第4話悪魔だって恋はする

「クッロームせーんぱいっ!」


 その後、天使の治療が無事に終わったため、クロムは事務室へと向かっていた。後ろから聞こえる弾んだ声の持ち主を思い、反射的に顔をしかめる。飛んでいるのか、足音の代わりに小さめの羽の音がパタパタと聞こえていた。


「……ミア」

「お仕事お疲れさまですっ」

 

 振り返りもしないクロムの両肩に華奢な腕が回され、背中に豊満な胸が押し付けられた。しかしクロムの表情も歩く速度も変わらない。彼女はいつでも誰にでもこうなので、クロムは変に慣れていた。


「殺し屋は最下層に送ったのか?」

「もっちろーん。ちゃーんとお仕事してきましたよ」


 彼女はクロムの背中にぴとりとくっついたまま自慢げに言った。地獄の中でも、最下層は力の強い限られた悪魔しか行けないエリアだ。力の足りない者が行くと、強い炎に焼かれて灰になってしまう。


 彼女は地獄の中で三名しかいない「指導者リーダー」の中で最も若いが、その肩書に相応しい力の持ち主。いつも最下層行きの罪人を積極的に地獄に案内していた。


「私がお願いすれば、みーんな言う事聞いてくれますからね」


 ふふ、と笑う声は少女のように無垢でもあり、また蠱惑的な色香が混じっても聞こえる。地獄行きを嫌がる死者の担当に彼女以上の適任はいない。男性に限るが。


「せんぱいも、たまには私のお願い聞いてよぉ」

「俺は忙しい。我儘わがままならその辺の暇な奴らに聞いてもらえ」

「私が本気で誘惑してもなびかないのは、魔王様とクロム先輩くらいでしょ? だからおもしろくてぇー」


 ね。とミアがクロムの耳元に唇を寄せて囁く。

 

「一緒に休憩しましょうよ」


 クロムはそこで初めて立ち止まった。しかしその顔はいつもの無表情から少しも動かない。


「仕事の方がマシだ」

「……先輩ってほんと、ナンコーフラクって感じですよね。実際誰となら休憩するんですかー?」

「さあな。お前じゃないことだけは確かだ」

「さいてー」


 ミアが頬を膨らませる。その仕草は周囲の目を惹くほどの可愛らしさで、一緒にいるクロムに羨望の視線が集まった。しかし彼の頭の中は、この後の仕事の予定で詰まっている。早く事務室に行きたいのだ。


「……そんなに暇なら、あいつを誘え。ほら、お前になびかない奴がまだいるだろう」


 クロムは、ちょうど廊下の向こう側から歩いてきたもう一人のリーダーを指さした。『策略の悪魔』ケルベスだ。今日は杖をついて腰を曲げた老人の格好をしているが、この悪魔は変装が趣味で、毎日顔とスタイルが違っている。素顔がどんなものかは、クロムも見た事がなかった。


 ケルベスはクロムとその首に腕を回したままのミアを見て、揶揄うように笑った。


「珍しい組み合わせだな。仲がよろしい事で」

「断じて違う」

「えぇー、今日はおじいちゃんかぁ。こないだのイケメンの方が良かったぁー」

「そうか。こっちが好みか?」


 彼はにやりと笑うと、ポンと音を立てて変身した。黒い煙の向こう側から現れた好青年の姿を見て、ミアはあっさりとクロムの背中から離れてケルベスの方へと向かう。


「うん。これこれ! ケルベロスせんぱいかっこいい!」

番犬ケルベロスと一緒にすんな」


 ケルベスは眉を寄せた。彼女に限らず、彼は普段から地獄の番犬とよく名前を間違えられる。一時期真剣に改名を考えたほどだ。


「あれ? 先輩って、ワンちゃんと同じ名前じゃなかったっけ?」

「惜しいな。犬の方が一文字多い」

「……ケベロス?」

「ケルベスだって! いい加減覚えろよ」

「ごめーん」


 ミアは両手を合わせてケルベスを至近距離から上目遣いで見た。普通の悪魔ならその顔を見ただけで、何でも許してしまうほどに可愛らしい。ケルベスはなんとも言えない微妙な表情で、その瞳を見つめ返した。


「……お前さ、どこまで笑って誤魔化せるか試してるだろ」

「ふふっ、バレたか。ねぇ、今の角度かわいかった? それともー、こっちから見つめた方がいいかな?」


 ミアは角度を変えてケルベスを見つめ直した。口説いているわけではなく、単に魅了をかけやすい角度の研究だ。クロムは滅多に相談には乗らないが、サタンやケルベスはよく男性目線からのアドバイスをしている。今も、絶世の美女をあらゆる角度から眺めているケルベスの表情は真剣そのものだった。

 

「そうだな……左からの方がいいんじゃないか? あとはタイミングだな。不意打ちの方がグッとくるだろ、なぁクロム」

「俺に聞くな」

「えー。アドバイス欲しいー。化粧メイクとかどうですか?」


 ケルベスに意見を求められて心底嫌そうに眉を寄せたクロムだったが、ミアは怯まない。重ねて質問されて、クロムはようやくミアに視線を向けた。男女間のことについては全く興味が無いが、能力を使いこなそうとしている彼女の努力は認めている。

 

「……その距離で見ると、少し濃いかもしれんな。落とせるならもう一段階落とした方が近寄りやすい気はするが」

「あーなるほど。ふたりきりの時に気を抜いたカッコすると出る、俺のオンナ感ですね!」

「いやそれは知らんが」

「俺はなんかわかる」


 うんうんと頷くミアの言葉にクロムは首を傾げたが、ケルベスは同意した。薬指に光る指輪を掲げ、嬉しそうに頬を緩める。


「惚れた女が自分だけのものになるって、いいもんだよな」

「そういえば婚約したんだったな」

「あぁ、やっと決まったんだよ。彼女には少し渋られたけどな」

「そうなのか? 仲がいいのに意外だな」

「どっちに住むかで揉めに揉めてな」


 ケルベスの婚約者を知っているクロムは、普段の二人の様子を思って首を傾げた。ケルベスは苦く笑って自身の黒い翼を指す。彼の婚約者であるルシファーは『天使』だ。異種族間恋愛は禁止ではないが、大変珍しいケースだった。


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