第40話最後の最後は夫の顔で

――ドン、と大きな音がして、武器庫の中に巨大な瓦礫の山が現れた。


「え!?」

「何なに!?」

「これは……」


 ちょうどその部屋の奥で武器を見繕っていた、ミカエル、シルバー、ローズの三人。彼らはさっと顔を見合わせ、そして瓦礫の山に視線を向ける。


 シルバーとローズはまずそれが何なのかを探ろうと部屋の中央に近づいた。しかし、ミカエルはその場を一歩も動かなくても、もうそれの正体に気がついていた。


「……天秤だ……」


 いつになく厳しい表情でミカエルは言った。その言葉を聞いて、シルバーとローズの表情に緊張感が現れる。二人が改めて見ると、瓦礫の山は鈍く光る金色で出来ていた。折れた支柱のようなものや、割れた皿のようなもの、切れた鎖の破片のようなものや、針のようなものもあった。


「……ルキウス? 待って、ルキウスはどこ!?」


 ローズが叫んだ。こんなに大きなものが、単体で突然武器庫に現れるはずがない。ルキウスの瞬間移動で来たに決まっているのだ。しかし、肝心のルキウスの姿がどこにもない。


「ルキウスがいないの……シルバー、どうしよう。私……」

「落ち着いて。ローズ……大丈夫よ」


 動揺して崩れ落ちるように座り込んだローズの身体を、シルバーがしっかりと支えた。しかし励ましの言葉をかけるシルバーにも、この状況は絶望的だとわかっている。ミカエルの表情は更に厳しかった。ルキウスのオーラは天秤から感じるのに、本人がいない。どんなに考えても、そこから推測できる事はひとつ。


「……ルキウス……君は、天秤を守ってくれたんだね」


 死者を天国へ導くときのような慈悲に満ちた金の瞳で、ミカエルは穏やかに天秤を見た。一見修復不可能なように見えるが、この程度の損傷はミカエル一人でも修理が可能だ。ルキウスは、おそらくそれも分かっていたのだろう。だから命懸けで天秤を移動させた。


(煉獄の状況は、思ったよりも酷いようだ)


 勇者がいるという煉獄で、天秤が壊れた。サタンやクロムもそこにいるのだと考えると、二人にも天秤を守りきれないほど激しい戦いなのかもしれない。


(二人が勇者に負けるとは流石に考えたくないが……十三条は今どうなっているんだ)

 

 やはり、まず気になるのは十三条だ。シルバーとローズの聞き込みの結果、悪魔たちは口々に「魔王が戦争のために今日だけ不問にした」と言っていたらしいのだが、シルバーもローズもミカエルも、そんなことは全く信じていない。

 

(情報がないという事が、こんなに不安な事だとはね)


 いつもは疑問に思う前に、ルキウスが先回りして教えてくれていた。頼りになる天国の指導者リーダー。全てが終わったら、彼の功績をしっかり讃えようとミカエルが思った時。


 ドーン、と大砲のような大きな音が遠くに聞こえた。


「何!?」


 警戒したシルバーが、白い翼を全開に広げる。その肩口に顔を埋めていたローズが、涙に濡れた顔をあげた。


「……ごめんなさい。私のせいかも……すっかり動揺して、防護壁シールドが緩んじゃってたわ。少し待って……今すぐ張り直すから」

「無理もないわよ。ローズはここで休んでて。私が様子を見に行ってくるわ」


 シルバーは立ちあがって、気持ちを切り替えるように短く息を吐いた。ローズはその場に座ったまま防護壁シールドに意識を集中し、ミカエルがシルバーに銀色の銃を渡す。


「これを持って行くといい」

「あらいいじゃない。借りるわ」


 シルバーは水鉄砲を片手に持って、武器庫を出ていった。少し遅れてミカエルも、聖なる弓と小さな白い本のようなものを持ち、武器庫を出ていく。ひとり残ったローズは座りこんだまま、天秤の台座であろう部分にそっと触れた。命を懸けて守らなくてはならないのだと話していた、いつかの会話が思い出される。


「ごめんなさい、ルキウス……私が……」


 また涙が溢れて、声が詰まった。天秤は自分が守ろうと思っていたのだ。そのために設計した設置型の防護壁シールドも、材料も全て用意していてあとは組み立てるだけだった。こんなことが起こると思わなかったなんて、言い訳にもならない。非常事態なんてもとよりいつ来るかわからないのだから、徹夜してでも仕上げるべきだった。発明品に関することでこんなに悔やんだことは無い。


(命に代えても守らなきゃなんて、あんな事まで言っておいて……今、何よりもあなたに生きててほしかった、って思うのは、きっと我儘よね)


 同じ指導者リーダーとして彼を誇らしく思う気持ちより、今はただ、夫を亡くした妻としての悲しい気持ちを優先させたい。そんな事を思いながら、ローズは金の台座を撫でた。


 無機質な冷たい感触。これが彼の金髪だったらどんなにいいだろう。再び手を動かすと、今度は少し柔らかいものが手に当たった。最愛の夫の瞳のような空色に、ローズの視線が吸い寄せられる。


「手帳……? ルキウスの……」


 ゆっくりと手繰り寄せ、ローズはそれを開いた。普段からよく見ているその手帳にはローズの知っている事ばかりが書いてあったが、最後のページに新しい情報が加えられている。ローズは姿勢を正し、真剣にそれを読み進めた。


(これ、今日の! 今必要な情報ことだわ)


 ルキウスの小さな字で、走り書きで書かれた情報。消える前に急いで書いたであろう癖のある字体は、普通の天使には読めないかもしれない。しかし、他の誰に読めなくても、ローズにはしっかり彼の伝えたいことがわかった。


(十三条は有効。サタン様は勇者を傷つけられずに苦戦。クロムは腹部に重傷。勇者はミアの恋人、再会したから説得してくれるかも? 凄いわ。今知りたいこと全部書いて……あ)


 ローズは報告の全てを読んだあと、その文末で視線を止めて、しばらくじっとそこを見ていた。この癖のある字を読める唯一の天使、最愛の妻だけに向けたメッセージ。一番最後に添えられた小さなハートは、限られた時間の中で唯一出来た愛情表現なのだろう。


「ふふっ……ねぇルキウス。私も愛してるわ」


 小さな歪んだハートのマークにそっと唇を寄せて、ローズは空色の手帳を手に武器庫を出た。その背には白い翼がしなやかに広がり、表情は、夫を亡くした妻から守護の天使へと切り替わる。

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