1章 ミルドニア皇国-クロスフェイト士官学園-

第1話

  


 争いは、人の命を代償として、文明を発展させていく。生活を劇的に便利にするものが生まれるのは、決まって長く続いた戦争の後だった。


 国を越えて大陸に張り巡らされた鉄道もまた、その一つ。


 魔工列車まこうれっしゃ


 大陸北部を名産とする、魔力を帯びた鉱石が鉄鉱石と反発することに着目した軍が開発したそれは、長き戦争の後、兵士や戦いのための物資を最前線へと運ぶものとしてのみではなく、お金を払いさえすれば一般市民が普通に用いることのできる乗り物として、瞬く間に世界へと広がった。


 物語は、国と国を結ぶ、そんな乗り物の中から始まる。



 ◇◆



 一人の少年が、窓際の座席から列車の外を眺めていた。少年の名は、ライル・メイズリー。とある理由で、うまくいけば本日から住むことになるであろう新居への旅路の途中である。


 窓に映るのは、見慣れた顔。昔から育ての親である女性よりもよほど女らしいと言われた容姿だ。

 少年からそろそろ青年に移り変わろうかという年代に差し掛かってさえ髪の長さ次第では間違えられることすらあるため、目にかからない程度で整えている。黒い髪に黒い瞳を珍しさから奇異に見られるのも慣れたものだった。


 その背後に透けるように、色とりどりの花をつけた街道が先程から断続的に続くトンネルの合間に見えている。


 旅に旅を重ねる生活。

 周囲にまともな人間が数えるほどしかいなかったこともあり、花の名前には詳しくはないが、春を告げるとされるその木々の名前くらいは知っていた。


 ガタン、ゴトンという規則的な揺れと、前後に連なる座席。到着の時刻までは、眠るには中途半端な時間。日は未だ天高くあり、特段眠気を催しているわけでもない。


 (カレルは、ちゃんと食べてるかな)


 ライルの頭によぎるのは、育ての親の心配だった。

 そう思うのも親離れできていないということなのかもしれないな、と苦笑して、取り留めもなく今自分がここにいるまでの経緯を追憶する。


 偶然仕事で知り合った商人から話を聞いたのがそもそもの始まりであった。






「士官学園、ですか?」


 ライルは、男が思い出したように話に出した言葉に問い返した。

 護衛の依頼を受け、街から村への商人とともに街道を行く途中、仕事上の付き合いとはいえ、3日程ともに寝泊まりすれば、自然と日常会話くらいは交わすようになる。


 広まったとはいえ、未だに大きな街以外に行く場合は馬車で街道を行くのが常であり、戦争が終わったとはいえ、まだ盗賊も出れば魔物もいる。


 栄えた町の周辺ならまだしも、郊外に出ればとても治安も良いとは言えないこの国では、商隊の護衛という依頼はありふれたものだった。


 粗野なイメージを持たれることが多く、また、実際にそのような人間が多い傭兵の中において、物腰が穏やかで笑みを絶やさず、容姿も圧迫感を与えないライルは、こういった少人数の商隊の護衛をこなすことが特に多い。


 尤も、メインで依頼を受けたはずの育ての親が平和すぎてつまらん、といいながら酒を飲んでいるので仕方なく依頼主の相手をしている、という事情もあったが。あかの異名を持つ彼女が乗っているというだけで、まともな盗賊は寄ってこないし、危険に敏感な獲物も寄ってはこない。


「ええ、何でもミルドニアの皇子様が代表となっているそうですよ。身分に関わらず、試験に合格すれば入学できる上に、希望者には住むところまで提供されるそうです。私が聞いた噂では卒業生の方々が非常に優秀で評判がよく、今では他国の貴族も含めて様々な方が入学するそうですね。えっと、ライルさんは……」


「今年で一六、ということにしています。……あぁ、僕達の業界に携わる人間によくある話なのですが、物心をついた頃には自分の年齢がわからないこともよくあることでして、僕もその一人というわけです」


 年齢の後に付け足した言葉に、男が疑問符を浮かべるのを見て、ライルは補足するように言葉をつなげた。


「あぁ、なるほど。これは失礼しました。つまりは、ライルさんのような年代の方が大勢入学するということですよ。同年代と切磋琢磨できる環境というものはやはり良いものだと思いますし、人脈作りにも繋がります。うちも将来息子を行かせようかと思っておりましてな」


 そう言って微笑む男の息子は、まだようやく言葉を話し始めたばかりだということなので随分と気が早いことだが。本当に可愛くて仕方ないのだろう、よく会話の端々に息子と話題が出てきていた。


「色んな人が集まる、士官学園、ですか」


「……おや、やはりライルさんも興味がおありですかな?」


「いえ、各国から来るのであれば、僕のような容姿の人間も来るのだろうかと思いまして」


 ライルは黒髪に黒目という珍しい風貌をしていた。


 育ての親のカレルは紅の髪に赤眼であるし、目の前の商人も茶色の髪にグレーの瞳をしている。カレルは以前――戦場においての話だが――黒髪黒目の人間を見たことがあると言っており、そんな嘘がつけるほど気が遣える人間でもないため、全くいないという訳では無いのであろうが、ライル自身はまだ自分と似た風貌の人間には出会ったことはなかった。


 そしてそれ以上に、傭兵として各地を転々としてきたこれまでで、知り合ったのは実力も年も離れた人間ばかり。たまに商人などの息子や娘がいても、話が合うわけでもなかった。本当に友人と呼べるのは、傭兵仲間を含めても数人だ。


 だからだろうか、ライルがその時の話に、いつもの世間話以上に興味をもったのは。



 ◇◆



「カレル、ちょっといいかな?」


 士官学園について、商人と話してから二週間程たった頃、ライルは育ての親であり、師でもあるカレルに相談をしようと部屋の向こうで食後の爆睡をしているであろうカレルに声をかけた。


 内容はもちろん学園というものに行って良いだろうか、というものであり、今まで育ててもらったのに見返りも返さないまま二年も離れる、という我儘のようなものを交渉する――そのはず、だったのだが。


「……んあ? もう飯かい?」


 案の定、爆睡していたのであろうカレルは、少し梳けば流れるように美しいはずの髪をぼさぼさに、更には魅力的な胸元を隠そうともせず、薄手のネグリジェ姿で出てきた。


 足元から見える部屋の中には下着を含めた衣類が散乱しており、更には少し酒の匂いがこもっている。


(……三日前に掃除したはずなのに)


 声をかけるのに躊躇った心はどこへやら、頭を抱えながらライルは相談より大事なそれをまず口にする。せずにいられなかった。


「……あぁ、もう、またこんなに散らかして! っていうか、少しは前隠して! 大体話があるって言ってあったでしょ!?」


 ライル・メイズリーには、カレル・メイズリーに対して返しきれないほどの恩がある。


 生き抜く力どころか、存在している理由、自身の名前すらなかった自分に、ライルという名前を付けてくれ、何故かここまで育ててくれた。


 魔術にこそ全くと言っていいほどに才能はなかったものの、剣技に関してはそこそこ戦えるだけの技量も身につけ、ここ数年はカレルとともに仕事をするまでにもなった。尤も、強くなればなるほど実力には天と地ほどの差があることを思い知らされるばかりであったが。


 カレルは強い。


 その名は若くして戦乱の世にあって大陸に轟き、歴戦の傭兵たちとも対等以上に渡り合い、国に属する軍の人間すら恐れを抱く。


 女の身ながら、大剣を軽々と振りまわす膂力。

 鮮烈な紅の髪に現れているように、炎の精霊に愛された膨大な魔力。

 化粧っ気は無いものの、目を奪うような美貌がより凄みを増すのに一役買っている。

 幾度と無く戦場を渡り、道を阻むものをなぎ払い、破壊し、返り血に染まりながら全てを焼き尽くす紅の剣士。いつしか畏怖を込めて紅の鬼神とすら呼ばれるようになった凄腕の女傑。


 踊るように輝いて、戦場にきらめく姿を見ながら、ライルは育った。

 戦争が終わり、その後の各地に残る戦火の燻りも落ち着いた今も、その姿は、ライルに手を差し伸べた紅は目に焼き付いている。

 そんなカレルの身の回りの世話をして、ご飯を作って、少しでも強くなって仕事を手伝えればと思っていた。


 そう思って10年。

 今、目の前の女性を見ているライルの心には不安しかない。

 この類稀なる生命力と引き換えに、生活力が壊滅的な母親を本当に残していっていいんだろうかという、割りと切実な。


(うぅ、最強の傭兵が自室で餓死しそうで怖いよ……やっぱり)


 そんな事を思っていたライルだが、次の瞬間言葉を失う。


「行ってきな」


 眠そうな眼光を少しだけ強めて、そんなふうに言い放ったカレルによって。


「え……?」


「何驚いてるんだい、あたしだって馬車にはいたんだ、あんたが学園とか言うところに興味を持ったのは分かってるんだよ。――――わかりやすいからね、あんたは」


 未だ驚きを隠せていないライルを見て、カレルは微笑んだ。

 それはそう、まるで、愛しい子供に向ける母親の視線のようで、戦場のカレルしか知らないものが見れば驚くであろう表情。そして――――。


「…………好きに生きたらいい、充分過ぎるほど感謝は受け取ってるし、好きに出かけて、好きな時にいつでも帰って来ればいい。あんたの人生を、わざわざあたしに許可を得る必要はないさね」


 その言葉は、母親が旅立とうとする息子に向けた物以外の何物でもなかった。


「カレル……!」


「……ん? でもこれからあたしは何を食っていきゃいいんだろうね」


「カレル……」






(はぁ、一応ジンさんには頼んできたし、メイリルさんにも時々様子を見てくれるようには頼んだから大丈夫だとは思うんだけど)


 ライルは、出立前の出来事を想い口元に笑みを浮かべた。


 年に一度あるという長期休暇には様子を見に帰ろう、そう決めながらも、心はこれからの事について期待と不安に騒めいていた。


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