第23話来訪

ピンポーン


 平日の昼下がり。のんびりと読書を楽しんでいたところでインターホンが鳴った。それまで呼んでいたページに栞をはさみ、玲奈を背後に据えて玄関へと向かう。

 最近は来客のたびに災難が降り掛かっているため、正直出たくない。だからといって居留守というわけにも行かないだろう。正当に考えれば、この階層まで入ってこられるのは宅配便かこのマンションの住人しか知らないナンバーを知っている人間。つまりは誰かの知り合いなのだから。

 俺はドアの鍵穴からそこに立っていた人物を目視する。…変わった髪色だ。玲奈と同じ銀色の髪の毛に今度は正反対の赤の瞳が輝いている。


「…どう?」


「なんか、玲奈とおんなじ髪色の人が立ってますけど」


「おんなじ?…目の色は?」


「赤っすね」


 玲奈は少し考えるような仕草をした後にあぁ、となにか納得が言った様子で顔を上げた。


「湊くん、開けても大丈夫よ」


「いいんすか?開けますよ」

 

 内鍵をガチャリと解錠し、チェーンを外す。扉を開くと、その人物はにこっと笑って玲奈に飛びついてきた。


「玲奈ー!」


「もう、いきなりはしゃぎすぎよお姉ちゃん」


 飛びついてきた女を受け止めた玲奈の表情はどこか嬉しそうだ。女の首からずり落ちたマフラーを拾い上げ、俺は手渡す。


「あぁ、ありがとう。察するに、君が湊くんだね?私は玲奈の姉の春奈です。よろしく〜」


 ふわふわとしたまるで春のような雰囲気をまとった彼女は玲奈の実の姉、姫宮ひめみや春奈はるなだった。




「よいしょっと。ふぅ〜…」


 春奈はリビングのソファに腰を下ろした。長旅だったようで、わずかに疲れの色が見える。わざわざ会いに来てくれるとはいい姉だ。

 どうやら以前に俺の事を連絡していたようで、諸々の事情は理解しているようだった。


「それにしてもいきなりねお姉ちゃん。なにかあったの?」


 春奈に紅茶と茶菓子を差し出した玲奈は春奈に問いかけた。春奈は紅茶を受け取ると、なんの陰りも見せない明るい声で返す。


「いや。玲奈に会いたかっただけ〜」


「ふふ、何よそれ」


 能天気な春奈の様子に玲奈は思わず微笑んだ。仲が良い、とは以前に聞いていたが本当に仲が良いようだ。会話の節々からそれが見て取れる。


「家の様子はどう?ママ達は変わりない?」


「相変わらずだよ。パパが毎日大変そう。そろそろ玲奈に帰ってきてほしいって」


「そう。近々顔を出しておかなくちゃね」


「いや〜それにしても玲奈に彼氏さんができてるなんてねぇ…」


 春奈が茶菓子を頬張りながら眼鏡越しに俺の顔をまじまじと見つめてくる。改めてこうまじまじと見られると、なんだか俺は気恥ずかしかった。


「湊くん、玲奈の事好き?」


「え、まぁ、はい」


「そういう時は即座に応えるべきだよ〜じゃないと玲奈がへそ曲げちゃうからね?」


「ちょっと、お姉ちゃん」


「玲奈はちょっとしたことですぐに拗ねちゃうから大変でしょ?うまく付き合いな」


 ほんのりと頬を赤らめて怒る玲奈を無視して春奈は笑いかけてくる。先程の言動といい、振る舞いといい、その雰囲気とは裏腹に彼女はどこか大人びているような印象だった。

 起こる玲奈にごめんごめんと対応しながら、横目で春奈は俺に問いかけてくる。


「ちなみになんだけどさ、玲奈のどこが好き?」


 ベタな質問だ。なんとなく聞かれそうな気がしていたが、構えていなかった俺はすぐさま思考を張り巡らせる。あんまり熟考するのはよろしくない。隣にいる彼女に不信感を持たれてしまう。

 ふと隣にいる玲奈をチラリと見る。彼女は視線を下げてもじもじとした様子だった。俺の予想を裏切ったその様子からは彼女の不安そうな態度が感じられた。…この人も不安に感じることとかあるんだな。

 玲奈の様子を見た後だと、余計に肩に重みが掛かるのを感じられた。あまり変な回答は言うべきではない。俺の心からの言葉を。思いをそのまま言うのが良いだろう。

 俺は自らの心に問いかける。彼女の、玲奈の好きなところを。


「…なんだかんだ俺の事を想ってくれてることですかね」


 俺は一言、そう呟いた。俺の心の穴を埋めてくれた彼女は常に俺のことを想ってくれている。…少々想い過ぎなところもあるが、そのぐらいはまぁ、許容範囲だ。

 俺の言葉を受けた春奈はニヤニヤとしながら目線を逸らす俺を見つめてくる。


「ほ〜う?とのことですけど玲奈さん、どうなんですか?」


「なっ、なんで私に振るのよ!…う、嬉しいけど」


 普段の余裕はどこへ行ったのやら。玲奈の声には恥じらいの感情がこもっているように思えた。彼女にも不安はあるのだろう。

 玲奈は正面から攻められるのには弱い。それを把握しいた上での春奈の行動だろう。


「うんうん、初々しいですな〜どうせもうヤることヤってるくせに〜」


「な、なんで分かるのよ!…あっ」


「…え?ほんとにヤってんの?え?玲奈?」


 らしくなく余裕のない玲奈は自分の失言に更に顔を赤らめた。普段とはまったく異なる彼女の姿に俺は少し困惑していた。姉の前では彼女も妹へと戻ってしまうのだろう。


「…湊くん。玲奈は結構性欲は強い方だから無理はしないでね」


「え…はい」


「余計なことは言わなくていいのよ!!!」


 プスプスと煙が出そうなほどに顔を非ヒートアップさせた玲奈はバンと机を叩いて春奈に叫ぶ。春奈は流石にやりすぎたかなとなだめている。…玲奈ってこんな表情するんだ。


「あはは…ごめん、ごめんって…ほら湊くんも」


「俺もっすか…?…玲奈、落ち着いて」


 玲奈の肩に手を置いて彼女をなだめる。俺になだめられたからか、玲奈はすぐさま座り直して体裁を整えた。


「…少々取り乱したわ。ごめんなさい」


「おー…やっぱり愛しの人の力はすごいねぇ〜」


 まるで他人事のように関心する春奈。…あんたのせいなんだがな。もう少し責任感をもってほしいものだ。


「あ、そう言えば湊くん。今日は彼氏である君に見せたい物があってだね…」


 そう言うと春奈は持ってきたバッグから一つの本のような物を取り出した。


「じゃーん!!!」


「なんですかそれ?」


「これは玲奈の幼少期から中学に至るまでの写真を保存してある『玲奈アルバム』でーす!」


「なっ、ちょ、なによそれ!私初めて見るんんだけど!?」


「そりゃ玲奈には隠してたからね〜玲奈が本当に愛せる人が現れた時に見せようと思ってこの私が作っておいたのです!」


 未知の物に困惑する玲奈を前に春奈はふふんと胸を張った。

 玲奈ですら存在を知らなかったそれは名前からして玲奈の様々な写真が保管されているに違いない。俺にとっては非常に興味のそそられる物だが、隣で困惑する彼女にとっては恥ずかしい物でしか無いだろう。


「ふふ〜ん、まずはこの幼稚園に入学した時の玲奈ー!この時は私にくっついてばかりで可愛かったな〜」


「ちょ、ちょっと!」


「へ〜…可愛い」


「ひぇっ!?」


 春奈がペラペラとめくって、あるページを見ろと言わんばかりに差し出してくる。そこには幼稚園の門の前で幼い春奈の横に並ぶ玲奈の写真が。幼い頃からこの髪色だったようで、今も昔も美しい。今でこそただのメンヘラストーカーだが、写真の中の彼女は純粋な感情しか無い可愛らしさの権化といったところだろうか。少し目の潤んだその表情は俺の庇護欲を掻き立てた。

 思わず口から出た一言は玲奈の耳にしっかりと届いてしまったようで、普段見せないような表情になっている。


「でしょでしょ?こっちはね〜…」


「な、も、もうやめて!!!」


 玲奈アルバム鑑賞会は春奈が帰る数時間後まで続いた。





「はぁ〜…今日はごめんね長居しちゃって」


「いえいえ。こちらもいいものを見させていただきましたので」


 長かった鑑賞会も終わり、辺りも暗くなってきたということで春奈を見送りにマンションの外まで来ていた。

 やはりこの季節は肌に寒さが染みる。一枚上に羽織ったコートが温かい。玲奈も俺のクローゼットから引き脱してきた一枚を羽織っていた。…自分の使えよ。


「玲奈も元気そうで良かった。一人で寂しくて泣いてるんじゃないかと思ったけど、余計な心配だったみたい」


 にこっと微笑んだ春奈の笑顔は母さんの笑顔に少し似ていて、慈愛に溢れたような表情だった。形はどうあれ、心配する気持ちは誰だって同じだ。優しく、包み込んでくれるようなそんな思い。


「帰りはお気をつけて」


「じゃあねお姉ちゃん。ママとパパによろしく」


「うん。それじゃ。湊くん、玲奈は少し重いから苦労することもあるだろうけど、信じてあげて」


「…はい。分かりました」


 『信じてあげて』。この一言が俺の中でこだました。なにか深い感情が詰まっているような気がして、除いても見えないその感情の正体を突き詰めたくて、俺は春奈のことを見つめてしまった。


「…?どうしたの?私の顔になにか?」


「…あぁ、いや、何でも」


「…そう。それじゃ、二人共お元気で」


 春奈はそういうとくるりと向き直って歩きだした。言葉とは裏腹にどこか寂しそうなその背中を俺達は二人で見送った。


「…行っちゃった」


「いいお姉さんですね。心配してくれて」


「えぇ。…少し余計なこともしてくれるけど、あの人に助けられてるわ。いつか、顔を出さないとね」


「いつか行きますか。二人で」


「…ふふ、否定はしないのね。今なら逃げられるんじゃないかしら?」

 

 …言ってしまった。今のは認めてしまっているようなものではないか。鑑賞会ですっかり摩耗していた彼女の調子が戻っていく。

 分かっていても認めたくはない。そんな不要なプライドの元からくる感情を今は抑え込んで、隣でいじらしく笑う玲奈を見据える。


「…できないんでしょ?」


「えぇ。分かってるじゃない。…戻りましょ」


 玲奈の手を取る。自分から縛られに行くとは、なんと愚かなことか。そう自分を心の中で自虐して、言い訳して手を握る。彼女の手は、暖かい。

 俺は玲奈の手をしっかりと握り、部屋へと戻った。

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