第4話 分岐点
森の中で罠に掛かり、怪我をしている子犬を発見した私は、持ってきていた図鑑を参考に化膿止めの薬草を探し、子犬に応急処置を施した。
その子犬は綺麗な毛並みをしていて、とても野生動物に見えなかったので、何処かの家の飼い犬の可能性がある。
「もしかして、迷い犬?」
この森はランベール家が所有している森だから、部外者が散歩に立ち入る筈がない。だとするとこの子犬は道に迷った可能性が高い。
私は更に子犬を観察し続けていて気が付いた。何となく子犬の足が太い気がしたのだ。
「そもそも何ていう犬種なんだろ? シベリアンハスキー?」
足が太い子犬は身体が大きくなると聞いたことがある。それが本当なら、この子犬は大型犬に成長するだろう。
「今が一番可愛い時期なんだろうなぁ。いいなーモフりたいなー」
怪我をしていなかったらその毛並みを堪能させて貰うのに、と残念に思っていると、子犬の目がピクピクと動き出した。
そろそろ目が覚めるのかな、と思いながら見ていると、子犬の目がゆっくりと開いた。
「うわぁ! 綺麗な色!」
目覚めた子犬の瞳の色は、すごく綺麗な金色をしていた。黄色っぽいとかではなく、本当の金色だ。
「ガルゥ!!」
だけど、私が思わず大声を出したからか、意識を取り戻した子犬は私に向かって威嚇の声を上げる。
「え、えっと! 怖くないよ! 大丈夫だよ! あ、ほら! お水あるよ!」
警戒する子犬に向かって話しかけるけれど、人間の言葉が通じる訳がなく。
子犬は私から背を向けると、森の奥へと足を引きずりながら走って行く。
「あ! 駄目! 走ったら傷が……!」
私は慌てて引き止めようとしたけれど、結局子犬は森の中へと消えてしまった。
「……ええ〜〜?」
私は子犬が走り去った方角を呆然と眺めることしか出来なかった。まさかこんな展開になるとは思ってもみなかったのだ。
「まさか子犬が逃げるなんて……! うわああぁん!! モフりたかったよー!!」
怪我をしていたから我慢していたのに、モフる間もなく子犬に逃げられた私はひどくショックを受ける。
例えばこれが漫画やラノベなら、目覚めた子犬が怪我の治療に気付き、更にお水を飲ませてくれた主人公に心を開いて仲良く……いや、親友になる、という展開になっただろう。
そして子犬は親友である主人公を守るために強くなり、この森の主となるのだ!
──なんて考えて、ちょっと期待していたのに、実際は目覚めて早々トンズラされてしまうとは……人生ままならぬものである。
「……まあ、走れるほど子犬は元気だってことだもんね。ならいっか!」
私はポジティブに考え、子犬を罠から救えただけでも良かったのだと満足する。
差し当たって当面の問題としては、どうやってうちに帰るか、だろうか……。
「うーん、また一人ぼっちに逆戻りか……」
意識はなかったけれど、子犬がいてくれたから寂しさが紛れていたのだと思う。だけど再び一人になってしまった反動なのか、孤独感が半端ない。
「よーし! 気を取り直して出発するか!」
だからと言ってこんなところでじっとしてても仕方がないので、わざと元気な声を出して自分に発破をかけた私は、子犬が走っていった方向へ向かってみることにした。
子犬が逃げた後を追うように森の中に入り、茂みを掻き分けると、開けた場所に辿り着いた。
「……えっ?! 何で?!」
薄暗い森から抜けた先には、見覚えのある風景──私が母さまと暮らす家代わりの別荘があった。
余りの出来事に、私の頭の中がこんがらがってしまう。
いくら方向がわからなくて森の中で迷ったとしても、この状況はどう考えてもおかしいのだ。
私はてっきり森の奥で迷子になったと思っていた。けれど実際は家の近くをウロウロしていたことになる。
「私が勘違いしてる……? いや、でも確かに森の奥にいたはず……」
鬱蒼としていて薄暗く、生き物の気配がないあの場所が、こんなに浅くて家の側だったなんて思えない。
──まるで森の中は、この世界と全く別の空間のようではないか。
狐につままれたようとはこんな感じなのだろうか。何とも不思議な体験だったけれど、無事家に戻れたのはとても幸運だったと思う。
「よくわかんないけど良かったー!! あー怖かった!!」
色々気になることはあるけれど、今は急いで家に戻ろうと思い直す。
そろそろ母さまが私を探しに来るだろうから、リュックを隠して森に行った証拠を隠滅しなければならない。
それから、何とか無事帰還することが出来た私は、薬草散策初日の反省を活かし、森で迷わないための方法を勉強することにした。
「ぶっつけ本番だったのが駄目なんだろうな。しっかり下調べしないと!」
私は再び図書室に籠もり、森の地図がないか探してみたり、迷った時の対処法などを調べ、再び薬草を採取しに行くための準備を進める。
──そうして、初めて森に行った日から一ヶ月が過ぎ、私がそろそろ森へ行こうと思ったタイミングで、思いがけない事態が発生した。
「──ミミ! ああ、可愛い僕の娘!! 会いたかったよ!!」
感動の涙を流しながら、私をぎゅっと抱きしめた美丈夫は、どうやら私の父親らしかった。
「……父さま?」
ためらいながらもそう言うと、私と同じ青色の瞳をした美丈夫──父さまは満面の笑みを浮かべた。
「そうだよ! 私が父さまだよ! 今まで会いに来れなくてごめんね! でもこれからはずっと一緒にいられるからね!」
私は原作に無かった展開に内心パニックになる。
父さまは私が祖父と共に王都のランベール家に行った後も姿を現さなかった。きっと何かの理由で父さまも亡くなっていたのだろうと思っていたのだ。
それなのに父さまは元気に生きていて、私達と一緒に暮らすという。
「大丈夫よ、ミミ。父さまが私達を迎えに来てくれたのよ。これからは王都のお屋敷で三人一緒に暮らせるのよ」
原作とは違う展開に呆然としている私を勘違いした母さまが、嬉し涙を流しながら教えてくれる。こんな明るい表情をしている母さまを見るのは初めてだ。
「……本当?」
「本当だとも! さあ、一緒に王都へ行こうね。ミミのお祖父様も待っているよ!」
父さまが未だ呆然としている私をヒョイッと抱き上げた。細身に見えて結構力持ちなのかもしれない。俗に言う細マッチョだろうか。
そして至近距離で父さまの顔を見る機会を得た私は、これ幸いと父さまの顔を鑑賞させて貰う。
……うん、これは美形だわ。
確かにミシュリーヌによく似ているけど、父さまは決して女顔ではなく、ちゃんと男の人の顔をしていて、絶妙な美しさを持ち合わせていた。
客観的に見ても、母さまとよくお似合いの美男美女な夫婦だと思う。
「荷物は後で使用人にまとめさせるから、今すぐ王都へ行こうね。ほら、馬車が待ってるよ」
「え? これから?」
「そうだよ。ほら、行こう。必要なものがあったら途中の街で買うからね」
父さまはそう言うと、私を抱っこしたまま玄関に停まっている馬車へと乗り込んだ。そして私を座らせると、今度は母さまをエスコートしている。
身のこなしや綺麗な所作を見て、さすが貴族だと感心してしまう。
父さまと母さまが馬車に乗ると従者の人が扉を閉め、ゆっくりと馬を走らせる。
私は馬車の窓から、初めてモンテルラン領の風景を見る。
今まで外に出るのを禁じられていたから、自分が住んでいた場所を全く知らなかったけれど、視界いっぱいに広がる光景は自然豊かでとても美しかった。
私は最後に、別荘があった方向を振り返る。
結局、森で薬草を採取することは出来なかったけれど、罠に掛かっていたあの時の子犬が元気に暮らしていたら良いな、と願う。
「あれ?」
森の緑色の中に、一瞬白い影が見えたような気がしたけれど……それはきっと、私の願望が見せた幻なのかもしれない。
──結局、原作より二年も早く、しかも父さまが生きていたという状況で、王都の屋敷に行く事になってしまった。
これからは原作の展開を知っている優位性は失われるだろうから、自分の力で生き延びる方法を模索しなければならない。
とにかく、目立たないようにひっそりと生きていこう、と心に誓いながら、私は主要キャラが待つであろう、王都へと想いを馳せるのであった。
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