第15話 ミニトマト豚肉理論
「ん? どうしたの?」
「いや、何でもない。そっちを頼む」
俺は伊佐凪の思考回路を理解することを諦め、ピアノを指さす。
「了解っ。じゃあ、弾こっか」
「あぁ」
そして、また俺たちは狭い椅子の上に並んで座り、鍵盤の上に指を乗せる。まずは復習だ。先週習ったコードを一通り押していく。
不揃いだが和音とルート音だけが部屋に響く。
決してスムーズとは言えないが、間違えることなくコードを押さえられたと思う。伊佐凪は目を丸くして驚いていた。
「すごいね、霧山くん。家にピアノないから練習できてない筈だよね?」
「いや全然すごくないだろ。まぁ、紙に鍵盤を書いて、なんとなく練習はしたけど」
謙遜でもなんでもなく、そんな目を輝かせて褒められるような上達ぶりではないと思う。
「ううん、私ほかの友達にもピアノ教えてって言われて霧山くんに教えたのと同じこと教えた子もいるけど、誰も練習しなかったよ? 教えたことをちゃんと頑張ってくれるって嬉しい」
伊佐凪はもはや涙ぐんでいる。感情が豊かすぎるだろ。
「いや、俺から教えて欲しいって言ったんだから、これくらいは当たり前だろ」
「フフ、霧山くんは真面目だね」
「真面目? いや、普通なだけだ」
「霧山くんが普通? ふつーかなぁ……」
伊佐凪が首を傾げながら顔を覗き込んでくる。ただでさえ体が触れるほど近いのに、顔を近づけないでほしい。
「ま、なんとでも言ってくれ。じゃあ、次はまた来週か」
「あ、うん、えーと」
時間になったから逃げるように次の予定を確認して帰ろうとしたところで伊佐凪が目を逸らす。来週は他に何か予定でもあるのだろうか。
「どうした? 別に来週はスキップしてもいいぞ?」
「あ、いや、違くて。その、うーん、友達っ!!」
「は?」
訳が分からない。いきなり両手をグッと握りこみ、顔を真っ赤にして『友達』と叫び始めた伊佐凪。唐突だし意味不明だしで普通にビビる。思えば伊佐凪には何回かビビらされていることを思い出すと、俺が今世界で一番ビビってる相手はコイツかも知れない、なんてことを思う。
「私と霧山くんは友達だよねっ!」
あぁ、そういうことね。であれば答えは──。
「いや、違──」
「友達ならっ、一緒にご飯も食べるの普通だしっ、おうちに遊びに来るのも普通だよねっ!!」
無視された。
「いや、だから友達じゃ──」
「はいっ、先生と生徒の時間おしまいっ! 今からは友達として夕飯にご招待します! 食べていって下さいっ!」
「え……、いや、だから──」
「食べて、いって、下さいっ」
ズズイと睨みながら、上半身をこちらに突撃させてくる伊佐凪。必死に俺はのけぞるがピアノの椅子から落とされそうだ。
「お、おう」
謎の圧力にたじろいでしまい、頷かざるを得なかった。やはり、俺をビビらすことができるのは、コイツくらいだ。
「快諾して下さり、ありがとうございます」
スッと姿勢を正し、パッと笑顔になる伊佐凪。
「……あぁ」
俺はその言葉にもしかして快諾していたのか? と不安になり、先ほどのやり取りを思い出してみる。が、絶対に快諾してはないと思う。
「今日はさっぱりと冷しゃぶのパスタです。すぐに用意するので待ってて下さいね♪」
「あぁ。了解」
伊佐凪はご機嫌でパタパタとキッチンへ向かっていった。仕方ないので待つことにし、折角なのでその間、ピアノの復習をする。右手で和音を四ツ拍子で打ち、左手はルート音を押さえる。目の前の楽譜に書かれている通りにコードチェンジしていく。
「できましたっ」
「……ん」
声が掛かったので、ピアノの電源を落とし、テーブル前のクッションへと向かう。
「はい、どうぞ」
「あぁ、さんきゅ」
俺はその光景を見て、何度か瞬きをしてしまう。お揃いのお皿に、お揃いの箸に、お揃いのグラスが、お揃いのマットに敷いてある光景を見て、だ。
「……」
「どうしました? 食べれないもの入ってました?」
「いや、脳がバグりそうなだけだ」
まるでこれはカップルか下手したら新婚さんかというような光景だ。テーブルの向こうでは伊佐凪が何の違和感も感じていないかのようにニコニコとしている。
「? どうしました?」
「……なんでもない」
こいつは何とも思わないのだろうか。一人暮らしの家に男を招いて、こんな形で夕食を振舞うなど一歩間違えれば勘違いさせるし、なんなら頭がお猿さんな男子高校生であれば暴走してもおかしくない。
「食べません?」
「いや、食うけど……。まぁいいか、いただきます」
「いただきます」
伊佐凪がそれでいいなら、まぁそれでいいかと。俺の方がそんな心配をするのもおかしいと思うため、それ以上は何も言わずにパスタを食べる。
「どう?」
「普通に美味いよ」
「むぅー。じゃあもうちょっと美味しそうに食べてくれたら嬉しいんだけどな」
「俺が笑顔で、伊佐凪さんっ、美味しいですぅ、って言ってたらキモくないか?」
「……あー、うん。それはキモイかも」
渇いた笑いと引きつった顔でそう言われる。
「……自分で言っておいてなんだが、キモイって言われるのもムカつくな」
「でしょー!」
テーブルから乗り出すな、乗り出すな。
「いや、でしょーは、おかしいだろ。なんで、そこででしょーが出てくるんだよ」
「え、だって、前に霧山くんからキモイって言われたし」
「……言ったっけ? ……覚えてないな」
「言いましたっ。女の子にキモイって言っておいて、それを忘れちゃってる子には、こうですっ」
「あ、おい」
伊佐凪は、自分のパスタの皿に乗っていたミニトマトを掴んで俺の皿に乗せてくる。
「いや、俺の皿から好きなもん取ってくなら分かるが、トマトを寄越すのはおかしいだろ。トマト嫌いなのか?」
「ううん、好きだよー? でも、ほらトマト、特にミニトマトって女の子の気持ち成分が入ってそうだから、霧山くんもミニトマト沢山食べれば、女の子の気持ち分かってくれるかなーって」
そんなんで分かるわけがない。現にミニトマト理論が理解できない。
「トンデモ理論だな。だがその理論に基づくなら、じゃあ、ほれ」
俺は豚肉を箸で掴み、自分の皿から伊佐凪の皿にひょいと移す。
「?」
「豚肉パワーでタフになって、キモイって言われても平気なヤツになれ」
「……霧山くん、それ、絶対女の子に言うセリフじゃないよ」
伊佐凪はブーたれて軽く睨んでくる。
「……フッ」
「あっ、笑った。ちょっと写真撮っていいっ!?」
「いいわけねぇだろ」
もう、ホントにこいつは何なんだよ。
「フフ、友達とご飯って楽しいね」
「友達じゃな──」
「楽しいねっ!!」
「……はい」
こうして、結局俺は土曜日丸一日を伊佐凪と過ごしたのであった。
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