第3話殺し屋だって美女には弱い

「だから言ったろ馬鹿共が!」


 突然の死者の凶行に騒然となる周囲。サタンは彼らに叫びながらも、目では素早く逃げる青年の魂をしっかりと追っていた。クロムも同様である。


「どっち行きます?」

「俺あいつ追うわ」

「なら俺はシルバーを」

「じゃ後でな」


 短い話し合いを終えると、 二人は同時に床を蹴って黒い翼を大きく動かした。サタンは脱走犯を追い、クロムは天使の治療をするためにシルバーを連れてくる。どちらも一刻を争うものだ。


 

 サタンは黒い翼を動かし脱走犯に迫った。彼は人間にしては逃げ足が速いが、たとえどんなに走る訓練を受けていようと、弾丸のように飛んでくる黒い翼には敵わない。サタンは青年の前に回り込むと素早く脚に魔の力をまとわせ、鳩尾みぞおちに蹴りを入れた。


「ぐはっ!」

「俺から逃げられると思うな」


 今度は拳に同じ力を纏わせ、床に倒れ込んだ青年を一発殴って気絶させる。基本的に死者はもう死んでいるので傷つくことは無いのだが、こういう時のために、悪魔が使う魔の力にはある程度死者を痛めつける事ができる効力が備わっているのだ。


 サタンが気絶した死者を抱えて元の場所に戻ると、既にそこにはクロムとシルバーが並んで天使達の治療をしていた。先ほどの事件に恐怖を感じたのか、野次馬から天使の姿がほとんど消えている。血など見慣れている悪魔は全く平気だが、悪魔に比べて弱い天使は保身の気持ちが強い種族だ。当然の反応だろう。


「治るか?」

「勿論よ。でも少し時間はかかるわね」

 

 青年を抱えたまま覗き込むと、噛み千切られた腕を治している最中のシルバーは振り返らないまま言った。『癒しの天使』と呼ばれているシルバーは、天国一の癒しの力の使い手だ。彼女に治せない傷はない。


「もう捕まえたんですね」

 

 隣で天使の折れた腕を慎重に持っていたクロムが、ちらりとサタンの方を見た。ちなみに彼は炎や氷、雷などを自在に操ることができる、悪魔の中でもサタンに次ぐ強大な力の持ち主だ。クロムはその能力の性質から『破壊の悪魔』と呼ばれているが、サタンは彼がその能力で何かを破壊しているところを一度も見たことがなかった。


「当然だろ」

「怪我は」

「あるわけねぇだろ」

死者そっちの方にですよ」


 クロムが死者に視線を向ける。サタンは死者を固い床の上に降ろした。完全に気絶している。


「や、大丈夫じゃね? どうせ地獄行ったら焼かれるんだし」

「下層行きですからね」


 地獄は下に行けば行くほど温度が高くなる。上層は毒の沼や熱湯の大釜などがあり、中層には針の山や血の池とバラエティに富んでいるが、下層と最下層は常に燃えていて、死者の魂を絶えず焼いている。今からそんなところに行くのだから、先ほどサタンが蹴った傷など大した事ないだろう。心配するだけ無駄だ。

 

「そいつ、殺し屋の家系らしいですよ」

「まじか」

「彼は末っ子であまり殺しの経験も無いから、そこまで危険なことはしないと思っていたが……止めるのが遅れて申し訳無かった」


 そばで治療の様子を見守っているスキンヘッドの男が、申し訳なさそうに言った。彼は生前自警団にいたが、その地区で有名な殺し屋の一家を追い詰め、壮絶な戦闘の末に死に至ったらしい。


「彼らは富豪と手を組んで、浮浪者や貧しい者たちを地区から一掃する計画を立てていた。殺された者たちは、貧乏だが皆気の良いやつらでな……小さな子どもも何人もいた。どうしても……これ以上の被害を止めたかったんだ……」


 男は涙を堪えるように目頭を押さえていた。しかし治療中の天使たちは何も言わない。先ほど必死で殺し屋を擁護しておいて、急に手のひらを返すのは流石に気まずいのだ。それに、まだ少しだけ、青年の方を信じたい気持ちも残っていた。


「うっ、痛い……」

「余計なことをするからだ」


 痛みに顔を歪める天使に、サタンは冷たく言った。


「天秤を疑い死者に騙され。同情して殺し屋を天国行きにしろと訴えた挙句、不用意に近づき殺されかける。お前らの翼が黒ければとっくにクビだぞ」


  天使たちがびくりと肩を震わせる。しかし彼らをクビにする権限などサタンは持っていない。ミカエルならどうするだろう。数日間の謹慎で済ませそうなイメージだが、あれで意外に怒ると怖い。今回の事はきちんと報告しなければならないだろう。


 とそこまで考えた時、床の上に雑に置かれた死者がぴくりと動いた。


「意外と早いお目覚めだな」

「あっ、くそ、離せっ!!」

「お前殺し屋なんだって?」


 サタンは青年が立ちあがる前に、素早く彼を取り押さえた。サタンに両腕を拘束されながらも、青年が見ているのはスキンヘッドの男だ。


「何もかもお前のせいだ! お前のせいでまた殺しそこねたじゃないか! 天使を殺すなんて経験めったに出来ないのにっ!」

「ほら見ろ真っ黒じゃねぇか」


 サタンは呆れ顔で天使たちを見た。彼らは治療を受けながら、気まずそうに下を向いている。先ほどまでこんなに哀れな人間はいないとばかりに同情していたのに、今の印象は全く反対だ。どこからどう見ても地獄行きが妥当である。

 

「お前もう死んでんだから大人しく地獄行けよ」

「嫌だ! 家族とまた天国で暮らすんだ!」

「お前の家族じゃ天国行けねぇよ……」

 

 サタンが暴れる青年を押さえつけたまま冷めた視線を向ける。いっそ清々しいほどの厚かましさだ。


(さて。どうすっかな)


 このまま魔王自ら強制連行するか、それとも少し説得して態度を軟化させるか。サタンが迷っていたちょうどその時。


「あれぇ? なんか血まみれー。どぉしたんですかー?」


 場違いに可愛らしい声が響き、暴れていた死者の動きがぴたりと止まった。藤色の艶やかな長い髪、深紫の大きな瞳。大きく開いた胸元から見える谷間、きゅっと括れた腰、短い黒のショートパンツからすらりと伸びる、細くて長い脚。魅了の能力を自在に使いこなす『魅惑の悪魔』と呼ばれる悪魔が、小さな羽をパタパタ動かしながら近づいてくる。悪魔界のアイドルの登場に、周りの悪魔が浮き足立った。


「(やべぇ、ミア様だ)」

「(可愛い! 顔ちっちぇー)」

「(会えるなんてラッキー。今日めっちゃ仕事頑張れるわ)」


「ミア! いい所に来たな」

「サタン様。それだぁれ?」


 相変わらずすげぇ人気だな、と思いながらサタンは手を上げミアを呼び寄せる。不思議そうな顔で死者の顔を覗き込むミアに、青年の顔が赤く染まった。彼女は魅了の能力を使っていても使わなくても、男性の注目を集めるのが上手い。天性のモテ女だ。


「こいつ地獄行きなんだけどよ、行きたくねぇって駄々こねてんだよ」

「えぇー? だめだよ。決まった事に文句言うなんて、男らしくないなぁ」

「はいっ、すみません!」

「……お前俺の時と態度違いすぎねぇ?」

 

 すっかり大人しくなった殺し屋を呆れたように見て、サタンは彼を拘束していた手を離した。ミアの方に向けて背中を押し出し、もう戻ってくるなとばかりに大きく手を振る。


「じゃ、行ってこい。最下層な」

「はぁ!? さっきは下層って……」

「はぁーい! ねぇ。いっしょに行こっ♡」


 ミアは青年の瞳をのぞき込み、とろけるように笑った。たったそれだけの仕草で、思考を奪われた青年の顔から表情が消える。目を合わせれば思考を奪い、頬に唇を寄せれば相手を思いのままに操れる「魅了の力」。抜け殻になった青年の腕を取り、ミアはそのまま地獄に繋がる大きな階段を下っていった。


 こうして煉獄を騒がせた「殺し屋騒動」は、二人の天使の処分をのぞき、おおむね解決したのであった。

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