とある喫茶店の小さな物語

石田あやね

《僕の場合》01

 ここは創業60年以上続く、小さな喫茶店。


 最近ではオシャレなデザートや女性受けしそうなインテリア雑貨を飾っているような喫茶店はどこにでもあるだろう。今時、流行を取り入れていかなければ長くは続かないものだ。


 しかし、この喫茶店はちょっと違う。


 店内に流れるのは古いジャズ。カウンターの隅に置かれた時代を感じさせる蓄音器。回るレコードに触れる針からホーンへと伝わり、深みのある音を流す。インテリア雑貨などはなく、あるとすれば読み込まれた古い雑誌や漫画の本が並べられた小さな本棚があるだけだ。


 しかも、この不景気に珈琲一杯800円。

 おかわりし放題ではなく、一杯が800円なのだ。


 どこかのセレブ街にあるような高級感漂う店なら話は別だ。しかし、ここは高級感なんて微塵も感じ取れない。商店街の一角にポツンと佇むおんぼろな小さな喫茶店。きっと普通の人からすれば、ぼったくりだと激怒するに違いない。ファミレスであれば、毎日がクレームの嵐だろう。

 だが幸いなことに、ここへ来るお客のほとんどがそれを理解してくる常連ばかり。珈琲一杯で、長い時間を自由気儘に過ごしていくのがここの日常風景なのだ。


 自己紹介が遅れました。

 僕はそんな喫茶店でバイトをしている大学生。


 土日の朝8時半から夕方5時まで働いて、日給三千円と小遣い稼ぎにもならない。


 なぜ、そんな店でバイトをしているのかって?


 この喫茶店のマスターが僕の叔父さんというのがひとつ目の理由。バイトと言うより、叔父さんの手伝いと言った方が正しいだろうか。

 そして最大の理由は、昔からこの場所が好きだったからだ。古臭いと思われるかもしれないが、違う言い方をすれば古風とも言える。


 テーブルの上に何気なく置かれているルーレット式の占い器。お客が来ると、それを知らせるベルの音。一時間毎に時を知らせる壁掛け式の鳩時計。なんともレトロ感があって、寧ろ見ていて飽きない空間がそこにはあった。時間がゆっくりと刻まれていくような感覚と、逆に時代を遡っているような奇妙な錯覚に陥ってしまう。

 そんな喫茶店に毎日足を運ぶ常連客の気持ちが僕には少しだけ理解できる。


 さて、そろそろ本題へ移りましょう。

 そんな喫茶店に、珍しく新しいお客がやって来た。しかも僕と同い年ぐらいの女性だ。

 綺麗な黒髪を髪留めでまとめた後ろ姿はなんとも艶やかで、眼鏡を掛けたている横顔は知的であり、どこか優雅さすら感じてしまう。そして、顔立ちも有名人にいそうな程の美人だった。


 僕がバイトの日には必ず現れて、開店9時から閉店5時までの一日を彼女はここで過ごす。入り口から入って、一番奥にある窓側のテーブル席が彼女のお気に入りのようだ。


 初めにぼったくり珈琲を頼み、ランチにサンドイッチとレモンティーを注文するのが彼女のルーティン。喫茶店での過ごし方は、ひたすらノートに何かを書いているだけで、他のことをしている姿は見たことがなかった。


 自分と同じ大学生であれば、レポートでも書いているのだろうか。それとも、趣味で小説や詩を書いたりしてるのだろうか。

 僕が近くに行くと、必ずノートを閉じてしまうから中身を見たことは一度もなかった。


 しかし、断じて彼女は暗いというわけではない。


「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」


「珈琲をひとつ」


 そう言って、彼女は僕に満面の笑みを浮かべる。


 その笑顔は優しく、とても可愛らしい。透き通った綺麗な声も特徴的で、ちょっとした会話をするだけで僕の胸は高鳴った。



 そう、僕は彼女に恋をしていた。

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