入れ替わった人生

本庄 楠 (ほんじょう くすのき)

第1話   出産

 山口産婦人科病院は博多駅から歩いて十五分くらいで着くところにあった。

 福岡市では、一番大きな産婦人科病院であった。評判も良かった。

 野中育代は昨日、ここでお産を済ますことが出来た。でも、生み終えるまでは大変であった。陣痛が始まったのが午前十一時過ぎで、生み終わったのが十八時であった。七時間もかかったのである。

 誕生した赤ん坊は男の子の三つ子であった。

 彼女は三十八歳であった。そして、初産であった。多胎児である事は妊娠初期から把握していた。出産に当たっては病院側としては特に、母体の危険性を説明したのだった。何と言っても高齢出産である。また、多胎児は低体重児の頻度も高く、死産や生後に死亡するケースも多く、生まれてくる赤ん坊の危険性も危惧されたのである。

 でも、育代は生むことに執着した。

 彼女は三十歳で結婚して以来、初めての妊娠であった。彼女としては、この機会を逃しては、二度と子供は持てないと思ったのである。と言うのは育代は未亡人であったからである。

 育代の夫の野中昇は福岡市の長浜町でラーメン屋を経営していた。店名は『一龍軒いちりゅうけん』と云った。味が評判で価格もリ-ズナブルだったので、馴染みのお客さんも多く、長浜町では一番繁盛していた。

 昇は育代が妊娠したのを知って、非常に喜んだのである。彼は舞い上がっていた。

「赤ん坊が生まれてくるからには、俺も、もっと頑張らなくちゃ」と大いに張り切った。今までは、二十時に閉店していた店を二十三時までに営業時間を延長して働いた。育代と従業員の武夫を帰した後、ひとりで二十時から二十三時まで店を営業した。そして、翌日の仕込み準備を終えてから帰宅していた。

 昇は頑張り過ぎたのである。毎日の長時間労働がたたったのであろう。つい三ヶ月前に、店からの帰宅途中に那珂川の支流の博多川に車ごと突っ込んで死亡したのである。多分、居眠り運転だったのだろう。この時、彼は四十歳になったばかりであった。

 ラーメン屋は従業員だった武夫が希望したので、居抜きで貸すことにした。武夫は妹と二人で営業していくことになった。店名は『一龍軒』をそのまま承継した。

 店の名義は昇から育代に変更した。武夫とは毎月二十万円の家賃で契約した。

 

 昇たちの住まいは福岡市の博多区の冷泉町にあった。両親と一緒に住んでいたのである。博多祇園山笠でも有名な博多の総鎮守、櫛田神社がある上川端町にも近く、川端商店街もすぐ傍であった。冷泉公園も近かった。

 家は木造の平屋で、部屋は三部屋あった。六畳の居間と八畳の座敷、それに四畳半の納戸があった。そして、台所とトイレがあった。この家には昇が小学生までは風呂が無かった。近くの銭湯に行っていたのである。銭湯は家から歩いて五分くらいの所に『浅野湯』と云うのがあった。

 当時はまだ、この商人の町は家庭風呂がある家の方が少なかったのである。昇が中学生になった年に、父親が、家の横の空き地に小屋を建てて風呂場を設置した。その時から、やっと風呂のある家になったのである。でも、家庭としては、経済的には貧乏でもなく、金持ちでもない極々普通の家庭であった。

 父親は大工で、母親は川端商店街の帽子屋で店員として働いていた。

 昇には二歳下に妹が居た。彼女は十年前に全国チエ-ンのス-パ-サンエイの社員と結婚していた。結婚後、旦那は二回転勤になったが、今は鹿児島店で紳士服のマネ-ジャ-をしている。妹夫婦は鹿児島市に住んでいた。

 大工の父親は、今年六十三歳で、所属していた工務店から請け負いの仕事が来た時は働きに行くが、それ以外の日は家でブラブラしている生活であった。

 母親は五十六歳だった。今、勤めている帽子屋が、働ける間は来てくれと言って呉れているので助かっている。個人商店なので定年等は無かった。

 産後の育代の体調は、あまり良好とは言えなかった。本来、それ程、強健では無かった上に高齢出産で、多胎児出産である。入院中も体調がすぐれない日が多かったのである。

 七月二十日が退院予定日だった。育代は悩んだ。このまま冷泉町に三人の赤ん坊を連れて帰っても、ちゃんと生活していけるかどうか不安であったのである。

 彼女は自分の両親に相談した。そして、昇の両親にも一緒に参加してもらって、今後の母子四人生活についての対応策を話し合うことにしたのだった。

 育代の実家は鹿児島市であった。父親は鹿児島市内で不動産業を営んでいた。母親も宅地建物取引主任者の有資格者で、父親や店の従業員たちと一緒に事務所で働いていた。

 育代が昇と知り合ったのは大学生の時であった。ふたりはどちらも北九州大学で、テニス部の先輩と後輩であった。昇は四年生の時にテニス部のキャプテンをしていて、その時からの付き合いであった。昇は大学卒業後、家具店に勤めたが、四年間勤めて辞めたのである。そして、ラーメン店のチエ-ン店の一楽亭に入った。そこで三年間修業して、フランチャイズのラーメン店を持って独立したのだった。

 一方、育代は大学卒業後、ひまわりドラッグに入社して、福津市の店で働いていた。二人の交際はずっと続いていて、昇がラーメン店を持った時に二人は結婚したのである。育代は結婚と同時にひまわりドラッグを退職した。そして、昇のラーメン屋で一緒に働く事になったのである。

 二人の間には、なかなか子供が出来なくて、やっと出来たと喜んでいた矢先に夫は死んで居なくなってしまったのである。育代は三人の乳飲み子を抱えた未亡人になってしまったのである。 何でこんな目に遭わなければならないのかと神をも恨みたくなったくらいであった。

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