第4話

 そのうち、妻は夜になっても帰って来なくなった。毎晩、男と一緒にいるようだった。別に嫉妬はないが、妻という人間を心底嫌悪するようになった。夜家にいないから平日は顔を合わせることがなくなった。


 しかし、たまに帰って来ることがあった。

 そういう日は男と喧嘩した時だ。妻はこと妊娠に関することになると人が変わったようにヒステリックになる。相手の男にも愛想をつかされているのだろう。


 俺は毎晩クイーンサイズのベッドに一人で眠った。夜中いきなり帰ってくるかもしれないから、玄関ドアの内鍵はかけていなかった。防犯のこともあるし、夜中にベッドに入って来られると目が覚めてしまう。だから、夜ベッドで寝ていても、完全にリラックスできるわけじゃなかった。


 うとうとしていると、部屋に誰かが入って来た。すごく控えめにドアを開けて、微かな足音でひたひたと歩いている。そして、すっと布団に滑り込んだ。

「パパ。お話して」

 子どもが静かな声で言った。

 やっぱり奥さんじゃないや。あいつはがさつだから、夜中でも勢いよくドアを開けてバタバタ入って来る。

 俺は面倒臭いなと思ったけど、息子がかわいそうになって、その日に新聞で見た海外のニュースの話をした。

「ふうん。ウクライナはロシアに勝てる可能性あるの?」

「ウクライナにはアメリカとかヨーロッパのいろいろな国が支援してるからな。勝てなくても負けもしないんじゃないかな」

 子どもはずっと質問して来た。俺はあまりウクライナ情勢に詳しくないし、眠いから「ごめん、明日調べとくよ」と、言って寝てしまった。


 俺は朝起きてから、昨夜夢を見たことと、自分に子どもがいないことを思い出した。夢の中では俺には子どもがいる設定になっていた。それも、高校生くらいの大きな子だ。そのくらいの子がパパと言って布団に入って来るのは微妙だった。


 しかし、夢の中での俺はその子のことをかわいいと感じていた。きっと自分の子どもはかわいいに違いない。世間の人が当たり前に経験していることを俺はできないでいる。なんて人生は不公平なんだと感じた。


 子どもが欲しいなとその時初めて思った気がする。


 俺はその日から、子どもが出てくる夢を頻繁に見るようになった。妻と別れて、別の人と再婚して子どもが欲しい。そう願うようになっていた。俺くらいの年齢で初婚の人も珍しくない。四十で第一子。大学を卒業するまでに定年を迎える。


***


 ある時、俺と息子は二人で手を繋いで外を歩いていた。晴れた暖かい日で、田舎道だった。両側に草が生い茂っていた。数百メートル先には高い坂があった。


 息子はすでに高校生くらいだった。その年齢で手をつないでいる親子がいたら普通ではないのだが、息子は外見に似合わず心は子どものままだった。顔は妻の方に似ていた気がする。色が白くて笑顔のかわいい子だった。俺はそんな風に息子とよく散歩しているという設定になっていた。


 すると、坂の上から女の人が猛スピードで自転車で降りて来るのが見えた。白っぽい服を着て、長いスカートをはいていた。スカートが向かい風でビラビラと煽られていた。大声で何か叫んでいたが、聞き取れなかった。その人がどんどん近づいて来て、顔が見える距離になった。それは妻だった。すごい形相で妻が俺と息子の間に突っ込んで来ようとしていた。


 俺は轢かれるとわかって悲鳴を上げた。

 危ない!


「うわあああああああ」


 俺はうなされて目が覚めた。俺は自宅のベッドに一人だった。隣に誰もいなかった。夢でよかったと心から思った。もし、あのスピードで自転車が突っ込んで来たら死亡事故になってもおかしくない。

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