第3話明日が欲しい

「玲奈さん」


「…」


「玲奈」


「何かしら」


「…寝るところの話なんですが」


「一緒に決まってるじゃない?」


 襲いかかってくる欲と誘惑を理性で振り払い、ようやく風呂を切り抜けたと思えばこれだ。神様も意地が悪い。

 まぁなんとなくは察していた。この家にはベッドは一つしか無いし、客人用の布団も常備していない。ソファで寝るという手もあるが、それは彼女が許してくれないだろう。なんなら二人でソファで寝るとかいう意味の分からない展開になりかねない。今回ばかりは自分の不用心さを憎むしかなさそうだ。

 まぁでも僅かな希望に懸けて聞いてみるのもありかもしれない。一か八かだ。


「…おr「ダメよ」…」


 …ダメか。


「湊くんは今疲れているの、心身ともにね。私が癒やさなきゃ、誰が癒やすっていうの?さぁ、行きましょう。私達の愛の巣に」


「言い方…あちょっと引っ張らないで…」





「ここが湊くんのベッド…すーっ」


 部屋に入るやいなや布団を吸引し始める玲奈。本人の目の前でする行為ではないだろう。頭のネジが数本飛んでいるとしか思えない。…ストーカーだから飛んでて当然か。

 この部屋だけは鍵をかけておいたから侵入の痕跡は無い。つまり、彼女はこの部屋に入るのは初めて…のはず。取られて困る物はとりあえず棚の奥に閉まってあるから問題はないと願いたい。


「はぁぁ…たまらないわ♡」


「うわ語尾に♡がついてるタイプの危険な人だ」


「危険な人じゃないわ”妻”よ。勘違いしないで」


「ストーカーにそんな事言われてもねぇ…」


「愛ゆえの行動よ。一概にストーカーでまとめないでほしいわね」


 被害者からすれば全員一緒だ。だが、そんな事など彼女達からすればどうでもいいのだろう。少なくとも目の前で布団に埋もれている彼女はそうなのだろう。

 

「湊くん、突っ立っていないで早く布団に入って。寝ましょう」


「二人で寝るにはやっぱり狭いっすよこれ…俺だけでも「なしよ」…はい」


 ささやかな抵抗を試みるも、無駄な足掻きだったようだ。大人しくしておいたほうが身のためらしい。上の階の彼女の部屋に連れて行かれたら何をされるか分かったものじゃない。…こんなに腑抜けているから忘れていたが、あくまでも主導権を握っているのは相手だ。自分が下ということは頭に置いておくべきだ。隙があれば逃げることも…


「湊くん?余計な考えは起こさない方がいいわよ」


「…なんのことですか?」


「隠しても無駄よ。逃げようとか考えてるのでしょう?湊くんは隠し事をする時は眉毛の角度が12°上に動くわ」


 …この人は俺の知らない俺まで知ってるのか。眉の癖なんて知らんぞ。…いや、シラフか?俺の反応を見て試してる可能性も…いや、無いな。

 これは単に怒ってる目だ。目から本来あるはずの光が抜け落ちてる。その瞳は暖かさなど程遠い。深い暗闇の中に浮かぶ水死体だ。怖いです。

 

「やっぱり一緒に寝て正解ね。逃さないんだから…さぁ、早く寝ましょう。明日も早いわ」


「あーはいはい行きますからそんなに引っ張らないで下さい…」


 玲奈に袖を引っ張られてベッドへと引きずり込まれる。二人で寝るにはやはり狭い。多少の自由はあるものの、くっついていないと落ちてしまいそうだ。それだけ距離が近い。背中に彼女の圧倒的存在を感じる。

 暗闇の中で恐怖と戦うというのは、こうも怖いものなのか。初めての体験、初めての状況に心が激しく動揺しているのが分かる。きっとストーカーと寝ることなど、後にも先にも今ぐらいだろう。明日からは別で寝たい。もう苦しい。

 

「湊くん」


「…なんですか」


「どうしてこっちを向いてくれないの?」


 今の俺の姿勢は彼女に背を向けて壁を向いた状態。当然ながら彼女の表情を伺うことはできない。だが、なんとなく分かる。なんの悪気もなく、思惑もない無垢な眼を向けて来ていることが。

 

「…いつもこういう姿勢で寝てるんですよ」


「嘘よ。湊くんはいつも仰向けで寝るタイプじゃない」


 …なんで知ってる。どこで見たそんなの。ストーカーだけじゃなくて覗きもしてんのかこいつは。ほんとに底が知れないな…


「…気の所為じゃないですかね」


「そんなはずはないわ。私の記憶は絶対よ」


 誤魔化すのは無理、と…まぁ分かってたよ。とにかく今は無事に明日を迎えたい。気持ちは入り交じり過ぎてぐちゃぐちゃだけどとにかく俺は明日が欲しい。…なんかアニメのセリフみたいだな。


「こっちを向いて。このままじゃ癒せないでしょ」


「…」


 …寝たふりでもしてみるか。


「…」


「…」


「…起きてるんでしょ?心拍数でバレてるわよ」


 この人なんで分かる???普通心拍数で判断とかできないだろ。軍人か。


「もう寝ましょうよ」


「寝るならこっちを向いて。早く」


 下手に刺激するのも、か。ここは我慢するしかなさそうだ。

 渋々玲奈の方に向き直る。暗闇で周りはよくは見えないが、すぐ側に彼女の顔があるのが分かった。


「ほら、湊くん」


 体勢を変えたのとほぼ同時に玲奈が抱きついてくる。同じシャンプーの匂いと彼女の吐息が俺の鼻をかすめた。

 美少女に抱きしめられるなんて全男子高校生の夢だろう。だが、相手が相手なだけに嬉しいよりも怖いが勝つ。これが清楚系だったらな…


「ふふ…湊くんの体温…♡」


「…これでいいですか?」


「えぇ。妻に身を任せてゆっくり休んで。はぁ〜♡湊くんの匂い♡」


 妙に艶めかしく耳元で響く声と背中を這う玲奈の手。なんとか意識を夢の中に陥れようとする俺を邪魔してくる。それと同時に目を逸していた拭えない不安感が襲ってくる。

 …これ寝れるかな

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