため、ちょっとしたパフェやアイスクリームの盛り合わせ程度しかメニューにはなかった筈だった。


 僕は目の前にある美味しそうなシフォンケーキを不思議そうに見つめ、首を傾げる。


「どうしたの? 叔父さんが作ったの?」


「たまにはお店に新作を出してみたくなって作ったんだ」


 叔父さんが作るものは珈琲以外もなかなかの味で、お客の間でも美味しいと評判だった。かなりこだわりが強くて、材料にも手を抜かない人だ。そんな叔父さんが作ったケーキなのだから、美味しくないなんてことは有り得ない。


「ていうことは試作品? 俺が食べていいの?」


「あほか、お前! 俺がなんのためにケーキなんか作ったと思ってるんだ!」


 叔父さんの腕が僕の首に回され、引き寄せられる。


「新作出したかったからじゃないの?」


 そう返した僕の耳元で、内緒話でもするかのように叔父さんが小声で言った。


「お前、最近よく来るようになった彼女が気になってるんだろ?」


「そんなことは……」


「正直に言ってみろ」


「まぁ、確かに……気にはなってるけど」


 釣られて僕まで小声になってしまった。

 叔父さんは見ていないようで、よく観察している。僕が彼女を気にして目で追っているのに勘付いていたようだ。


「これを彼女に持っていって、話すきっかけでも作ってこい」


「もしかして、そのために作ったの?」


「お前は息子同然だからな。応援してやりたいんだよ」


 少し悪戯っぽく笑う叔父さん。

 普通なら気恥ずかしさで誤魔化してしまうところだけど、その笑顔を見たら出来なかった。


「ありがとう。頑張ってみるよ」


 そう返事をすると同時に、聞き慣れたベルの音が辺りに響き渡った。


「いらっしゃいませ」


 さっきまで話していた彼女がそこに立っていた。いつものようにこちらへ軽く会釈をし、窓際の一番奥へと着いた。それを見計らって、叔父さんが僕に耳打ちする。


「ほら、さっさと行ってこい!」


 急かされるまま、僕はケーキを片手に彼女の元へと歩き出した。

 心臓が飛び出そうなくらい波打っている。

 ちょっと油断すれば、震えて持っているトレイを落としてしまいそうな程だ。

 喉の乾きを誤魔化すように唾を飲み込む。額に汗が滲んでいるのが気になったが、もう拭いている余裕なんてない。


 意を決して、僕は彼女の座る席の前に立つ。


「いらっしゃいませ」


 ーーしまった。声が上ずった。


「どうも」


「お客様、良ければこちらをお召し上がりください」


「シフォンケーキですか?」


 なんとかテーブルまで落とさず行き着いたシフォンケーキ。内心、安堵の息をつく。


「おいしそう……いいんですか?」


「試食品なんです。嫌いでなければどうぞ」


「嬉しい。なら、喜んで頂きます」


「えっと、では珈琲をお持ちしますね」


 そう言ってしまったのをすぐに後悔した。

 話すチャンスを自分から断ち切ってしまったのだ。視線を叔父さんへと向けると、呆れ顔でこちらを見つめていた。何が言いたいのか痛いくらいに伝わってくる。


 自分の不甲斐なさに、次は深い溜め息をついた。

 すると、彼女は小さく笑ったのに気づく。


「すいません!」


 馬鹿だ。

 彼女の前で溜め息をつくなんて、僕は大馬鹿だ。


 正直、本気で泣きたくなった。

 ここまで何も出来ない自分を呪ってやりたいくらいだ。


「構いません」


 頭を下げて謝罪した僕に、彼女は柔らかな笑みを零す。その表情に、また顔が火照っていくのが分かった。


「では、ごゆっくり」


「はい」


 叔父さんが待つカウンターへと歩き出す。

 何も出来ず、何も聞けずじまいだった。


 カウンターに着いた瞬間、叔父さんに馬鹿扱いされるのは目に見えてる。


「あの」


「は、はい!」


 彼女の声が耳に届き、俺は瞬時に体を反転させた。


「何か?」


「食べ終わったら感想伝えますね」


 その一言に、今度は嬉し涙が出そうになった。


「ぜひ、お願いします!」


 出来ることなら大きなガッツポーズを決めたいくらい。それぐらいに嬉しくて、思わず大声でお礼を言ってしまった。


 特に何も出来なかったし、彼女との関係が進展した訳でもないが満足感に僕は浸っていた。


 彼女とまた会話ができる。

 それだけでも、今は幸せだった。


 今はまだ片想い中だけど、いつの日か必ず情けない僕と卒業します。


 そう心に誓った。

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