第四部 夜の手
私は目隠しをし後ろ手に縛られて、砂利の上に座らされていた。
目隠しといっても、ヒラヒラした布を額に巻き付けられているだけなので、下はよく見えた。
隣には同じようにして望月が座らされていた。
彼は片腕なので、腕は腰ひもに縛り付けられていた。
彼は私より冷静に見えていたが、隣で浅い呼吸の音がだんだん早くなっているのが聞き取れた。
それと対比するかのように、私の心は平穏だった。
凪…それが私の心情を表すのに適している言葉と思えた。
それはそうか…私は一度死を経験しているのだ。
首を斬られるのは初めてではあるが、その先に待っているのがあの光の空間であることを知っている。
いや待てよ…こんな死に方をしてもあそこに行けるのだろうか…。
いやきっと行けるはずだ。どんな死に方をしても、死は平等に萬物に訪れる…。
訪れるべきなのである。
私は望月に安心するように声をかけようとも思ったが何と言ったらよいかしばし悩んだ。
何しろ私のせいでこうなっているわけだし。
しかし、望月には最後に声をかけてやらねばと思った。
「望月。恐れることはない。死の向こう側はそんなに悪くない」
ふざけた言葉だと自分でも思った。自分のせいで死ぬ人に言うべき言葉ではない。
だけど、望月は知っているのだ。私が死後の世界からやってきたことを。
こうなってしまった以上は少しでも安心させたい。
「はい、若様」
望月はそう言い、そして密かに泣き始めた。
すすり泣く望月の声を私は心に刻みつけた。
そうして私達の処刑は執行された。
首が斬られたのかどうか、わからなかった。痛みを感じる前に斬られていたのかもしれなかった。
自分の頭が地面にぶつかり、斬られたのかなと思った。
それから、めくれあがってしまった目隠しの間から、ちらっと母親の顔が見えた。
傍観者たちの中に紛れて彼女は血の気の引いた真っ青な顔をしていた。
ここでブンッという大きな耳障りな音がした。
それと同時に私は全く別の場所に移動していた。
…いや、移動したというよりは場面が切り替わったと言った方がよい感じだった。
パッと場面が変わったのだ。
私はぼんやりした明りの下に立ち、目隠しをしたルイの手に触れたところだった。
…違う、これはルイじゃない。
…ルイの体を乗っ取ったあのババアだ。
「連れて来ても無駄だって言ったじゃないか」
女が言った。
女がルイの声帯を使って喋っていることに怒りを覚えた。
このシーンには見覚えがあった。
私が前世で差し延べられた女の手を取ったあの時だ。
私は…女のシマとして生きていた前世に戻っていた。
まるで夢から覚めるように一瞬で、あのお堂の前で黒衣の女の手を取った時点に戻っていた。
ひとつ違っているのは、向き合っている女が両目から血を流している薄気味悪い奴ではなく、目隠しをしたルイの姿をしているところだった。
女は愛おしそうに私の手をサワサワと撫でた。ゾッとして私は手をひっこめた。
「ナオシテ」
聞き馴染みのあるヤミの声がして、私はようやく女から視線を逸らすことができた。
ヤミが私の顔を覗き込みながら声を発したのだった。
ヤミは私と視線が合うと、人差し指を唇の前に立てた。それは「黙って」という仕草だった。
この女に私がどこから戻って来たか悟られてはいけない。
私はそう理解した。
「治して? 私が? 何を?」
私はできるだけ、自然に聞こえるように言った。
そして後ろを振り返った。
そこにはルイが強張った表情で立っていた。
前世のルイ。男として生きているルイだ。
その表情や視線から、ルイは私と一緒に戻っては来れなかったのだと判断できた。
ここにいるのは何も知らないルイだ。
私は覚悟を決めヤミの方へと意識を戻した。
ヤミは女を指さしていた。
そして「ナオシテ」ともう一度言った。
あの時は明らかに目を怪我していたので、目を治せと言われたのかと思ったけれど…。
私は少し考えてから「どこか病気なんですか?」と言ってみた。
「このとおり、私は盲なのさ」
女は目隠しの上から目をさすりながら言った。
ルイの体に触らないで欲しいと思った。
私が無言でいると、女が先を続けてくれた。
「その子は執着している。お前さんが何でも治せると思ってるのさ」
「む、無理ですよ。私には治せません」
「その目、何で見えなくなったんだ?」
ここで後ろにいたルイが会話に入って来た。
「これかい? これはね、元からこうなる運命だったんだよ。この子が私の目を治して何をしたいのかは知らないけどね。こんな目はね、見えなくていいんだよ。あんたにもそのうち解るさ」
女は言い終わると気味悪く笑った。
その笑いが私には耐えられないほどに不気味だった。
たまらずに下がってルイの腕にしがみついた。
ルイは怒っているようだった。
なぜか私以上に彼は怒っていた。
「もうその変な兄ちゃんをシマに近づけさせないでくれる?」
ルイがそう言うと、女はあっははと大げさに笑った。
「この子は変な兄ちゃんではない。ヤミだ。ヤミだよ…ヤミなんだよ。ヤミ、ヤミ、ヤミ…」
女はヤミの名を繰り返し言った。それが実に狂気じみていた。
ルイは「やべーよもう帰ろう…」と小声で言った。
私たちは逃げるようにしてお堂を後にした。
少し行ってから振り返ると、お堂の明りは見えなくなっていた。
それが消えてしまったのか、木々の間に隠れてしまったのかはわからなかった。
今回ヤミは私たちについては来なかった。
ヤミにルイを託された。私はそう解釈した。
小さな懐中電灯の光を頼りにやっとのことで元いた山沿いの道に出ると、ルイは一言「帰ろう」と言った。
歩き出したルイの背中を見て私は込み上げる想いを抑えきれなくなっていた。
「ルイ…」
名を呼ぶと彼は振り返って私を見た。
金髪を後ろで縛り、派手なシャツを着ているルイ。
やんちゃそうに見えるけど、実はとっても優しいルイ。
この人が男であっても女であっても常に熱心で柔軟で無鉄砲でひょうきんで凛としていることを私は知っている。
私はどうしてあの時ルイのプロポーズを断ったのだろう…と思った。
私の最大の過ちは、この人生でルイを選ばなかったことだ。
ルイは私の次の言葉を待って立っていた。
「ルイが好き…」
私はそう言った。
「こんな時に言うことじゃないかもだけど…でも、私、ルイが好き」
ルイが私の言葉を飲み込むまでに数秒かかった。
ルイの目が見開かれ、そして持っていた懐中電灯を落としてしまった。
それから彼はずんずん私の方へと歩いて戻り、優しく力強く抱きしめてくれた。
それ以上言葉はいらなかった。
私たちは手を繋いで夜の中を歩いて帰った。
道中、ルイは何度も「生きててよかったぁ」と言いながら私に笑顔を向けてくれた。
私がこの手を握っているかぎり、ルイが生きててよかったと思ってくれるのならば、私はきっとルイを治すことができる。私はそう思った。
私はこの手を放さない。例え死が二人を分かつ時が来ようとも。
Outro
私には特別な利用者さんが二人いる。
ひとりはルイさんと言った。昔はやんちゃだったのかなと思わせるちょい悪ジジイ風…なんだけど認知症が進んでもう自分が誰なのかもよくわかっていない感じの人だった。
もうひとりはルイさんの奥さんのシマさん。こちらは元気なお婆さんだった。亡くなる直前まで意識もしっかりしていて、みんなのお母ちゃんみたいな人だった。
私が最初に担当になったのはルイさんだった。
当時、ルイさんを自宅で介護していたシマさんが、なぜか私をご指名でヘルパーとして派遣されることになったのがきかっけだった。
私のことをどこで知って、そしてどうして選んでくれたのか、その理由はついには教えてもらえなかった。
理由はともあれ、シマさんとルイさんの家は居心地がよく、私も働きやすい環境だった。
シマさんはよく歌う人で、何の歌だかわからないけれど、独特な節回しの歌をよくうたっていた。
その歌声を聞くと、私は不思議と安心するような気持ちになるのだった。
認知症がずいぶんと進行しているルイさんも、シマさんが歌い始めると、じっとそれに意識を向けて聞き入っているようだった。
ルイさんは長年にわたり認知症の治療をしてきたが、あまり効果はないとのことだった。
寝たきりになってしまって全介助が必要だった。
シマさんの本棚には認知症に関する本、それからなぜか洗脳技術だとか、白内障などの目の病気に関する本がたくさん並べられていた。
今どき紙の本なんて珍しいな…と思ったが「どうもデジタルの書籍には馴染めなくてね…」とのことだった。
「紙の本で繰り返し読んだ方が頭に入るんだよ」
シマさんはそう言った。これらの本の内容を全て暗記でもしようとしているかのようだった。
何のためにかはさっぱりわからなかった。
ふたりの家には高校生くらいの男の子がひとり同居していた。
左目のまわりにアザのある子だった。
男の子の名前はヤミと言った。
言葉を発しない子だった。
ふたりには子供がいないと聞いていたので、孫ではない。
親戚の子というわけでもなさそうだった。
この子はいったい誰なのだろうと私は思っていた。
「この子はね人間じゃないんだよ」
シマさんはよくそう言っていた。
冗談ではなく、どうやら本気でそう思っているようだった。
シマさんが言うには、ヤミは私に懐いているらしいのだが、私がそう感じたことは一度もなかった。
彼にとって私は空気だった。
そこにいるけれどいないも同然。
私もその方が気が楽でよかった。
害はなさそうだったが、やはり私はヤミが怖かった。
私がルイさんのヘルパーになってからちょうど一年目の春にルイさんは亡くなった。
まるで眠るように天国へ旅立ってしまった。
ルイさんの葬儀は親族のみでしめやかに執り行われた。
「あなたはもう家族だから」というシマさんの言葉で私もルイさんの葬儀に参列させてもらった。
葬儀の間、親戚の人たちが出入りしている間、ヤミは隠れてしまって出て来なかった。
みんなが帰ってしまうと、ヤミはどこからか現われてルイさんの骨壺のカバーに触ったりしていた。
ルイさに先立たれたシマさんは、私が元々働いていた介護施設に入居した。
そして私は引き続きシマさんの専属ヘルパーとなった。
施設に移ってからもヤミを時々見かけることがあった。
彼がいつ来ていつ帰っているのかもわからず、相変わらず不思議な子だった。
このころになると、シマさんは私に「生まれ変わりって信じる?」なんてことをよく話していた。
もしかしたら最期を感じていたのかもしれない。
私はこの仕事柄、多くの死に向き合って来たけれど生まれ変わりについては有るとも無いとも断言できないと思っていた。
人生の最期に触れていると科学では説明できない不思議なことがしばしばおこる。
シマさんはルイさんの後を追うように二ヶ月後にぽっくり亡くなってしまった。
昼食後、庭の景色を見ながらまどろんでいるシマさんの様子を見に行くと、そのまま亡くなっていたのだ。
ついにシマさんがなぜ私をここまで頼ってくれたのか解らず仕舞いだった。
ヤミはシマさんの葬儀には現れなかった。彼がどうなったのか捜しようがなく、身寄りがあるのかどうかも、結局何もわからなかった。
シマさんが旅立ってしまって、私の心にはぽっかり穴があいたみたいだった。
まるで母を亡くしたような、そんな気持ちだった。
もしもこの世に生まれ変わりがあるのであれば、今頃シマさんはルイさんと合流しているだろうか…。
私は時々そんなことを考えた。
だけれども、私には永遠にその真相はわからないのだ。
そう、永遠に。
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