第13話 一人暮らしでピアノが一台、椅子は何個でしょう
◇◆伊佐凪視点◆◇
私が洗い物をしていると、霧山くんはピアノに座って、一音ずつ確かめるように音を出しながらふむふむと頷いている。なんだか可愛らしく見える。
「フフ」
自然とニヤけてしまう。なんだか、自分の部屋に男の子──霧山くんがいることが急に嬉しくなってくる。
「伊佐凪、人が真剣にピアノと会話しているのに、笑うとは失礼だぞ」
「ごめんねー」
横顔からチラリとこっちを見てきて、そんな文句を言ってくる霧山くん。学校では前髪をおろしていてメガネも掛けていなくて目つきが怖いって女子の中では噂に上がることがある。
でも家での霧山くんは前髪を上げて留めていて、メガネも掛けているからか、優しいイメージだ。口はほんのちょっと悪いけど。うーん、いや、結構? かなりかな。
「伊佐凪。なんか良からぬことを考えていないか」
「え? 全然だよ、なんで?」
「いや、そんな気がしただけだ。勘違いならすまん」
「フフ、いーよ」
内心ドキっとしてしまった。霧山くんは心が読めるのだろうか。
「ふむふむ」
そんな心配をよそに、霧山くんは、またピアノの鍵盤をゆっくり、しっかり押して音を確かめている。電子ピアノだから調律は狂うことないんだけど、何をしているのだろうか。
そんなことを考えている内に、洗い物が終わった。
「霧山くん、何をしてたの?」
「ん? いや、別に何もしてないぞ。音を出して、聞いてただけだ」
「? そ、そっか」
なぜ、それだけのことをこんなにも堂々と言い切れるのだろうか。私だったら何かそれっぽい理由を付けようとしてしまうだろう。
「じゃあ、よろしく伊佐凪先生」
「任せなさいっ」
「……調子乗ってるのウザいから、もう先生って呼ぶのやめるわ」
「うんっ」
「……なんでそんな機嫌が良いんだよ」
「なんとなくかなー」
そう、なんとなく。なんとなくこの空間、この空気が楽しいから、機嫌が良い。それ以上でもそれ以下でもない。
「ま、いいけど」
「うん。じゃあ霧山くんはどんなピアノが弾きたいか教えてくれる?」
「……即興。即興でセッションできるようなピアノが弾きたい」
「え」
意外と言えば意外なところだ。
「難しいか?」
「んー。もちろん簡単ではないけど、でも、うん、霧山くんならきっとできる気がする」
即興音楽は、知識やテクニックももちろん大事だけど、勇気や自信というものが必要になってくる。失敗を恐れず、堂々と弾けてこそ、だ。霧山くんはきっと私より上手くなる気がする。
「じゃあ、まずはお勉強だね。コードとスケールを覚えていこうか。んしょ、もうちょっと詰めて」
「……椅子、もう一個ないの?」
「一人暮らしでピアノが一台で、椅子が二個あると思う?」
「……」
霧山くんは、少し考えてからお尻を左側にズラした。私は右側に座る。ちょこんと腰がぶつかる位置だ。
「椅子が二個あってもいいんじゃないかと俺は思う。というか、別にピアノ専用の椅子じゃなくても──」
「はい、つべこべ言わない。今は私が先生です。ピアノに集中してくださーい」
「……くっ。分かった」
「うんうん。じゃあ、まずは基本コードを押さえていくね。Cがドとミとソ。で、Dがレとファのシャープとラ」
私の手と見比べながら、真似をして指を置いていく。
「霧山くん手、おっきいね」
「ん? あぁ、まぁそりゃ女子に比べればな」
何のストレッチもせずにオクターブに届きそうな手だ。
「いいなぁー」
「……まぁでも伊佐凪みたいに細い指の方が、ピアノ弾く手って感じだけどな」
「そう?」
「あぁ」
霧山くんの手を見たあと、自分の手を見比べる。なんかピアノに自分の手以外が並んでいるのって新鮮だ。
「で、次は?」
「あ、ごめんごめん。次はEで──」
それから暫くコードについての講義をした。あっという間に時間は過ぎて──。
「もうこんな時間か。伊佐凪教えるの上手いな。理解しやすかった」
「いやいや、私なんて。でもそう言ってもらえるのは嬉しいな。ありがとう」
外は暗くなってきている。お腹も空いてきてしまった。何度か霧山くんにはお腹の音を聞かれているけど、一度聞かれたから何度聞かれてもいいってものじゃない。
「じゃあ、今日は帰るわ、また来週かな」
「うん、また来週お願いします」
「じゃ」
「うん。またね」
そんな短いやり取りをして、霧山くんは帰っていった。
「ふぅー」
そして私はクッションに倒れこむ。
「夕飯誘っても良かったかな。友達なら一緒に食事くらいするよね。でも、霧山くんの中では友達とすら思ってもらえてないんだろうなぁ」
このまま夕飯うちでどうかな? の一言は言えなかった。なんならピアノいつでも貸すからうちに来ていいよ、とも頭の中にはよぎっていた。
「あー、もう。なんか変」
ブンブンと頭を振る。
「……一人暮らしで寂しいのかな」
あんなにツンケンして、ひどいことも言われるのに、不思議と安心感がある。きっと、一人暮らしの寂しさがそうさせているのであろうと決めつける。
「霧山くん、か。不思議な人」
友達が少ないかと思えば、全然喋りやすいし、意地悪なことを言うかと思えば、なんか優しいし、堂々としているかと思えば、シャイなとこもあって。
ふと、ピアノの椅子に目をやる。
「あそこに二人で座ってたんだ」
始めはぶつくさ言ってたのに、教え始めたらまったく私のことなんか意識しないで集中しちゃって。
「うんうん。二人でピアノ弾くなんてもう友達だよね。うん、きっと友達。よし、来週は夕飯に誘ってみるぞ。頑張れ結衣!」
私は、自分を鼓舞し、来週に向けて決意を新たに夕食を用意するのであった。
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