I Love (or You Love)

大村あたる

第1話

 初めて生で見たセックスは、同級生同士のセックスだった。


―――――――


 教室掃除後のゴミ出し。誰しもが面倒がるその作業を毎回僕が買って出ていたのはひとえに面倒な押し付け合いが嫌いだったからだ。各々早く帰りたい理由があるのは分かるけど、その話し合いに時間をかけたんじゃ本末転倒もいいとこだろう。

 ……決して仲がいいわけでもないクラスメイトとの腹の探り合いが耐え切れなかったわけではない。決して。

 高校の一教室から出るゴミの量なんてたかがしれていて、一人で運ぶのにも苦はなかった。持ったことはないけどきっと赤ん坊より軽い。どちらかといえばゴミ出しが嫌われる理由は二つで、一つは下校時刻が遅くなること、もう一つは敷地の端にあるゴミ集積所に行かなければならないこと。

 県内でも僻地に建っている我が学び舎は相応に敷地面積もバカでかく、そしてゴミ集積所は何故か正門から校舎と校庭を挟んだ先、敷地ギリギリの場所に設置してあった。一応臭い除けという名目らしいが正直周りの畑から香ってくる肥料の臭いの方がよっぽどひどい。

 

 日の高さでしか記憶していないのだけれど、その日はたしか少しだけゴミ出しに行くのが遅かった。理由は覚えていない、きっと話ながら掃除をしていて〆が遅くなった、とかそんな些細な理由だったはずだ。

 ゴミ袋を肩にかけ、校庭の端をなぞるようにぼてぼてと歩く。部活の予定も特になし、帰ってすることも特になし、おまけに遊びの用事もなし。ゆえにゴミ出しを急ぐ必要もなし。悲しくなるほどのないないづくし。そんな状況にもこの半年ですっかり慣れてしまった自分が一番悲しい。

 入学時に抱いた淡い希望はすっかり色褪せ、今や流れてくる青春の香りを嗅ぎながらまっさらな白飯を涙と共にほおばる日々だ。校庭から響く原色そのままの運動部の声は、自分のモノクロの学生生活を彩るにはあまりにも輝きすぎていて、背中で受けるぐらいがちょうどいい。

 進級時のクラス替えでなんとかならないかな、なんて未だ捨てきれない擦り切れた希望に思いを馳せながら歩を進めていけば、いつもどおりのゴミ集積所へとたどり着く。ギィギィと鳴る古びた扉を開け、ゴミ袋をより大きなゴミ箱へと叩き込む。いっそこの希望もここに捨てて行ってしまおうか。どうせクラス替えがあったところで仲良しグループの輪はそう簡単に途切れないのを、中学三年間で嫌というほど思い知った。

 もうすっかり涼しくなった空気を浴びながら集積所を出て扉をゆっくり閉める。扉は長年の使用に耐えかねすっかり歪んでいて開け閉めには少しだけコツがいる。もっとも他のゴミ出しに来る学生はそんなこと知るわけもないので、力いっぱい開け閉めしているのだけれど。このギィギィ鳴くだけの扉を労わっているのは僕一人だけだ。

 周りはもうほとんど陽が沈みかけていて、校庭では運動部用の照明が点灯していた。反対に周りの暗さはより強調されて、それがなんだか惨めだった。

「……帰るか」

 誰に言うでもなくそう呟いたとき。


 微かに。

「……いいの?」と。近くで、女性の声が聞こえた気がした。


 思わず周りを見渡す。照明に照らされた校庭側では運動部がなおも声を上げていたが、この距離では言葉が聞き取れようはずもない。それはテニスコートやプールの方も同様で、校舎なんてもってのほかだ。なによりそちらの方から僕の方まで届くような叫び声であったなら、僕以外の人々もそちらを気にしているだろう。

 運動部の声にかき消されないよう、注意深く耳を澄ます。

 聞こえてくるのは、集積所の壁をすり抜ける隙間風の音、畑の草葉が擦れる音、コオロギの鳴き声、川のせせらぎ。

 そして男女の、ちいさなちいさな話し声。

「いいんだよ、どうせこんなとこ誰も来ねえんだし」

「ほんと?」

「ホントホント。ゴミ出しなんて面倒なの皆さっさと終わらせてるからこの時間は誰もこーねの、ここ。だからさ、いいだろ」

 声のする方へそろりそろりと歩いていく。

 見つかってはいけない。何故だか、そんな気がした。

「んー。まあ、いっか。そういうことなら。わたしも、一回くらいやってみたかったし」

「ヒャッホウ! やったぜ!」

「おっきな声出さないの。ゴムは?」

「そりゃあるさ。ほら」

「そういうとこだけ準備いいんだから。ほら、やるなら早くやっちゃお」

 声の主たちはゴミ集積所の裏、学校の低い塀との間にいた。集積所のレンガの陰から頭半分だけを出し様子を眺める。女子の方はスカートをたくし上げ、男子の方は我慢ならないといった風にベルトを外している最中だった。

 頭では完全に出歯亀だと分かっていても、身体は目を離せなかった。自分が手に入れられなかった青春の、その最も色濃い部分の一つが、そこにはあった。

「はじめてってわけでもないでしょ、ナニそんなに興奮してるの」

「いやあ、こういうシチュって燃えるじゃん? 背徳的? っていうか?」

「……少しは分かんなくないわけでもないけど。けど、だからってそんなにギンギンになる? 前やったときの一倍半はある気がするんだけど」

「そういうお前だって濡れてんじゃねえの? ほら」

 そう言って男子は女子の股間に手のひらをあてがった。身体がビクッっと跳ねたあと、女の子は驚いたように目を丸くした。

「……ほんとだ。感度も上がってるみたい」

「な? やっぱいいんだよこういうの。マンネリ解消にもなるって聞くし定期的にやろうぜ」

「それは今後次第」

「つれねー。ま、そこがいいんだけどな」

 そう言うと男子は女子に身体を被せ頭を自身の頭へと引き寄せた。後ろに回した腕は徐々に下へと落ちていき、肩、胸、腹と順に彼らの身体を重ね合わせ、そして。


 腰を、重ね合わせた。


 今度は両者の身体がビクリと跳ねる。彼らはいっとき驚いたように顔を合わせ、そして笑いあったのちまた身体を密着させた。

 小刻みに揺れる身体と身体。こちらまで迫ってくるような熱気。少なくなる口数。どれも画面や紙面の向こうでしか見たことの無い世界で、僕自身が憧れた世界で、そしてなにより、目の前に広がっている、現実の世界そのものだった。

 こんなにも暗いはずなのに、そこだけがとても鮮やかだった。むせかえるような強烈な香りがした。本当にそんなの臭いだったのか、本当にそんな色だったのかはいつになったって分からなかった。けれど、その時の僕がそれらにあてられていたのは確かだった。どれくらい経ったか分からなくなり、彼らが同時に果てたとき、僕もまた、果てた。

 彼らが身体を逸らし合い、僕が身体をくの字に折り曲げ、そして再び顔を上げたその時。


 それまで眼の合わなかった彼女と、眼が合った。

 合って、しまった。


「ちっ、ちがっ」

 思わず口を突いて出たのは、感嘆詞でも、謝罪でもなく、弁明だった。何が違うのかは今でも分からない。

 そうして自分の台詞を言い切るよりも早く、僕は背を向けその場から逃走した。幸いゴミ出しは済んだ後だったので荷物はなく、塀沿いの暗い道には誰もいなかった。だから、誰に出会うこともなく、追いつかれることもなく、僕はその場から逃げだせたのだった。


 家に帰っても、食事をしても、風呂に入っても、瞼を閉じても。

 彼らの姿は、鮮やかに、美しく、僕の脳裏に焼き付いたままだった。

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