Auroraの雨

白雪工房

第1話

 私は言う。

オーロラの雨だよ。

南極だか北極だか知れないどこか遠い場所から虹のきらきらした結晶が降り注いでいるのだと。


 君は言う。

アウロラの雨だよ。

曙のまだ差し始めたばかりの光を切り取った金を混ぜ込んだ雫が世界に朝の到来を示すのだと。


 君は読書家で重厚な存在感を放つ、私には分厚いばっかりの、小説を好んで読む人だった。いつも最もらしい比喩を使いたがり、しかし、私にはその比喩が理に適った素晴らしいものとは思えなかった。


 私はその逆で(といっても真逆ではない)、かわいらしい挿し絵付きの絵本を読むのが好きだった。アンデルセン童話を始めとした物語に育てられた人間だった。大人になった今でも絵本を読んでいて、それを知っている友人はいつも私が絵本の話をすると苦笑いを浮かべる。


 物語、文章と呼ばれるものは極めて自由な媒体で。だからこそ誰がどんなものを読むべきなんだとかそういうものは無い。そう、常日頃から思っていて、だから僕と君は出会ったのだろう。


 僕は小難しい小説を好んで読むタイプの人間で、その癖周りにはそういう読書家が居なかったから理解、共感を得られずに困っていた。君もそうだった。君は絵本が好きで、だけどその趣味を誰も理解してくれないと愚痴っていた。


 だから僕らは意気投合して、それから気付けば結婚する段階まで進んでしまった。いつのまにか流されるように、例えば、難破した船の乗務員がしがみついた板ごと無人島に漂着するように、僕らは気付けばそういう段階まで来てしまったんだろう。そして、それが間違いだったかどうか。

気づくときは一瞬だ。


 違うことなんて早々に気づくべきだったのかもしれない。まずジャンルから大きく違っている。絵本と純文学、純文学と絵本。ただ書物であるという共通点しかなかった。そんな私達に与えられた猶予期間なんてあっと言う間に崩れ去った。

後に残されるのは後悔だけ。


 君はハードボイルドなんていう茹ですぎた料理みたいな浪漫をすぐ持ち出して、何かを熱弁するのだ。その言葉は私に響かない。車を買おう、君が言う。どうして?私が言う。まだドライブに出かけられるほどの余裕なんて無いはずだ。私達の家計はぎゅうぎゅうだった。だけど君は言う。


「日本一周したいんだ。いや、世界一周だって良いかもしれない、君にだって気分転換は必要じゃない?」


 だとしても、その気分が行き詰まった理由まで君は察せない。そして私はお金を理由にその提案を却下する。君はまた、何かに冷めたような顔をする。私はどこまでも自分本意に見える君に溜め息を吐く。


 どこで間違えたんだろう。一体何から、そんなことを考え始めたって答えは出ない。ある意味で仕方の無いことなのかもしれないし、そうでもなく歩み寄れる距離数センチの問題だったのかもしれない。いっそ言ってしまおうか、僕には君がわからない。もっと正直になって欲しい。


 だけど、そう言うと(もし間違って言ってしまうと)君はひどくうんざりした顔をする。僕は薮の蛇を刺激しないように適当に話をずらす。仕方ない。だってこれ以上の争いは僕もうんざりしているのだ。そうして僕はまた一枚頁を捲る。


 だけど、映画を観るっていう趣味だけは僕ら、或いは私達に共通して言えることで。だから、週末には適当に選んだ映画を少なくとも一本、多い日は五本くらい観てお互いに感想を言い合うのが常だった。


 そのときばかりは、常日頃うざったいだけの比喩も許せたし。そのときばかりは、互いに意見が噛み合わないことも多様性に基づいた発想で処理できた。


 そういうとき、僕らの家は単なる棲みかでなく、一種の隠れ家として機能した。二人だけの秘密の場所、ないしは他の誰も知らない秘境的な神聖さを伴った。その時だけはどこか厳かに、胸いっぱいに詰まった感想を互いに吐き出して。最後には笑いあうことができたものだった。


 そんなある日のことで。


 いつだって事の起こりは単純で。


 僕らは無名の恋愛映画を観たのだった。それはどこで作られたかわからないような洋画で。在り来たりな、男と女が恋に落ちて激動の毎日を送り、最後は悲しい別れかたをして終わる、そんな映画だった。


 私達は何だか新鮮な気持ちをその映画のなかに感じ取ったような気でいた。最初の出会った頃とか、そういう感情を。そして、語りだそうとしたそのとき。エンディングクレジットの中のある一文に目を持っていかれた。


 それは和訳すると概ね、こんな意味の英文だった。

「最後は二人にAuroraの雨が降り注ぐのだ」

この、Auroraの和訳で僕らは喧嘩せざるを得なかった。


 君はそのAuroraを曙の女神だと言い、雨を二人に与えられた祝福だと言った。新たな旅立ちを象徴しているのだと。だとしたら、


 君はそのAuroraを現象としてのオーロラだと言い、単に雨のきらめきをそう例えたのだと言った。そんな筈がない。だとしたら、


 いっそこのままAuroraの雨に、

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Auroraの雨 白雪工房 @yukiyukitsukumo

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