初恋の彼女に振られた俺、翌日からメンヘラストーカーとの同棲生活が始まった件について
餅餠
第1話未知の存在との遭遇
「私達、別れよう」
渋るように言い放たれたその一言は、無惨にも俺の思いを切り裂いて冬の空に響いた。
身に染みるような寒さが俺を取り囲む12月の冬。俺、
別れという突きつけられた現実が受け止められなくて、数分はその場にいた気がする。こうやってとりあえず家に向かう足取りも普段より重い。
胸の中で広がる空虚な感じが俺の気持ちを深くまでに沈めていた。胸に穴が空いた、というのはこの事を指すのだろう。
しんしんと積もり始めた雪がコートを羽織った俺の肩にじんわりと染みた。
俺にとって初恋の相手、
中学は恋とは無縁な生活を送り、高校に来てようやく実った恋だった。それだけにこの恋は慎重かつ丁寧に彼女との距離を縮めていたつもりだった。
だが、それも今となってはただの言い訳。今片手にあるこのプレゼントも結局渡せず終いだ。
なぜ振られたのか、今でも分かっていない。だけど、その『分からない』という事実が原因な気がしてなんともやるせなかった。
いつだって彼女のことを考えてたし、誕生日だって一緒に祝った。それなのに、俺は間違えたというのか。
うまくやってたつもりだったんだけどな…
「…帰ろ」
俺は今にも崩れ落ちそうな足を必死に動かして自宅へと向かった。
「…」
ただいま、なんて言っても返してくれる人間なんてこの家にはいない。
親がどうせこっちで働くだろうからと少し広めのここを借りてくれた。…が、一人には少し広すぎる。
一つだけ手つかずのこの部屋は、同棲するようになったら瑠璃奈の部屋にしようと思って何も置いていない。…今考えると少し痛すぎか?…まぁ、今となってはどうでもいいことなのだけれど。
コートを脱ぎ捨ててベッドにへたり込む。のしかかる後悔の念と疲れが俺をベッドから離さない。
馴れないお洒落までして気合い入れて、挙句の果てに振られるなんて、何やってんだ俺…
「…はぁ」
深い溜息をつくと余計に自分が惨め思えてくる。…今は、どうでもいい。
このベッドで一緒に寝たこともあったっけな。…ダメだ。あいつのことしか出てこない。
…もう寝よう。明日は休みだし、後悔は明日からでもできるだろ。
「…んぁ…」
眠い目を擦り、時計へと視線を動かす。時刻は午前7時。今日は休日。起きるにしてはまだ早い。
二度寝へと突入したい所だったが、昨日の出来事のせいでどうも憂鬱な気分が邪魔してくる。夢の中に逃げることは許してくれないらしい。
「起きる…しかないか」
何か頼んでうまいもんでも食って気分を晴らそう。そんな安直な考えと沈んだ気分を引きずりながら俺は体を起こした。
「スマホはどこだったかな…あったあった…え?」
リビングに出てきた俺の目の前にあったのは何故か用意されている朝食。うちにメイドなんてものは雇っていない。ということは母さんか?連絡は…来てないな。あの母さんが連絡も入れずに来るなんてことあるか…?そうだ、靴…
靴は…あるけどこれは母さんのじゃない。知らない靴だ。
「…俺以外に知らない奴がこの部屋にいる…?」
そう思った途端、朝の朧げな空気が冷たく突き刺すものに変わった。背筋が凍るのと共に襲ってくる恐怖。知らない奴がこの部屋のどこかに潜んでる。
…警察にでも通報すべきか?いやでも早計すぎる気も…
すぐさまポケットに手を突っ込む。だが、スマホは無い。どうやらリビングに置いてきてしまったようだ。こんな時に、とさらに気分が沈む。
…取りに帰るしか、無いよな。
恐る恐るリビングへと足を踏み入れる。自分の家だと言うのにコソコソと動かなければい行けないというのがどうも歯がゆい。
(さっきはここに…って、無い!?)
さっきまでここに置いてたはず…ポケットには当然無い。落としてるわけないはず…じゃあどこに…
「お探しの物はこれ?」
「…は!?」
焦る俺の背中を叩いたのは一人の女だった。見覚えは…あるような無いような。突然現れたその姿に思わず距離を取る。
「なっ、誰!?どこから…」
「クローゼットの中よ」
「何故にクローゼット…」
「着替えると思って出待ちしてたのよ。姿が見えたから我慢できずに出てきちゃったけど」
…なんだこいつ。なんでクローゼットなんかに…盗む物があるならもっとほかのところだろ。…突っ込んでる場合じゃないか。スマホを奪われてるんだぞ俺。
無理やり奪うのは…少し危険すぎるか。何を持ってるか分からない。こう見えて凶器を持ってる可能性だってある。それに相手は女。叫ばれたらこっちが加害者になる可能性もある。なら、逃げるしか…
「退路は塞がせてもらうわ。大人しくして」
…とりあえず正面突破は無理と。他には…ベランダがあるな。…いや待て。ここは3階だぞ?うまく着地できてもその後逃げられる保証は無いだろ。
これは…八方塞がりってやつか?
「飛び降りる、なんて馬鹿なことは考えないほうがいいわよ」
「…筒抜けってか。分かった。大人しくする。その代わりに教えろ。お前の目的はなんだ?」
震える声を抑えて相手を睨みつける。この状況で弱気になるのは負けを意味する。身動きは取れなくとも、姿勢だけでも攻めて行かなくては。
俺は刑事ドラマで腐るほど使われているような台詞を吐いて女と対峙した。
「いいわよ。でもその前に。…私の事覚えてないの?」
「…?」
女のいいぶりを見るにどこかであったことがあるということだろうか。そんな事言われても覚えてないものは覚えていない。
よく見ればその特徴的な髪色はどこかで見たような。
「覚えてないのね。学校じゃ結構名の通っている方なのだけれど」
「…こんな事するやつなんて知らないんだが?」
「
「姫宮…あ!」
姫宮玲奈。俺と同じクラスの中心的存在の一人。妙な既視感の正体はこれだ。
彼女は一応クラスのマドンナ的存在らしい。俺には瑠璃奈がいたから微塵も興味がなかったが、男子の間でいつも話題に上がっているのは知っている。
なんでも、かなりの男子の支持を得ているようで、多くの男を魅了する様からついたあだ名は『虞美人』。その唯一無二の銀の髪色は多くの人を魅了している。
「なんでここに…というかどうやって」
ここは都内にあるマンション。セキュリティもしっかりとなっているところだし、エントランスからは居住者しか知らないナンバーを入れなければ入ることはできないはず…何より俺の部屋をピンポイントで当てるなんてことは早々できまい。
「どうやって入ったかなんて簡単なことよ。私、ここの居住者だもの。ちょうど、この真上の部屋のね」
…そういうことか。何も居住者が入るなら誰も咎めはしない…
どうやら内部にストーカーが紛れ込んでいたようだ。
「聞きたいことは以上?そろそろ本題に入ってもいいかしら?」
怪しく光る彼女のセレストブルーの瞳。恐ろしいまでに整ったその顔が今は不気味な物としか見えない。
今は完全に相手が主導権を握っている。慎重に隙を見極めなければ。
「湊くん、と呼ばせてもらうわ。ようやく昨日あの女に振られたようね」
俺の心がぐきりと音を立てて締め付けられた。昨日の出来事が筒抜け…?
「なんでそれを…」
「なんでかはどうでもいいじゃない。あんな女、最初からやめておくべきだったのよ」
「な、あんな女って…!」
「別れた女だと言うのに庇うの?…優しい人なのね」
「…たとえ振られてもあいつは俺の初恋の女だ。それは今までもこれからも変わらない…!」
「あぁ、優しい湊くん…好き…♡」
…ん?
彼女のうっとりとした表情を前に俺の時間は数秒ほど停止した。それまでの思考がすっ飛ばされて、目の前の不可解な現象に全リソースが費やされる。
「あぁダメよ私…まだその時ではないわ」
「あの…?大丈夫…?」
「ん”ん”っ…湊くんの優しさが身に染みる…」
…なんだこの人。こんな人間だったのか?…いや人の家に勝手に入るやつなんてみんなこんな感じか。
「…話を戻しましょうか。湊くんには二つの提案を呑んでもらうわ」
「二つの、提案…」
なんだ提案って…通帳だけは死守しないと…!
相手のペースに飲まれてはいけない。こちらも怯まずに立ち向かわなくては。相対する変人を前に握った拳にも力が入る。
玲奈がぴっと人差し指を上げた。
「一つは私との同棲を始めてもらうことよ」
「ちょっとストーップ」
「生憎YES以外の返事は受け付けてないわ。…湊くんがどうしてもと言うなら聞くだけ聞いてあげる」
「…なんのためにこんな事を?」
「そんなの簡単な話よ。私が湊くんのことが大好きだからよ」
「…」
…やっぱり変人なのかな。いや、俺の聞き間違いという可能性も…
「聞こえなかったの?だ・い・す・き」
…どうやら残念なことに聞き間違いではなかったらしい。俺の願いは幻想となり儚く散った。
「…嘘は良くないかと」
「どうしてこの状況で嘘をつく必要性があるのよ。本音よ。私、ずっと前から湊くんのこと『観察』してたんだから」
「はぁ…ん?”観察”…?」
「えぇそうよ。湊くんがこのマンションに来てから毎日ずっと観察してきたの。だから湊くんのことは何でも分かるわ」
「…?」
「毎日あなたの後ろ姿を見続けてきたわ…いつ何時でもかっこいいその背中をね」
…そういうことか。いや、にわかには信じがたい。というか信じたくない。こんな出来事が現実で起こるなんて。
「誕生日は8月24日。血液型はAB型。好きな食べ物は揚げたてのコロッケ。嫌いな食べ物は茄子。ホクロの数は上半身に7個。下半身に4個で計11個。アソコの長さh「ストップストップ」
「…つまりは俺のストーカー、ってことですか?」
「えぇ。御名答よ。流石湊くんね」
そんな親しい感じで接されても俺はほぼ初対面に等しいんだが。なんか変な感じ…ってそうじゃないだろ。相手はストーカーだぞ?油断したら何されるか分からないんだ…!
「あぁ…いつも床に耳を当てることでしか聞くことのできなかった湊くんの声がこんなに近くで…幸せ…」
「…このマンション結構防音効いてますよね」
「えぇ。そのせいで幾度となく苦渋を飲まされてきたわ。でもそれも今日までね…」
なんなんだこの人…泣いてる?ハンカチ出したほうがいいやつ?
咄嗟の行動に自分でもよく分からなかったが、涙が溢れそうな彼女にハンカチを手渡した。
「あの、ハンカチ使います?」
「いいの?ありがとう…湊くんはやっぱり優しいわね」
「…」
「…」
…あれ、何やってんだ俺。今の隙にスマホ奪えただろ。
「…話が逸れたわね。本題に戻りましょう。二つ目の提案は私を妻として認めてもらうわ」
「妻…?」
「えぇ。妻よ」
色々と話が走り高跳びしてるんだが…俺はどこでどう受け止めればいいんだよ。どこから捕まえればいいか分からんわ。
…というかこの人案外悪い人ではないのか?さっきから俺に手を出してくる気配は無いし、凶器を隠してるというわけでも…
「ちなみに、断ったら私のものになると言うまで私の部屋で愛し合い《拷問》をすることになるわ」
…ないみたいだ。その代わり恐ろしいまでの感情を胸に秘めてるってだけで。むしろそれが凶器とも言えるか。
なんにしろ抵抗はやめておいたほうがいいのかもしれない。
とはいえこの二つの提案をいきなり受け入れろとは、ストーカーというものは狂っている。少なくとも失恋の翌日にやるものではないだろう。
「それじゃ、返答を聞きましょうか。もちろんYES以外は受け付けないわ」
玲奈が俺のスマホをちらつかせながら問いかけてくる。スマホを盾に取られてはこちらも出にくい。下手に刺激すれば状況が悪化するのは目に見えている。
逡巡の中でどうにかと打開策を考える。浮かんだものは目の前の女にすぐさま打ち消され、泡沫のものとなっていく。まったく抜け出せるビジョンが見えない。
…これは、詰みか。
「…分かりました。提案を呑みます」
「その返事を待っていたわ。ようやく、ようやくなのね」
俺は苦渋の決断として提案を呑むことにした。
今はとりあえず提案を呑んでおくことにしよう。この状況を脱することはきっと後でもできる。バレないように秘密裏に行うしか道は無い。
「あ、スマホは返すけど怪しい動きをされると困るから毎晩私に見せてもらうからね?」
…たった今道が閉ざされた。…どうしよう。
「さぁ、夫婦になって最初の朝よ。とりあえず朝ごはんを食べましょう。せっかく作ったのに冷めてしまうわ」
「えぇ…はい」
玲奈に背中をグイグイと押されて席に座る。いきなり距離が近い。警戒しながら座る俺の隣に玲奈がちょこんと座った。
焼き鮭、卵焼き、味噌汁…和食だな。
「湊くんがいつも朝は食パンで済ませているけど本当は和食派なことは知っているわ。味噌汁の具も湊くんの好きな玉ねぎとじゃがいもよ」
「なんでそんな事まで…ストーカーしても分からんだろ」
「これが私の力よ。さ、湊くん。大好きな卵焼きよ。あ〜ん」
「え、あ、あ〜ん」
…うまい。めっちゃ好みの味。なにこれうっま。
用意された料理は全て俺好みの味付けとなっており、誰も俺の舌を唸らせるようなものばかりだった。
本来なら危険な薬は盛られていないかなど気にすることは多数あったが、あまりの美味しさにその考えはかき消された。
「どう?美味しいでしょう?」
「…美味しいっす」
「そうでしょう?しっかりと湊くん好みの出汁の効いた味にしてるわ」
この人は俺の味の好みまで知ってるのか。どこまで俺の事を知ってるんだ…なんかまた怖くなってきた。
「ふふっ…他のおかずも湊くんに合わせて作ってるの。食べて食べて」
…とりあえず機嫌は損ねないようにしよう。料理はうまいみたいだし…逆にこれは助かる…のかも。なんとか前向きに捉えよう。うん。
こうして俺と玲奈の歪な同棲生活は始まった。
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