第8話立つ鳥の跡は誰かが掃除する

「やっちゃったなぁー」


 クロムが煉獄の事務室へと向かっていたその頃。その事務室の中では、ひとりの金髪の天使が頭を抱えていた。常に快晴な天国の空をそのまま映したような空色の瞳が、今は散らかった床に向けられている。


「やっぱ片付けなきゃ怒られるよなぁ。それどころじゃないのに」


 彼はぐるりと部屋中を見回した。いくら見ても片付きはしないとわかっているが、どうにもやる気がわかない。彼は片付けが大の苦手だ。しかもこの部屋の散らかりようは、ちょっとやそっとじゃとても片付かないほどだ。


(あの青い鳥、全然捕まらないんだもんなぁー)


 金髪の天使は深い溜息をついた。彼は『運命の天使』ルキウス。瞬間移動を自在に使いこなし、天国から地獄の下層付近まで自在に移動しながらあらゆる情報を集め、日々起こる様々な問題解決に尽力している天使だ。彼は死後の世界全域で起こるトラブルをほぼ把握している。そして今日のトラブルは、ここ千年くらいの出来事の中でも上位に入るほどの緊急事態だった。


(魂抜き忘れました、か。初めて聞いたな。指導要領見直さないと)


 今日が初仕事の新人が、今日飼い主とともに天国にのぼるはずの鳥の魂を抜き忘れたらしい。動物は飼い主の付き添いなど特別な事情がなければ死後の世界に来ることはないため、動物の魂を抜くという発想がなかったそうだ。


 人間でも動物でも、死んだら肉体から魂を抜くのは当然の事だとルキウス含めベテラン天使は皆思っている。しかし、新人にはその前提がなかったらしい。教える側も完全に盲点だった。指導とは難しいものだ。


(その前に青い鳥、早く捕まえないと。あぁもう、片付けてる場合じゃないのに)


 地獄、煉獄天秤回りに事務室。彼は朝から青い鳥を追いかけて飛び回っている。特にこの事務室での追いかけっこは厳しかった。


 狭い部屋を自由に飛び回る鳥。ルキウスは瞬間移動を駆使して追いかけようとしたが、早々に彼の大きな翼が棚に当たって書類が落ちて散らばり、机の上に置いてあった紙も全て床に落ちたのだ。


 書類仕事が苦手で普段もほとんどしないルキウスには、もはやどれをどのファイルに戻せばいいかなんて、さっぱりわからない。しかも少し空いていたドアから青い鳥は逃げ出したのだ。せめて先にそこを閉めればよかったのだと反省しながらドアの僅かな隙間に視線をやったところで、その隙間は大きく開いた。


「またお前か」


 ドアの向こうには、クロムが立っていた。彼には今朝も地獄で会って、青い鳥事件の概要を説明している。ルキウスの顔に生気が戻った。彼は悪魔側のリーダーだが、とても頼りになるのだ。


「やあ、クロム! 今日はよく会うね」

「そうだな」

「もしかして書類探しに来た?」

「そのつもりだったが、来るんじゃなかったと思ってる」


 クロムがルキウスを見る時は、だいたい眉間に皺が寄っている。しかしルキウスは、それが嫌悪感から来るものではないことをよく知っていた。彼はいつも文句を言いながら、できる限りのフォローをしてくれる。面倒だと言わんばかりのその表情は、巻き込まれてくれる覚悟の証だ。


「あはは。クロムの正直なとこ結構好きだよ」

「俺も、お前の八方美人なところは嫌いじゃない」

「やったね!」

「いつも馬鹿みたいに前向きだなお前は……青い鳥はどうした」

「それが大変だったんだよ。暴れまわっちゃってさぁ」

「だろうな」


 クロムは、そこで初めて床に視線を合わせた。やはり彼も現実逃避したいようだと、ルキウスは少し眉を下げて微笑んだ。仲間だ。


「……これだけ大暴れしたなら、当然捕まえたんだろうな」


 クロムは深い溜息をこぼして書類を拾いはじめた。しかし残念だが、彼の望む成果報告はできない。青い鳥の現在の居場所は、ルキウスにもわからないのだ。


「逃げちゃった」

「言ってる場合か」

「想像以上に素早くてさ」

「お前は鳥より速いだろうが」

「速さじゃないんだよ。何だろう……そうだ、動体視力!」

「威張るな」


 会話しながらも書類を拾う手を休めないクロムは流石だ。ルキウスも彼にばかりやらせてはいけないと、急いで拾い始める。しかし、黙って作業するのはルキウスの最も苦手な分野だ。クロムが雑談を好まないのも知っているが、ルキウスの口は止まることなく最近仕入れた豆知識を語っていた。


 クロムは自分からは滅多に話題を振らないが、何を話しても聞いてくれるし相槌あいづちも打ってくれる。そしてその優れた記憶力で、一度聞いた話のほとんど全てを覚えている。ルキウスは密かに、情報を書き留めた手帳のバックアップとしてクロムを使っているのだ。歩く記憶媒体メモリーである。


「……で、その湧水を銀の皿に入れて月明りに照らすと、自分の一番大切な存在の姿が映るんだってさ」


 この日話題にしたのは、大切なひとが映るといわれる湧水の話。クロムなら誰が映るか興味があって話しかけては見たものの、やはりというか当然というか、彼は全く興味を示さない。


(相変わらず固いなぁ。もっと楽しめばいいのに)


 黙々と紙を拾いあげるクロムに倣い、ルキウスの手にも多くの書類が増えていく。やがて両者とも両手いっぱいの紙束を抱えた頃、再び事務室のドアが開いた。ルキウスの部下たちが雪崩れ込むように入ってくる。


「ルキウス様! 青い鳥が天国へ向かって飛んでいたと……」

「おっ、了解! ねぇクロム」


 ルキウスはクロムを見た。もう書類は全て拾ったし、あとは几帳面な彼が元に戻してくれるだろうか。クロムが何かを諦めたような覚悟したような顔でこちらに向かってくる。言葉に出しては言わないが、あれはアフターフォローを引き受けてくれる顔だ。この両手いっぱいに抱えた書類も、彼が受け止めてくれるだろう。


「後はよろしく」


 悪戯っぽく目を細め、ルキウスは山積みの書類とクロムを残したまま、天国へ瞬間移動した。




 

     ◇




 天国の城の周りをぐるりと囲む中心街。天国で一番栄えている街の中心で青い鳥を探していた天使たちは、ぱっと現れた金髪に駆け寄った。


「ルキウス様! 青い鳥がこの辺で目撃されたと……」

「よし、探そう。 噴水のあたりとか、水飲みに来るかも」


 ルキウスは街のシンボルとして有名な、大きな噴水の前に飛んだ。すぐに彼を歓迎するように噴水の上に小さな虹がかかる。部下がそれを不思議そうに見て、ルキウスに言った。


「ルキウス様が来ると、絶対虹がかかりますね」

「ほんとだね。またかかってる」


 ルキウスも虹を見て首を捻った。「虹がかかると幸せになれる」というジンクスがあるこの噴水だが、何故かルキウスが通りかかると必ず虹を見ることができる。


「これ、ほんとに普段かかってないの?」

「無いです。ルキウス様と一緒にいる時しか見た事ないですよ」

「さすが、強運の持ち主ですね!」

「そういえば、昔から運はいいかも」


 部下に言われたのは、何も噴水だけの事ではない。福引の当たりやゲームの引きなど、「運」が左右するものに関しては、彼はかなりの確率で当たりを引くことができるのだ。


「運命の天使かぁ……関係あったりするのかな」


 誰が付けたのかはわからないが、ルキウスは「運命の天使」と呼ばれている。「癒しの天使」のシルバーは文字通り治療や浄化などの癒しの力を使い、「守護の天使」である彼の妻ローズは強固な防護壁シールドを張ることで天国を守っている。しかし瞬間移動の能力しか使っていない自分が「運命」を名乗ることを、ルキウスは常々不思議に思っていた。


「運命の天使が、どうかしたんですか?」

「いや。なんで「移動の天使」とかじゃないんだろうと思ってさ」

「それはきっと、移動より運命の方がカッコいいからですよ」

「そんな理由!? ……あ」


 自信満々に頷く部下の言葉に突っ込んだところで、青い鳥がパタパタと目の前を横切った。


「あ、ちょっ、待って……!」

「ルキウス様! 網忘れてます」

「ありがと! えいっ! あ、逃げちゃった」

「素早いですね」

「これ無理じゃないですかね」

「諦めないで。無理でも捕まえなきゃ」


 噴水の周りをぐるりと回る青い鳥目がけて、ルキウスは何度か網を振り上げた。しかし小さな青い翼はひらりと網を躱し、城の方へと飛んでいく。


「あー……また行っちゃったよ」

「追いかけます!」

「ルキウス様は城へ瞬間移動してとんでください!」

「うん。ついでに応援も呼んでくるよ。僕たちだけじゃ無理そうだ」

 

 既に見えなくなった青い鳥の飛んで行った方向を見つめながら、ルキウスは言った。思い描いたのはシルバーとローズ。ふたりの指導者リーダーにも協力してもらった方が早く見つかるだろう。


「シルバーの飛ぶスピードはすっごく速いし、ローズは頭がいいから鳥の動きも読めそうだし。きっと頼りになるよ」


 実際にできるかどうかはわからないが、ルキウスはそう期待した。それに、応援を呼ぶ事にかこつけて少し休憩したい思惑もあった。彼は朝から休まず鳥を追い続けて、正直かなり疲れている。


「じゃ、行ってくるね!」

 

 部下にひらりと手を振り、ルキウスは仲間を呼ぶべく、今度は城の執務室へと瞬間移動した。

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