第6話 甲斐からの告白〜京都修学旅行事件前〜「――夏衣視点――」

 遡ること数時間前――。



    ✳✳✳



 私は仲直りした甲斐と二人で高台寺を訪れていた。


 ここはかの有名な戦国武将の豊臣秀吉の妻、正室のねねが建立した寺だから「ねねの寺」といわれる。

 さっきまでいた清水寺からはわりと近い距離だった。


「私、班長なのに他の子たちと別行動なんて良くない。早く合流しよう」

「さすが! 夏衣は真面目だな」

「甲斐は副班長だからね。分かってる?」

「分かってる。……おかしいな。昼飯食ったらしおりの計画表だとここに来る予定だろ?」


 日毬ひまりは宿のホテル前で集合だなんて甲斐に言ったらしいけど、やっぱり修学旅行は学校行事なんだから班行動じゃないと。

 昼食に行く予定をしてた湯豆腐や生麩料理のお店には日毬たちは居なかった。


「あーあ。携帯電話がないのが致命的だよな」

「しょうがない。中学生は義務教育だからね。だいいち修学旅行に持ってくるのはアウトだったろ。私はまだ自分用のスマホはないし」

「……俺もないけど。こういう時はあると便利だろうなあ」

「なくても、出会える気がする。日毬とは友達だから」

「ふふっ、まあ、そうだな」


 甲斐は意味深に笑った。

 たぶん『携帯無しだって俺もお前を捜し出せるぜ?』みたいなことを、甲斐は思ったのではないかな――と思った。


「俺が居なくなったら……。なあ夏衣、俺のことも捜せる自信ある? 俺のほうは夏衣を見つける自信がある。夏衣だってちっちゃい頃やったかくれんぼの時みたいにすぐに見つけ出してくれるよな? ちょっとやそっとじゃ切れない強い絆があるもんな俺ら」

「はあっ? さあね」


 甲斐は、こんな必死に皆を捜してるのに、なにを言ってんのか。

 私がキッと睨み気味に甲斐に視線を送ると、たちまち怒られた子犬みたいにシュンっとした。

 ちょっ、ちょっと! ……なんだ、その仕草は?

 ……可愛いとか思わせないでよ。


「夏衣ってさあ、ほんと冷てえな」

「そんなことはない」

「いいや、俺にはとくに厳しいし、ここんとこすっげえ素っ気ない」


 悠天兄や日毬に言われたばかりなのに、せっかく仲直りした甲斐と険悪になるのは避けたい。

 まったく……どうしてこう、甲斐のことかまってやりたくなるんだろう?


「なあ、夏衣? ……はぐれてもあれだし」

「んんっ?」

「あのさっ、手っ! お前の手を握ってもいいだろ?」


 私は何秒か考えた。

 えっと……、手を握る……。

 手を繋ぐってこと? 私と甲斐が……?


 こんな班行動から外れて手を繋いだりしてたら、見られて誰かになんか誤解されないだろうか。


 黙ったまま返事に窮していると、気づけば私は甲斐にぎゅっと手を握られてた。

 照れて朱い顔に染まる甲斐の顔がすぐ横にある。


 温かくって大きな手だ。

 ……温かい、変わらないな。

 大きさは遥かに私の手を超えたみたいだが。


 甲斐のぬくもりは変わらない。


 ずっと昔から。

 幼い時から、優しくて温かいこの手は私の心をホッとさせるのに充分だな。


 いつも不思議な感触、だった。


 二人で手を握り合うと、心にじわっと光が宿る。

 甲斐と手を繋ぐと元気な力が満ちて、また頑張れた。


 私は自分よりちょっとだけ背の高い甲斐の顔を見ると、甲斐が照れて笑った。


 そういえば、身長はいつ追い越されたんだっけ?

 私のほうが高かった身長は、中学生になったら同じぐらいになって、こうして甲斐のほうが高くなっている。


 甲斐と交わす視線の方向が下向きから上に変わって、いやでも甲斐が私より逞しくなっていく。

 少年っていうより、だんだん大人の男の人になっていく甲斐の成長が、私には眩しくも焦りでもあった。


 私だって強くなりたい。

 甲斐に負けたくない。


 体格差が出てきたからといったって、鍛えれば負けないはずだ。


 女子生徒のなかでは高身長でも、甲斐にはもう届かないんだな。

 身長差はそうそうコントロールは効かない。


 ――甲斐には負けたくないって、ずっと思っている。


「夏衣?」

「ああ、なに?」

「俺と手を繋ぐのいや?」

「いいや。そんなことないよ」

「そうか、良かった。……あのさ」

「うん?」


 私と甲斐はなんだか気恥ずかしい会話をし、高台寺の境内を歩きながら班の子たちを捜す。

 甲斐がふと、立ち止まった。

 手を繋いでいるので、必然と私も歩みを止める。


 黙ったまま甲斐が私と握った手を引っ張って行くと、暑い日差しをかわすように庭園の大木の木陰に入る。


 甲斐が繋いでないほうの手で、リュックの横ポケットに入った包み紙をさっと器用に取り出してきた。


「えっ?」

「そっちの手出して」


 スッと、私の出した手に甲斐が小さな包みを載せる。


「プレゼント。……夏衣に似合うかと思って」


 受け取った包みの重さは軽い。

 だが、ほころんだ甲斐の笑顔を見たら、とても大切にしなくてはならないものだと瞬間的に思った。


 私のためにと選んだ気持ちが入ってて、きっとあれこれ悩んでくれたのだろう。


「ありがとう。なんで? 早いけどもしかして私の誕生日プレゼントに?」

「えっ? ああ、違う。……夏衣の誕生日プレゼントは別に考えてるよ。ただ夏衣と仲直りしたら、似合いそうだしあげたかっただけ」


 こういうことしてくれるんだ。

 そうだった。

 さり気なく、甲斐は気遣いが出来るやつだ。


 私はじっとファンシーな柄の包装紙を見つめてた。


「開けてみて」

「ああ、うん」


 甲斐と繋がれた手がそっと離れた。

 さっきまであった甲斐の温もりはすぐさま逃げていった。

 ……少し。

 ああ、ちょっぴりだが、……寂しい……、などと思ってしまったのは私らしくないな。


 包装紙を開くと、桜のアクセサリーの髪留めがあった。


「……可愛い。ありがとう、甲斐」

「良かった。お前、地味なヘアゴムで結いてるのしか見たことなかったから、好みじゃなかったらどうしようかと思った」


 私は、ホッと息をつく甲斐の顔に見惚れていた。

 ――この時ばかりは、……自覚した。


 なんだろう?

 私……。

 甲斐の甘えてきたりとか、弱っちい本音を吐く姿が好きなのかも?

 いやいやいや、だいぶやばくないか?

 だって、甲斐の無邪気で本人が無自覚な甘ったれな部分が、私のなかの隠れた母性本能をくすぐる感じが、ちょっと甘ぁく胸をかすめていく。


 きゅ、きゅんとかしてんじゃん!

 甲斐相手に!

 どうしたー、私。


 分かった!

 ……守られたいより、守りたいってのが、まさか私の恋愛のツボなんじゃ……?


 愕然とした。


 甲斐は私と一緒に空手と剣道を嗜んでいるぶん、そこそこ強いが。

 きっと実力は五分五分ぐらい。


 そういうんじゃない。

 強さは関係ないんだ。

 いやむしろ、強いけど、甘えてもくるとこ。


 ま、まさかこれがギャップ萌えってやつですか?


 道場の稽古やバスケの試合とか普段の生活でもわりと男らしく、兄弟やチームメートとか周囲まわりを引っ張っていくぐらいの迫力と気概はある。


 だが、時折り私だけに甲斐が見せる弟みたいに拗ねたりしおらしくなってる姿……。

 あっ、思い出したら、ちょっとキュンっとしたかも。


 わー、わー!

 やだー、認めたくなーいっ!


 ま、ままままさか!

 私って……甲斐のことがそうとう好……き?


 私の心のなかの、お転婆で暴れた馬のような荒々しい部分が、甲斐との甘い雰囲気を拒絶する。


「つけてやろうか? その髪留め」

「いーやっ、いい! 今はいいから。あとで自分でつける」

「そうか……?」


 そんなにいかにも残念そうってふうな顔をするな、甲斐。

 あーっ、もうっ、かまいたくなるだろーが。


 正直、これ以上の胸キュンは心臓に悪い。

 どうにかなってしまいそうで。

 甲斐とのただの幼なじみの関係性は変えたくない。


 ふと感じる。

 視線と……、迷った雰囲気。

 ちょっと躊躇いがちに手が伸びてきて、甲斐が私の手をふたたび握った。

 

「竹久夢二が訪れたっていうかさぎ屋って甘味処で腹ごしらえしないか? 俺たち昼飯食べそこねてるから。いいかげん腹減った」

「そっか。食べてなかったな。私は空腹を感じてなかった」

「おい、まじかよ? まあ夏衣とデートでドキドキしてっからわりと忘れてたけど。中学生男子はいつでも腹が減ってる」


 今、聞き捨てならないひとことが入ってなかったか?

 えっと『デート』とかなんとか……。


「デート?」

「ちげえの? こういうのデートっていうんじゃねえのか?」

「わっ、分かんないよ。私はデートなんてしたことがないんだから」

「俺だってしたことねえよ。それに初めては夏衣とって、……デートするなら相手はお前が良いと思ってたし」


 はいはい、そうですね。甲斐はモテるのを忘れてた。

 甲斐は、デートしようとかって女子に誘われたことあんのかな?


「夏衣は悠天兄としょっちゅうデートしてんじゃねえの?」

「悠天兄と? あれはデートとか言わんでしょ。だいたい誘われるときは夕ご飯の買い物……」


 私はそこで、悠天兄に抱きしめられたことや告白めいたことを言われたのを思い出した。


「夏衣……? なんかあったとか? まさかなんか言われた? 悠天兄に」

「ない。ないない」

「本当か? 慌てた素振りがめっちゃ怪しいぞ、お前」


 あんなこと言えるかって。

 ここで甲斐に告げるのは、火中に油を注ぎさらにとどめの爆弾を投げ込むようなものだ。


 だいたい、悠天兄は私をからかったに過ぎないだろう。

 楽しそうに笑っていたのは、甲斐との恋路のおせっかいをやくのが嬉しいから。

 そんな冗談を本気にして、甲斐にいうだけ勘違いも甚だしい。

 悠天兄に好かれて想いを寄せられてるだなんて、とんだ思い上がりだ。

 口から出してしまえば、そんな言葉は拗らせるだけで、リスクもでかいぞ。

 覆水盆にかえらずというじゃないか。


 甲斐は考え込むような怪訝な顔をしてた。


「なあ、夏衣? ……俺と付き合う?」

「はっ? 甲斐、いまなんて言った? 付き合うとか付き合わないとか……、私の聞き間違いだよな」


 そっと抱き寄せられ、耳元で囁かれる。


「お前、変に無防備なとこあっから心配なんだよ。俺以外の誰のものにもさせたくない。――俺だけのものでいてほしいんだ」

「断る」

「諦めねえよ? 今日はとことん責め抜いて、夏衣にうんと言わせる」

「はあ――っ。甲斐も諦めが悪いなあ。……はっきり断る理由なんて説明がつけようがないんだ。漠然としてるけど、私は恋人といちゃいちゃしてる暇なんてないから」


 ぎゅっと抱きすくめられて。

 相手が甲斐だと安心出来てしまうから、そのままでいた。

 どんっと突き放すことも出来るけど。


 悠天兄に抱きしめられたときとは明らかにちがう、甲斐の腕に包まれてると胸の高まりがあったのを自分で感じていた。


「俺のお前への『好き』は迷惑?」

「……そういう聞き方はずるいんじゃないのか?」

「切り込み方を変えてみた。だってこの想いが一方通行な気がしない」

「……まったくもって策士だな。甲斐はずるいな、やっぱり。迷惑じゃない」

「じゃあ……。じゃあさ、好き? 夏衣は俺のこと好きか?」

「……」


 どうしよう。

 これ以上逃げられない、ごまかせないとこまで甲斐に追求された。


 ――認めたらどうなるんだろう。


 一種、楽になるような。

 解放感はありそうだ。


 観光客が通るたび、こちらを見ていく。

 私と甲斐は道のど真ん中にいるわけではないが、抱き合っていたら気になるんだろう。

 ……恥ずかしい。

 旅の恥はかき捨てとか、いうけど。


 甲斐もようやく、私と同じ羞恥心にかられたみたい。


「ずるい……か。いつまでものらりくらりと曖昧さでかわす夏衣も悪いんだぞ」

「ふふっ、甲斐は詰めが甘いな。そのまま良い雰囲気に流しとけば良かったのに」

「ええっ!? なんだよ、それ。夏衣、お前どういうことっ?」

「さあ? フッ、どういうことだろうね」


 私さ、危うく、甲斐が好きとか口走ってしまいそうだったぞ。






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