魔法世界に零れ落ちた少年は物理で抗う ~名もなき世界の物語~

和尚@二番目な僕と一番の彼女。好評発売中

序章

プロローグ


 物語の始まりはいつだったのだろうか?


 これは、ある世界の物語。

 軍記でもあり、恋歌でもある。

 冒険譚でもあり、日記でもある。


 名も無き世界における、ある人々の物語。



 ◇◆



 その場所では鉄の匂いが充満していた。

 死体―――死体―――数え切れない程の死体。


 人であった者がモノとなり、静かに冷たくなっていく。血は固まり、鉄の匂いを発し、時が経てば腐臭へと変わっていた。地は幾千もの血を吸い、塩分に強い草木以外は枯れ果て、僅かに残った木々も焼き尽くされている。


 男は、そんな中で生きていた。

 数えきれないほどの人間の返り血を浴びてなお、生きるという僅かな意思の叫びに身を委ね、ただ、殺した。


 死に場所を求めて、ここに来たはずだった。


 心の臓の病。数年前より蝕む、生命の尽きかけた躰。

 何もかも捨て去り、そして、罪深い自分は戦いの中で殺されるのが定めだと決めていた。


 ――そのはずだった。


「何で、あんなものを拾っちまったかね」


 そう、呟いた男の背後に、無言で佇む影が一つ差した。


「…………」


 構わず、独白のように男は続ける。


「全て整理して、捨ててここに来た。思い残すこともなく、病んで痩せ細って死ぬよりはと、ここで戦って死ぬつもりだった。珍しく、金も関係なく選んだ仕事は、気に入った国の為だったしな」


は、素直だ。まだ若く生きる意思もあるし、頭も良いようだ。しかし、何処の国から来たのか物も常識もあまりにも知らない。お前が拾わねば、すぐに死んだであろう」


 呟くような、嘆くような、そんな男の声に影は答えた。


「ったく、なんだかな。もうほっといても死んじまう体だとわかった後なのに、今更他人を放っておけなかった……どうやら、まだ俺はもう少し保つようだしな。最後の仕事だ。生きられるように叩き込んでやるとするさ」


「…………もしも、あれと共にもう少し平和な世を生きるのであれば、融通を利かせることはできる」


「平和、ね。国によっても人によっても移り変わるそんなあやふやなものより、自分の安全を守れる力を得る方が大事だってのはわかってるだろ? 今じゃ皇国の英雄様になったんだからよ」


「すまぬな、結局最後まで業を押しつける様で…………」


「いいさ。それ以外に生き方を知らないしな。――――あぁそうだ、一つだけ頼みがある」


「聞こう」


「あれが、この先を生き延びることができたら。そして、いつか俺のこの鼓動が止まりやがったら、できるだけでいい。あいつの事を見てやって欲しい」


「本来自由の身なる傭兵でありながら、義理の為、永きに渡り、我が国のために戦ってくれた『業鬼ごうき』の頼みだ。英雄とやらに祭り上げられてしまったこの身に誓い。皇国騎士団長、ガロン・セルナンデスの名にかけ、しかと聞き届けよう」


「ありがとうよ……さてと、ならば、明日からスパルタと行きますかね」


 そう言って、血に塗れた戦場で約定を交わした男たちは揃って目をやる。


 黒髪黒目。まだ幼い顔立ちをしているも、奴隷として売りに出されでもしたならば間違いなく高値がつくであろう美形の少年。


 来ている服は見たことのない意匠が凝らされている。

 穢れのない手足。血に塗れた自分たちには失われたそれ。




 「危ない! 避けろ!」


 数刻前、その声が男を救った。

 元々死を覚悟してその場に居た男を救ったその声は、しかして声の主である少年の生命を脅かす。

 得物も持たず、鎧に身を包もこともなく、戦場には不似合いなその出で立ちは、今にも血に汚れようとしていた。


 敵か味方かの判別もわからない少年を助けたのは、放っておいても死ぬ自分を助けたがために、若い人間が死ぬことが気に食わなかったことと、それの発する眼だった。


 混乱をしながらも、生きるためにすべてを見て考えようとしている目。


 だから、助けた。


 愛する女を守ることもできず、ただ、生命を喰らい、そして今果てようとしていた男にはもう発することのできない、これからを生きようという意思。

 奪い、奪われるを繰り返す人生の最後に、与えるがあっても良いのではないかと、そう思ったのはただの気まぐれにすぎない。


 だが、気まぐれに何かを残すということも悪くはないだろう。

 そう、思った。


「明日からは地獄だ、今だけはゆっくり休むがいい。もしお前が望むのならば……地獄を、生き抜くすべを教えてやる」


 男は、言葉など聞こえていないであろうその寝顔にそう声をかける。

 例え、そのきれいな手を汚させることになったとしても、この長く戦乱の続く時代は綺麗なままで生き抜くことができるほど優しくはなかった。


 だがきっと、それでもなお生きるということが、これからを形作ることにつながるのだ。

 そう、男は信じる。


 日が暮れようとしていた。また、明日昇るために。



 ◇◆



 絶望の訪れる順番を知っているだろうか。

 それは、少しずつ、でも確実にやってくる。


 痛いことはまだ我慢出来た。

 怖いのも、慣れるに従って感じなくなる。

 ――でも、どうしても慣れることも、耐えることもできないものはあった。


 寒い、寒い……寒い。

 

 ひもじい、ひもじい……ひもじい。


 …………寂しい。


 気がついた時には、もうここにいた。

 周りにいた同じような子どもたちは、色とりどりの髪と目をしていて綺麗なのに、僕のそれはくすんだ黒。


 不吉だ、と誰かが言った。

 

 ふきつ……?


 言葉の意味はわからないなりに、その色で、匂いで、僕はここにいてはいけないものなのだと思った。

 でも、そんなことを思っても、僕には何をすればいいのかも、どこに行けばいいのかもわからない。

 ……いなくなり方も、わからない。


 ただ、時折最低限与えられるものを口の中に入れて、すすきれた一枚の布でかろうじて寒さをこらえて、まだ他の幾人かのように冷たくなることもなく、ただ、馬車で運ばれていく。


 次の街で売れなければ、もう捨ててしまうかと、聞こえた。僕はなのだそうだ。


 入れ替わりは激しかった。


 街を訪れて、次の街にまた辿り着く。その間に、何人かがいなくなり、何人かが増えて、そして、何人かが冷たくなった。


 いつの間にか、僕の見ている景色は、黒と白の世界になっていた。

 あんなに様々な色が鮮やかにあふれていたのに、周りを見ても、どこを見ても、黒と白。


 ある日、周囲が煩かった。この場所では悲鳴は珍しくはない、でも、その日は子供達の聞き慣れた声ではなく、大人の声が聞こえた。


 暫くしたのち、大きな衝撃で世界が回った。

 訳もわからず外へと放り出される。少し痛いけど、平気だった。


 外の空気に触れて、いつもとの違いを感じる。


 鉄の匂い、血の匂い、何かのすえた臭い。

 ――そして、獣の匂い。



 グルルル……



 倒れた馬車に、倒れた大人達、なのだと話してくれたおじさんとお兄さんだった。


 残った人はみんな逃げてしまったのか、誰もいない。よく僕をぶった人も、煩わしげに見ていた人も、時折こっそりとご飯をくれた人も。

 ひたひたと、黒い影が大勢近づいてくるのを見ながら、ただ一つの感情を覚えていた。


 (おわりなのかな。しぬのかな)


 色を失ったそれは、少年には似つかわしくない諦観。

 自分を喰らおうとする意思の前に、何かを為そうとする気力もなかった。

 叫ぶことも、喚くことも、泣くことも、逃げようともがくこともせずただ、黙って見ていた。


「気に入らないね」


 そんな声が降ってきて、そして、周囲の跳びかかってこようとした黒い影が悲鳴を上げながら弾き飛ばされたのは、ほぼ同時だった。


「……赤?」


 不思議だった。

 黒い影から飛び出た血と、それを成した大きなモノを抱えた彼女にだけは、色があった。

 赤い髪、そして、一瞬で数体を切り裂いた大剣も血に染まり赤く見える。

 鮮烈な紅。赤よりも紅い。血の色。

 少年のモノクロの世界にあって、それらは輝きを持ってすら見えた。

 初めて見た、綺麗なものだった。


「ふむ…………騒ぎを聞きつけて様子を見に来てみればなんだかね」


 そんな事を呟いて、飛び入りの女は黒い影達をひと睨みする。

 先ほどまでの唸りと違い、恐怖と興奮が交じり合った獣たちの声。


「とりあえず、片付けてからだ」


 そんな呟きに違わず、女が続いて襲ってくるだけの胆力があった獣達を屠ると、残りは一目散に逃げ去っていく。

 そして、その間も少年は呆けたようにじっと女を見ていた。珍しく精霊の加護の無い黒髪黒目だが、そんなものよりも女にとっては気になるものがあった。


「……やっぱり気に入らない。あんたのその目、生きてない目だ。恐怖すら感じていない」


 その声に少しは反応するように、掠れたような声がこぼれる。


「…………い」


「あぁ? なんだって? はっきりしゃべんな」


「キレイ、赤……白でも、黒でもない」


 もう一度聴きなおそうかとも思ったが、嘘を言うようでも無い、というよりも感じたままに言葉を発しているに過ぎなさそうな少年の言葉に、女は笑いがこみ上げてくるのを感じた。


「あんた……クック、ハハッ! キレイ、綺麗かい、これが? あたしが?」


「うん」


 そんな少年に、彼女は問う。


「あんた、名前は?」


「ナマエ?」


「そうだよ、名前くらいあるだろう? なんて呼びゃいいんだい。親……はいなさそうだけどね。ったく、魔物の繁殖期に、護衛代をケチるからこうなるんだ」


 周囲を見渡せば、残骸と死体から、奴隷だったであろう事は想像できる。


 喰われているのが少年少女と、傭兵が二人。それも新人を連れた、中堅に至らない程度のレベルといったところだろう、もう一台あったのだろう馬車の車輪の跡を見ると、主人は逃げ延びたようだ。彼らを囮として。

 誰でも商売道具よりも生命が惜しい。例外もあるだろうが。


「おい、とか、黒いの、とか呼ばれてた。ボクの、名前。――――」


 そう、考えながら答える少年の腹が鳴る。

 それを見て、彼女がまた笑う。

 見た目に似合わぬ無気力な諦観とともに喰われそうになっていながら、いざ助かると、しかもこの血だまりの中で空腹を覚えるとは、どんなガキなんだと。


「そりゃ名前じゃないねぇ……ったく、仕方ない、あとで考えてやるかね、と。ほら、こんなものしか無いけどね、食うかい? 珍しいんだよ、あたしが誰かに何かをあげるなんてことは」


 ほら、と差し出されたものを、少年は不思議そうに見た。

 紫色の、丸く小ぶりなものが少年に差し出されている。

 

「……紫」


「あぁ、そうだね、見た目は悪くても中々美味いもんだよ、これも縁だ、食いな」


「!!……おい、しい」


 少年は、少しだけかじったそれから出てきた汁をなめ、そうつぶやくと、まるで初めてごちそうを食べたかのような顔であっという間にその果物――ライルの実を平らげた。

 そこにあるのは、幸せそうな笑み。


「ライル」


「?」


「あんたは、今日からライルだ」


「ライル……ライル?」


 少年は自分を指さし、何度も、何度も呟く。

 そして、何を思ったか、自分を指さし、そして彼女を指さし、何かを問うように首を傾げた。


「そうだ、あんたはライル、そして、言ってなかったね、あたしはカレル…………カレル・メイズリーだ」



 ◇◆



 それは、世界に数多くある出会いの中のほんの一部。

 だが、人と人が関わることで、小さな物語が動き出す。


 そして小さな物語が重なりあう時、小さな波が生まれる。

 生まれた波は波紋となり、少しずつ、少しずつ流れへと変わっていく。

 これは、終わりに向かう世界に零れ落ちた子供と、それに関わる人々の物語。


 名もなき世界の物語。


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