第14話〰極楽湯か、地獄湯か:中編〰
萬寿の湯に着いてから、しようと思って完全に忘れてたことが1個ある。
『①でありますように』とお祈りすることだ。
1階での出来事があまりに濃厚すぎて、すっかり忘れてた。
受付嬢おばさんの態度でめっちゃ慌てたけど、301号室のカギはすんなりと開けられた。結構危機的状態に陥ると私は強いのかもしれない。
(①であれ①であれ①であれ①であれ×301)
即席呪文で呼吸を整えつつ、いざ客室へ……。
ドアを開けると、靴を脱ぐ場所がまず最初に。左側にはドアが1つ。右側には大きな鏡が立てかけられている。狭い通路がほんの少し眼前に続き、先の部屋の壁には熊みたいな何かの掛け軸がかかっている。
通路を抜け、視界が開けた先には……
「おおおぉぉ……」
15~16畳くらいの和室か。中央からやや左寄りにちゃぶ台が1つ、座布団が1枚。畳張りの為か、どこか懐かしい匂いがする。
右側は大きな襖で仕切られている。開けて見るとそこはバルコニーのようなスペース。突き当たりの巨大な窓から見える景色は澄んだ川、大自然が広がる…。絶景だ。目下は宿の玄関が位置しているようだ。
景色を堪能した後、踵を返して和室へ戻る。そこにはまたドアが向かって右側に。廊下側のドアがユニットバスなら、これは何だろう。
押し入れもあった。開けてみると敷き布団や枕、重ねられた座布団が入っている。The☆宿、って感じがする。
和室のドアをゆっくりと開けてみる。するとそこには大きな鏡と洗面台が。私の背丈でも使いやすそうな絶妙な高さ。ちっちゃい平らでスベスベしたな石が床一面散りばめられている。
そして左側を見るとくもりガラス2枚の扉……。
まさか!!!!
「お、温泉だ……」
6畳くらいの広さか。全体的にこぢんまりしているが木でできた浴槽が右側に、その奥の小さな竹からちょろちょろと浴槽に向かって湯水が流れている。
どこの壁にも窓が無かったが、天井に1ヶ所窓があり、そこから日光が差している。湯けむりも相まって、ここも絶景だ。
石畳の床は洗面所と同じ。こ、これはつまり……
①!!!!!!!!!!
っしゃああああ!!!!!!!!!!
神様、ありがとうございます。これで人目を、気にしないで済むんですね……。
神に多大なる感謝を。あと、贅沢言わないのでこの透明な体を元に戻して下さい……。
さて、今回予約したプランは6時間のコース。今は11時20分くらい。まだまだ5時間以上も時間がある。宿泊プランでは無いから荷解きも必要無い。
「よーし、そうと決まれば……♡」
私は洗面所で完全透明になるため、メイク落としをせっせと始めた。みるみる透明になっていく。手慣れたものだ。
しかし、ここから徐々に歯車が狂い始める。
神はほんとに贅沢を聞いて、私に天罰を下したみたいだった。
…約15分後、透明化完了。
何も見えないけどもう驚かない。胸が邪魔。消えて欲しい。視覚的じゃなく物理的に。揺れるし何かするたび自分の二の腕に当たるんだよ。
透明状態で、和室に戻る。タオルを用意し忘れた。
メッシュのバッグの中にはフェイスタオル2枚、バスタオル1枚、あと焦げ茶色の館内着上下が入っていた。うん。凄く良い。
タオル1式を洗面台に置き、いざ浴場へ。あ、フェイスタオルだけ持っていこうかな。
湯気のおかげで、うっすらと自分の体が浮かび上がってくる。自分だけの空間だ。何も気にする必要ない。
掛け湯をしてから、いざ入湯。
「はうっ……。」
ちょっといつもの風呂より熱い。無意識に吐息が漏れてしまう。だけども……
「はあぁぁ…………♡」
なんて気持ち良いんだ……。身も心も浄化されていくようだ。
もう消えちゃいそう。既に消えてたわ。何回言わすねん。
水の精霊みたいな手でそれぞれの肩にお湯をかけてみる。……あぁ、神。
「いい湯だ……」
日の差す天井に左手をかざす。依然眩しさから私を守ってはくれないが、水滴のついたその腕はキラキラ輝いて綺麗に見えた。
「……さて、頭洗おう」
湯船から上がり、備え付けのシャンプーやボディソープが置かれているシャワーに向かう。ちょうど浴槽から対角の位置、部屋の片隅。
背もたれの無いイスに座り、シャワーで髪を洗い始める。
透明だと目を瞑ったままでも物の位置が分かるため、シャンプーが目に滲みない。少し便利。
顔まで洗い終えた後、タオルで顔を拭く。
身体を洗おうとして、何か女性の声が聞こえてきた。受付おばさんではないようだ。
はしたないが、濡れたままで洗面所の出口まで歩いていく。髪から水をポタポタこぼしつつ、すっぽんぽんで。
「すいませーん!!昼食のお時間なので、伺ってもよろしいでしょうか!!」
…………。
あ!!!!
そういえば申しこんだ時『6時間コース』って書いてあったけど、昼食が含まれてるから『コース』だったのか!!!!!!!!!!
今気づいた!!
「あのー!!お客様ー!?……あれ、カギ開いてる……具合でも悪いんでしょうか!?何度かお声がけしましたがお返事無いので失礼します!ガチャ」
カギかけ忘れてたああぁぁぁ!!!!!!!!
だからってなぜ部屋に入ってくる!!!!!!!!!
こちとら温泉でくつろいでんじゃい!!!!
「あれ、誰もいない……。お客様ー?ご入浴ですか?」
相手は何か女将さんみたいな人だろうか。さっきみたいなバカでかい声ではない。落ち着いた印象を受けるが、声色だけじゃ何者かわからない。どこかから目標を確認したいが、ここから和室を見る術は一切無い。
……ここはドア越しで声を掛けて、昼食を和室にでも置いてもらって、早々にご退室願おう。
透明な渚「は、はーい!今お風呂中です!すいません、お食事は和室に置いていってもらえませんかー?」
女将?「あ、はい、承知しました。どうぞごゆっくりおくつろぎ下さいませ。お騒がせしました。失礼します。」
その後、ドアの閉まる音がした。後は勝手に昼食を置いていって、おしまい。
ああぁぁぁ……カギ閉めとけば良かった。そうすれば「外に買い足しに行ってるかも」とか都合よく解釈してくれただろうに。
肝も身体もすっかり冷えて、また私は温泉へ向かう。もう1回暖まろう。まだまだ時間あるし。
しかしこの時、ある点を私は失念していた。
浴場からの往復で床がビチョビチョに濡れている点だ。
石畳の床は滑りやすさが増し、早く浸かりたかったから自然と歩く速度も早かったので……
「うわっ!!!!!!」
私は思いっきり前に転んでしまった。ベチンと大きな物音を立て、両胸を思いっきり潰した。
透明な渚「い…………っったぁい」
女将?「えっ!?お客様!?大丈夫ですか!?」
……しまった!!料理運んでる最中だった!!
女将っぽい人の足音もこちらへ近づく。
イヤ、こっち来ないで!!!
今の私は水で濡れた状態。つまりボディラインが丸見え。
両胸を押さえつつ立ち上がり、姿を見られないよう私は浴場へと逃げ込む。
くもりガラスの扉を閉めたのと同時に、洗面所に女将っぽい人が入って来た。
女将?「お客様!?今浴場ですか?」
透明な渚「っ……。はい……。」
女将?「大きな音がしたので伺いました。どこかお怪我は?」
透明な渚「はい……。大丈夫で…………痛っ!」
女将?「!?どこか痛むのですか!?ちょっと失礼します!」
……ヤバい!!!!!!!!!!女将がこっちに来る!!!!!!!!!!
ここからどうする……!?どうすれば……。
つづく
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