第39話運命の天使は平和を願う
数刻前。悪魔が天使を攻撃しているという報告を受けたルキウスは、中心街の噴水の上で白い翼を広げ、呆然とその悪夢のような光景を見ていた。
「嘘だろ……?」
少し前まで平和だったその場所で、何人もの天使が雷に打たれ、炎に焼かれ、毒に溶かされ消えていく。魅了にやられたのか、抜け殻のように座り込む天使もいた。
死者の魂は既にいなかった。おそらく皆建物の中に入ったのだろう。怖い思いをしただろうが、死者はもう死んでいる存在なので、攻撃を受けようと死ぬことは無い。悪魔たちも死者たちに興味はないようで、明らかに白い翼だけを狙っていた。
比較的強い
「と、とりあえず避難っ! 無事な天使はこっちに!」
ルキウスはすぐに動いた。まだ生きている天使を集め、瞬間移動で城へ送り届ける作業を何度も繰り返す。街じゅうを回って無事な天使を探したが、いつもの中心街にいる天使の数を思うと、避難できた者は僅かだった。
「何があったの?」
瞬間移動を繰り返しながら、ルキウスは助けた天使に聞いて回った。天使たちはパニックになっていて、言葉を発せられない状態の者もいたが、辛うじていくつかの言葉が聞き取れる。
(煉獄、勇者、戦争……戦争の噂は元からあったし、十三条の問題を抜きにしたら、悪魔たちが仕掛けてくるのはまだわかる。でも「勇者」って何だ? 昔話のやつで合ってるかな……)
ルキウスは、あまり戦略めいたことを考えるのが得意ではない。今後の判断は仲間に任せるとして、今自分が出来ることは正確な情報を集める事だ。それには、自分の目で現場を確認するのが一番。
ルキウスはそう思い、この事をミカエルに知らせるように天使たちに指示をして、すぐに煉獄へ瞬間移動した。
(あれが勇者?)
煉獄では、勇者と思しき人間の若者が、逃げ遅れた最後の悪魔を斬っているところだった。悪魔の身体から黒い煙が噴き出し、消えていくのが見える。おそらくこうして、彼は何名もの悪魔を斬ったのだろう。傍から見れば彼は確かに、悪魔との戦争に天使側として参加しているように見えなくもなかった。
(どうしてこんな事に……あ!)
勇者は鋭く周囲を見回しているが、空高く飛んでいるルキウスの姿は目に入っていないようだ。しかしルキウスの方は、彼の正体に心当たりがある。燃えるような赤髪、剣を持ち慣れた逞しい肉体。彼の特徴は、以前ミアから聞いた、ドラゴンを倒した男の容姿と酷似している。そして彼こそがミアが最近付き合いをはじめた恋人だと、ルキウスは知っていた。
(ミアは知ってるのかな……でもやっぱり今は天国優先だ。天使たちを助けないと)
「みんな、こっちだ! 急いで!」
それからも、ルキウスは思いつく限りの場所に瞬間移動して、天使たちの避難を続けた。中心街や草原、花畑や少し遠くの小さな街。悪魔たちが攻めてきそうな場所に行き、多くの天使たちを連れて、ルキウスは休むことなく瞬間移動の能力を使い続けた。
間に合わず消えていった天使も大勢いたが、生き残った天使たちは皆涙を流してルキウスに感謝した。そうしてできうる限りの全員を城の広間に集めたあとで、ルキウスはやっと、改めて煉獄で見た光景について考えた。
(今頃、サタン様とクロムは勇者と戦ってるかな。ミアの彼氏ってとこも気になるし……十三条はどうなったんだろう)
気になることは主に三つだ。サタンとクロムの安否、勇者の動機、十三条の有無。特に、多くの悪魔が天使を殺している現場を直接見てきたルキウスは、この十三条がどうなっているのかが不思議だった。他種族を傷つけてはいけないという、この法の存在を知らない悪魔はいないはずなのに。
(確かめなきゃ)
ルキウスはまず、地獄へ瞬間移動した。考える前に動くのは彼の得意技だ。煉獄ではなく地獄を選んだのは、まずミアに会って、ミアに勇者を止めてもらうのが最も早く安全な方法だと思ったからだ。ふたりの間に何かがあったのか、それとも全く別の何かがあったのか、真相は本人にしかわからないが、ミアが重要な鍵であることは確かなのだ。
「ミアー! いる? おーい」
呼びかけながら探すが、ミアの姿はどこにもない。地獄の隅々まで飛び回り、ルキウスはついに最下層へ続く階段の前で立ち止まった。ここから下は、彼が死後の世界で唯一行けない場所だ。
(ここかぁ……いつもなら、数分くらいは平気だと思うけど……結構限界なんだよなぁ)
ルキウスは、背中に広がる白い翼をちらりと見た。先程からの度重なる瞬間移動で、自分の身体を包む聖なるオーラが随分薄くなっているのがわかる。この状態で最下層への階段を降りるのは、劇薬の雨の中を丸腰で歩くようなものだ。ルキウスは、そこで初めて考えた。自分の聖なるオーラの残量と、どうしてもやりたい、残りの仕事。
(計算は苦手なんだよなぁ……ミアを煉獄連れてくので一回、天国戻るのでもう一回……うん、ぎりぎりかな)
ルキウスはひとり頷いた。天使は力を使い過ぎると翼を失い、人間になってしまうと聞いたことがある。そして、天国に家族がいるルキウスにとって、人間になるのは死と同義だ。
(まだ力は残ってるし、あと二・三回はいけるはずだ。でも最下層には入れないしな。どうし……)
「え?」
ドン、と背中が何かに押され、ルキウスは最下層の階段を転がった。すぐに翼の端がチリリと焼けて、黒い煙が立ち昇る。
(まずいな。油断したっ!)
素早く体勢を立て直すと、階段の上に、逃げていく黒い翼がいくつか見えた。そういえば「戦争」の最中で、ここは「敵地」なのだったとルキウスは今更ながら思い出す。彼自身に全くその気はなかったので、迂闊な行動をとってしまった。
「ルキウスさんっ!」
すぐに脱出しなければと残り少ない聖なるオーラを集めたところで、視界に藤色の髪が入る。落とされたのも無駄ではなかったと思うほどのタイミングの良さだ。
「大丈夫ですか!? 何があって……」
「転んだんだよ。でも、君がいて良かった」
ルキウスは、悪魔のせいにはしなかった。慌ててルキウスの身体を抱えて飛ぼうとするミアに微笑みかけ、一緒に煉獄へと瞬間移動する。計算通りの動きだ。彼の翼が、業火に焼かれていなければ。
「あれ? ここ……煉獄? あれ?」
初めての瞬間移動に混乱しているミアをそのままに、大広間の端に出たルキウスは状況を把握しようと素早く視線を走らせた。
まず見たのは、サタンと勇者が剣を合わせている場面。絶えず金属音が響き、激しく戦っているように見えるが、よく見るとサタンは慎重に受けているだけだ。そして、合間にしきりに天秤の方を気にしているように見える。
(やっぱり十三条が生きてるから、勇者を攻撃出来ないんだ。クロムがいないな。天秤に何が……あっ、クロム!?)
次に天秤に目をやると白い光が目に入った。よく見ると、聖なる刃がクロムに刺さっている。それに気が付いた瞬間、もうルキウスは天秤の前に瞬間移動して、クロムの肩を叩いていた。
――ガッシャァァ―ン
クロムが相殺しきれなかった聖なる刃の残りが当たり、大きな金の天秤がガラガラと崩れていく。支柱は折れ、皿が割れ、切れた鎖がパラパラと落ちていった。痛みに顔を歪めるクロムを庇うように覆いかぶさりながら、ルキウスは天秤には目もくれず、まずクロムを気遣った。
「大丈夫? 凄い怪我だね……動ける?」
「……何があった」
しかしクロムを心配したルキウスの質問には答えず、彼はルキウスに質問を返した。ルキウスは苦く笑ってちらりと自分の背に広がる翼を見る。純白だったそれは半分ほどが焼けてボロボロに崩れ、背中から黒い煙がのぼっている。身体を覆う聖なるオーラは弱弱しく、消えかけているのは誰の目から見ても明らかだ。
「ちょっと派手に転んじゃってね」
「そんなわけ……いや、いい。わかった」
やはりルキウスは、悪魔のせいとは言わなかった。クロムもルキウスの真剣な表情を見て、それ以上の追求を避ける。ルキウスはあくまで、平和的な解決を目指しているのだ。「天国のリーダーが悪魔に焼かれた」と噂になるのは避けたかった。
「……最下層に転がり落ちるなんて、天国一ドジな天使だな」
「あはは。でもドジなのは事実だし……子どもたちに遺伝しなきゃいいんだけど」
「リリィは危ないな。既にお前にそっくりだ」
「かわいいだろ。嫁には出さないけどね……でも、クロムが認める男なら、ちょっと付き合うくらいは許してもいいかな」
「何故俺が」
「だって、君が気にいる奴なんて滅多にいないじゃない」
「……やはりリリィは嫁に行けそうにないな」
はは、と、空気のような笑い声が漏れる。白い翼が片方ボロリと崩れて落ちた。クロムの表情に焦りが走る。
しかし素早くシルバーの治療を受ければ、人間にはなるかもしれないがきっと生き残ることはできるだろう。天国には彼の家族もいる。こんな話をしている場合ではないと、クロムは追い出すように手を振った。
「さっさと行け。今ならまだ、シルバーが治せるだろ」
「ううん。まだ……最期の仕事が残ってる」
ルキウスは瓦礫の山のようになっている天秤を見た。壊れてはいるが、クロムが衝撃の大部分を受け止めたおかげで致命的な部品の損傷は避けられている。
これなら、数百年かけて修理すれば再び動かすことが可能だ。それには、これ以上の被害を防ぐために安全な場所へ持って行く必要がある。巨大な天秤の部品を余すことなく全て、天国一安全な武器庫へ移動する。これこそ命を懸けるに値する大仕事だと、ルキウスはどこか誇らしい気持ちで天秤を見つめた。
「お前……何を考えている」
しかしルキウスのそんな様子を見て、クロムの表情が厳しくなった。天秤の移動はかなりの力を使うはずだ。こんな時にそれをすれば、家族に会う間も無くきっと彼は消えてしまう。
「消えたら、二度と戻らないんだぞ」
「やだなぁ。それくらいわかってるって」
「お前の家族にはお前が必要だ」
「死後の世界には天秤が必要だよ」
クロムの説得も虚しく、ルキウスは立ち上がり迷わず天秤へと歩いていく。いつものような瞬間移動は使わない、彼らしからぬ緩慢な歩き方だ。クロムも急いで追いかけようとするが、傷が痛んでバランスを崩しているうちに、ルキウスはどんどん進んでいく。
「転んだついでに君も天秤も助けられるなんて、僕は本当に運が良いな」
「こんな事まで幸運と呼ぶなら、俺は二度と運を信じない」
「君にはこれが不幸に見える? ……なら、それでも全然いいんだけどさ」
天秤に手をかけるルキウスを見て、クロムは追いかける足を止めた。彼はもういつでも瞬間移動できるよう体勢を整えている。きっともうどんなに速く追いかけても、その手を掴むことは出来ないのだろう。
「悪魔の不幸は地獄の発展、だからね」
天国のような空色がクロムを映した。地獄の業火に焼けた翼が願うのは、普通の天使は知らないはずの、悪魔だけの合言葉。
「このささやかな「不幸」が、
「馬鹿な事言ってないで……ルキウス! 駄目だ、行くな!」
「クロム」
祈るように叫ぶしかないクロムに、ルキウスは微笑んだ。痛みも悲しみも綺麗に隠した、輝くようないつもの笑顔。今の彼は誰よりも『天使』だ。
「後はよろしく」
クロムの返事を待たず、彼は天秤と消えた。
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