それは包み込むシフォンケーキのような
私はフワフワした光の中を歩いていた。
ここは・・・どこ?
周りを見回すが何も見えないので、見当も付かない。
ただ、たまらなく寂しくて悲しい気分だった。
そして、不思議なことにそんな私をもう一人の私が俯瞰で見ていた。
これは・・・夢?
そして、見ている私は制服からみるに高校生のようだ。
俯いて今にも泣き出しそうな表情になっている。
私はそれを見て、すぐに察した。
あれは・・・
そう。高校一年の秋の事だ。
あの時、私は別のクラスの男子から交際を申し込まれたのだが、どうしても男性とのお付き合いにピンと来なかったことも有り、お断りしたのだ。
だが、その男子の事を私のクラスの女子が入学以来片思いだったようで、その子の憎しみを受けた私はクラスの一部の女子からあからさまな無視や陰口を受ける事となった。
逆恨みもいい所だが、当時の私にとって学校は世界の全てだったし、その逆恨みをして来た子とは入学以来良く話していて、個人的に友達と思っていたのでショックもひとしおだった。学校はもうすぐ始まる文化祭の準備で盛り上がっていたが、私はその子との関係修復が全く上手くいかず、文化祭どころか学校に通う気持ちも無くなりかけていた。
私なんて居ない方がみんな楽しいんでしょ・・・
そんなやけくそな気持ちになりながら屋敷に帰ると、鼻腔をくすぐる甘い香りがした。
これは・・・シフォンケーキ。
九国さんだな。
私はさっきまでの鬱々した気持ちが少しだけ晴れるような気がした。
彼女の作るシフォンケーキは絶品なのだ。
「ただいま!」
私は靴を脱ぐと真っ直ぐキッチンに向かうと、やはり九国さんが焼けたばかりのシフォンケーキをオーブンから取り出している所だった。
九国さんは私に気がつくと、ニッコリと笑った。
「お帰りなさいお嬢様。丁度焼けたところです。よろしければ」
「もちろん!一気にテンション上がっちゃった」
「フフッ、お嬢様は本当に甘い物がお好きですもんね」
「あら、あなたが悪いのよ。九国さんが美味しいお菓子を作りすぎなの。それまではそんなにお菓子ばかり食べなかったのに」
「それは無茶な言いがかりですね・・・」
九国さんは困ったような笑顔になると、ケーキにナイフを入れて私の分を取り分けてくれた。「どうぞ。後は旦那様と奥様、後は気に入って頂けたならお嬢様が追加で召し上がってください」
「あら、九国さんも食べてよ。って言うか一緒に食べましょ。後、雄大さんの分も取り分けましょ」
「かしこまりました。ではあの方の分も。・・・私もよろしいのですか?」
「よろしいに決まってるじゃ無い!せっかくだから一緒に食べよう」
九国さんは少し迷うようなそぶりを見せたが、少しするとはにかむような笑顔で頷いた。
「はい。では」
お父さんもお母さんも仕事で遅くなるとの事だったので、私と九国さんだけしかいない屋敷は音を吸い込むかのように静かな空間だった。
そんな中に私と九国さんの出す、食器とフォークの当たる音が響く。
私はふと気になって九国さんに尋ねた。
「ねえ、九国さんっていつもこのお屋敷で一人で過ごしてるんだよね?」
「はい。皆様が心地よい時間を送っていただく事の全てが仕事と思い過ごしております」
「でもさ・・・ずっとお仕事ばかりな訳じゃ無いでしょ?空いた時間はどうしてるの?」
「そうですね・・・どうすればより精度の高く質の高い仕事が出来るかを色々考えております」
「え!冗談でしょ!じゃあずっと仕事の事ばかりなの?」
「はい。それが私の果たすべき・・・」
「ダメよ!ダメ!九国さん、そんなに可愛いんだからもっと遊んだりするべきよ!」
「はい・・・では今後努力します」
「努力じゃ無いの!楽しむの。ああ、いいわ。これ食べたら行きましょ」
私の言葉に九国さんはポカンとした。
「行くとは・・・」
「お父さんもお母さんも今夜は遅くまで帰ってこないからね。一緒に遊びにいこ!」
それから私は九国さんを連れ出すと、タクシーを呼び駅前に向かった。
タクシーにのった九国さんはいつものメイド服では無く、私服であろうベージュのワンピースだったが、それも見とれそうなくらい似合っている。
ここは大型の商業施設やブランドの路面店、大型のシネコンが並んでおり、仕事帰りの人や遊びに来ている学生や若い人たちで賑わっていた。
「着いた!さあ、どこへ行こうか?」
「と、言いましても私はこのような所で遊んだ事が無いので・・・」
「大丈夫!私に任せて。九国さんもたまには羽を伸ばすべきよ」
そうは言ったものの、私もこういう所にはめったに来ない。
以前、雄大さんに一度だけ連れてきてもらったことが有り、その時にブティックやカフェに行った事だけが私の乏しい知識の全てだった。
でも、私は九国さんに少しでも良いところを見せたかったので、そんな内心の不安は出さないようにして余裕ぶって言った。
「さあ、じゃあまずは服を見に行こう。もし似合いそうなのがあったら買ってあげる」
「い、いえ、そんな。そこまでは」
「いいから、いいから」
そう言うと九国さんを連れて、以前連れて行ってもらったブティックを目指した。
あそこに置いてあった服を一目見たとき、絶対彼女に似合うと思ったのだ。
だが・・・
「あれ・・・?」
あのお店、どこだったかな。
確かこっちの方だと思ったのに。
記憶を頼りに歩くも見当違いの方に進んでいることはすぐに分かった。
ウロウロと歩き回るが、そういう時の疲労は早く濃く訪れる。
私は足が棒の様になってくるのを感じた。
そして、ふと右のかかとにヒリヒリする痛みを感じた。
あれ・・・?
だが、私は努めてその痛みを無視した。
大丈夫。気のせいだ。
「あの、お嬢様。私はどのお店でもよろしいですよ」
「でも・・・あのお店の服が九国さんに似合うと思ったのに」
「私は今の服も気に入っております。それに以前お嬢様が私のメイド服が似合うとおっしゃってくれたではありませんか。それ以来あのメイド服が大好きです」
「フォローはいいわ」
「ほら!そんな顔しないでください。良かったらお茶でもどうですか?丁度あそこにカフェがありますよ」
九国さんの指さす方には、カフェと言うよりは喫茶店と言う方が良さそうな年期の入ったお店があった。
「うん、でも・・・もっとお洒落な所に連れて行きたい」
そう言うと私は歩き出した。
雄大さんに連れて行ってもらったあのお洒落なカフェ。
そこを目指したつもりだが、やはり中々見つからない。
両側が街路樹になっているその道は、赤い落ち葉が絨毯のようになっていてまるで映画の一場面のように趣のある風景だったが、それを楽しむ余裕も無かった。
どこだったかな・・・
焦りと共に、先ほどのかかとの痛みはますます酷くなってきて、立ち止まる頻度が増えていた。
九国さんは少し前から歩きながら私をじっと見ていたが、やがて立ち止まると「お嬢様。そこのベンチに座ってください」と固い口調で言った。
「え、いいよ。まだ歩けるから」
「いいえ。座ってください」
九国さんの普段聞いたことの無い有無を言わさぬ強い口調に気圧された私は、渋々ベンチに座った。
九国さんは私の目の前にしゃがみ込むと「ちょっと失礼します」と言って、私の靴を脱がせた。
「・・・やはり」
私の右足のかかとからは血が滲んでおり、白い靴下を赤く染めていた。
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