第1話 目覚め

「おい、兄さん大丈夫かい?」


 ぼやける視界の中、男――老人が私を覗き込んでいるようだ。ん? 私は寝ていた? どこで? 当然部屋のベッドで。やたら寝心地が悪いが。


「……おはようございます?」

「ぼうっとしておるな。ここは落ち着かん、とりあえず移動するぞ?」


 返事を待つことなく、老人が私をたわらのように肩に担いだ。意識は覚醒しつつあるが、体がまだ起きていないようで、なすがままだ。布団はどこだ?


 さらさらと髪が動き、頬をくすぐる。老人の肩の上から地面に擦りそうな髪を眺める。誰の髪だ? 視界の端、老人の髪は白い。まさか私か?


 老人が山道を歩く。周囲は見たことがないような大きな木々が石を割って生えている。石を割って? 山の中を歩いた経験はほぼないが、何か違う気がする。でも、木が生えて傾斜がついているようだし山道だろう。


 老人の腕は細く、体躯も同じく鶴のように細い。けれど私を担いで歩く歩幅は一定で危なげがなく、私どころか自身の重さも感じさせない。


「兄さん、起きる前のことを覚えとるかい? 魔物を見たことは?」

「部屋で、ベッドに転がって動画を見ていた。魔物は物語の中でなら」


 ああ、そうだ。寝落ちたんじゃない、私は黒いモノに飲み込まれて……。


「兄さんは、眠り人ねむりびとだな」

「眠り人? すみません、自分で歩きます」

老人の背中をぽんぽんと軽く叩く。


 運搬方法をもう少し考慮してくれたらいいのだが、いかんせん胃のあたりが圧迫されて居心地が悪い。


「二百年くらい前に地球に魔素ってやつが溢れたんだが、それの影響で眠り続けてるのが時々いるんだよ」

「二百年? 魔素?」


 肩から下ろされてようやく焦点があった目を向ければ、現代日本ではまず見ないような白髯の老人。それが裾の長い道着のようなものを着ている。


 なんだ? 功夫映画か? ――と、思ったら隣の少年と目があった。


「今は自身が漬かっていた魔素の影響が強すぎて判別が難しいでしょうけれど、魔素の存在はしばらくすれば、本能的に分かるようになります」

少年が口をきく。


 緑なす黒髪……というには緑だな? というか青だな? ティールブルー? 瞳は琥珀色。こっちも道着っぽいものをきているが、ファンタジーも混じったぞ?


 十四、五、少年から青年になる手前の印象。特有の線の細さは残るが、鍛えているのがひと目でわかる体型。日向で緑が強く、日陰で青が強く出るファンタジーな髪を持つ男。


 人ひとり、視界に入らなかったわけではないが、認識していなかった。老人の声、姿、視界に入る他の情報、音。おそらく、この老人の声を起点に世界を認識し、認識することで自分という個を、揺蕩たゆたっていた世界から切り離したからだ。


 少年を認識したのは、世界を認識して意識が覚醒してから。


「……」


 それにしても二百年後の未来、こんな感じなのか。なんかカオスなことになってるっぽいな?


「儂はコンテン。こっちはアオノ」

コンテンと名乗った老人の隣、男が無言で軽く頭を下げる。青い頭だからアオノ? 


「私は仙對せんつい――」


 私? ……意識が混濁しているようだ。まだ眠い気がする。


「日本というか、地球は兄さんが寝ているうちに大分様変わりしている。具体的に言うと魔物が出る――ここもまだ魔物の活動域だ。兄さんがいるから寄ってはこんだろうが、歩きながら話そう」


 俺がいるから寄ってこない?


「老師、その前に確認を」

アオノが言う。真面目そうだ。


「ああそうだな。兄さん、悪いが脱いでくれ」

「……は?」


 追い剥ぎか? いや確認と言ったな? 何を確認するのか。予想外の言葉だったので、おかげでちょっと覚醒した。


「この地球は魔素に影響を受けて、魔物になった魔人っていうのがいるんだよ。まあ、人を襲うヤツだな。起きたばかりは漬かっていた魔素の気配が強くて、人間かそうでないかの区別がつきづらい。まあ、そのおかげで魔物も寄ってくることがないわけだが」

コンテン老師が言う。


 なるほど、だから『俺がいるから寄ってこない』。俺の存在が目くらましになるけど、俺にたどり着くまでに2人の気配に気づいて、近づいていた魔物がいるかもしれないから移動、そんな感じか? いや、魔素で魔物になるなら、魔素の濃いここに長くいることは危険?


「それで何故脱ぐことに?」

乏しい知識で色々考えながら聞く。


「人間なら4つの【聖痕】のうち、最低一つは必ずあります。魔人は魔人で【魔痕】と呼ばれるものを持ちます」

真面目な顔でアオノが言う。


「聖痕……、魔痕……」


 寝てる間に世界は厨二病に変わったようだ。


 しかもこれ、【聖痕】とやらがないとピンチなやつか? 慌てて知識を引っ張り出す・・・・・・


 ある日地球は魔素と呼ばれるモノがあふれた。それに飲み込まれ、多くの人や動物が眠りにつき、しばらく後、大半が目覚めた。――ここで目覚めずに眠り続けていたのを『眠り人』という。


 目覚めて視た世界は、魔物が跋扈ばっこする世界。魔素溜まりにはダンジョンや迷いの森ができ、目覚めた人々も影響を受けていた。


 銃火器は使えることは使えるのだが、魔物は魔素を持つ者、魔素を帯びる物でしか倒せない。というか、倒してもまた集まって元に戻る。魔素が機械に宿ることは稀だ。


 ――人々は魔素と聖女の存在を知る。


  溢れ出た魔素とその中に混ざる聖女の力。あんなに憎しみに・・・・・・・・溢れていた聖女・・・・・・・だが、地球の人間には優しかったらしく、この魔素が溢れる世界で生きてゆく力を人に与えた。


 人が得た力は5つ。


【勇者】、武器の扱いや体術に特性があり、強靭な肉体となる。

【聖者】もしくは【聖女】、回復や治癒の魔法が使える。

【魔法使い】、攻撃を中心とした魔法が使える。

【付与者】、魔法を帯びさせたり、自分の魔素を呼び水とし人や物の能力を引き出す。物に使えば【生産者】、人に使えば【補助魔法使い】と呼ばれることもある。


 ちなみに【聖痕】持ちが魔物を倒すと、その分の魔素は人間に優しいもの――『よきもの』に変わる。具体的には魔物を倒した人間を強くする。ゲームでいうところの経験値みたいなものか?


 異世界でも聖女の存在は同じ現象を起こしていたが、地球こっちではより顕著なようだ。聖女はいないが、魔素に溶けた聖女の願いがそうしているようだ。


 生命のやり直しはきかないが、ゲームのような世界と認識してもイメージはそう遠くないだろう。


 ちなみに、俺が寝ている間に聖女が語りかけた様ですよ、起きてた人間に脳内に直接。


『聞こえますか……あなたの脳内に……直接……』


 というやつだ。いや、心だったな、脳じゃない。心と脳内、情に訴えるか洗脳かの違いだろうか。どっちも似た様なもんだな。


 ――魔素は別に悪いものではない。ただ、あっちにあった魔素があっちのやつらのやらかしや、歴代聖女の恨みなどでほぼ満遍なく汚れていただけで。魔素じゃなくって、『瘴気』と呼ばれることもあったな。


 『瘴気』も『よきもの』も色付け程度の違い・・・・・・・・はあるものの、同じ魔素だ。


 同じだけれど、その差による人間への影響は大きい。聖女の力――【聖痕】を持たず、汚れた魔素を多く受け入れた人間は魔人と呼ばれる魔物の一種になる。【聖痕】を持っていても、『よきもの』を汚れた『魔素』が上回れば魔物化する。


 魔素には「溜まる」「集まる」「増えようとする」性質がある。


 【聖痕】を持つ者たちは「集める」「増やす」方に傾くらしく、自己研鑽が好きな者が多い。


 魔物の方は破壊衝動と本能が強く出るため、相手いれものを壊して魔素を集めようとする。高位の魔物や魔人は理性で破壊衝動を抑えることができるが、それは大抵の場合効率よく「集める」ためだ。


 こんにちは、魔王です。さっき起きたんで、この厨二病世界は俺のせいじゃありません。だいたい聖女のせいです。

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