それからというもの、イザクの訪れは目に見えて減っていった。


 たまの用事で会えたとしても、触れるどころかミリの目を見ようともしてこない。やさしかったイザクは、会うたびに明らかにミリに対してそっけなくなった。


 きっと醜い傷跡を見られてしまったせいなのだろう。


(初めから住む世界が違うひとだったのよ)


 絶望の淵に追いやられ、それでもミリはイザクへの想いを消すことはできなかった。

 飢えに苦しむこともなく、あたたかな布団で横になることも毎日できる。ミリがこうして日々を過ごせるのは、イザクが援助を続けてくれるからだ。


 だから、恨んではいけない。


 メレフも、賢人ハハムも、ミリの家族の犠牲の上でしあわせを享受している人々も。


 この平和になった世界で、イザクもまた生きているのだから。



 孤児院の仕事にミリはますます忙殺されていった。まるでその心を麻痺させるかのように、自身を追い込み日々の作業にのめり込んでいく。


 しかしイザクによる寄付金は驚くほど増やされて、孤児院を手伝う人員も次第に有り余ってきた。


「ミリさんは休んでていいんですよぅ?」

「そうですよ。ミリさんはここの院長になったんですから。座ってゆっくりしててください」


 遠くから聞こえる子供たちの声に、死んだ弟の叫びが重なった。


 ミリは未だにあの日を夢に見る。

 生き物のように荒れ狂う炎、むせかえる煙と熱に逃げ場なく取り囲まれる。成す術もなく火の海の中で、ミリは何度も何度も繰り返し家族を失った。


 昨日のことのような臨場感をもって、その情景はミリを果てなく追い詰める。

 夢を見る気力もないほど、体力尽きるまで働き通しのほうが楽なのに。

 ぽっかりとできた何もすることのない時間に、ミリの思考と感情が次第にさいなまれていく。


 そんな中でもイザクの存在が心の支えとなった。

 苦しいときミリはいつでも、穏やかな彼の笑顔を思い浮かべた。

 戦争で苦しんだのは何も自分だけではない。国中が疲弊し、ようやく平和を手に入れたのだ。

 今、自分はイザクに生かされている。そのことに感謝し、イザクのしあわせを遠くから祈り続けよう。

 家族の無残な最期が胸をよぎっても、ミリは自分にそう言い聞かせ続けた。



 乾いた風が吹く中、ミリは気晴らしに外へ出た。


 なぜ自分は未だここにいるのだろう。

 部屋に籠っていると、そんな疑問が湧き上がってくる。


 孤児院の院長として皆から必要とされているはずなのに、ミリの心は常に無価値感に占拠されていた。


 風にはためく干されたシーツの列が、太陽の匂いを運んでくる。

 いつかこのあたたかな香りの中に、イザクとふたりで閉じ込められた。


 彼はとうに忘れてしまったかもしれない。

 くるまれたシーツの中での甘い口づけは、ミリにとって永遠に消えない秘密の宝物だ。


(このまま消えてなくなってしまおうか……)


 やさしい思い出に包まれて、すべてを終わらせてしまえたら。


「ミリ……!」

「イザク様……?」


 駆け込んできたイザクに、ミリは息を飲んだ。

 あの日も彼のことを考えていて、イザクは目の前に現れた。


「あ、いや、ミリが独りで泣いているのかと……」


 吹く風に誘われるように、イザクの手がミリの頬に延ばされる。

 あの日のように唇をなぞる指先が、心を覆う冷たい氷をやさしく溶かしていった。


「すまない、わたしの気のせいだったようだ」


 視線を逸らし、イザクはミリから手を離した。残された僅かな温もりに、ミリの心がどうしようもなく締めつけられる。


(イザク様はずっと変わらない)


 そして、きっとミリの秘められた想いも。


 風にあおられたシーツが、割るようにふたりの間を隔てていった。

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