15 暗躍するもの

 ルビーは僕から身体を離して立ち上がり、僕の右手を取った。

 ルビーの手は白くて小さい。テビスのように爪が尖っていたりしない、普通の人間の手に見える。


 そのルビーの手が僕の右手を両手でつかみ上げて、頬に擦り寄せた。


 次の瞬間、ルビーが僕の手にがぶりと噛み付いた。


「痛っ!?」


 思いの外尖っていたルビーの歯が僕の手の甲に突き刺さり、あっさり皮膚を貫通した。


「何してるの!?」

 流石に驚いたが、僕はルビーを振りほどいたりしなかった。

 痛いし、血は出てるし、異常な光景のはずなのに、僕はそれでもルビーが僕に悪さをしているように見えなかったのだ。


 不思議なことに、徐々に痛みが引いて、手の甲から何かが流れ込んできた。


 五分くらいそうしていただろうか。ルビーが僕の手から口を離した時には、手に血の跡も、傷跡すら無かった。

 手は相変わらずルビーが両手で掴んでいる。


「一体、何だったの」

 どうもこの世界の人は、突然何かをしでかす。サンプルがテビスとルビーしかいないけど。

「血を伝って、魔力ちょっと返した。リョーバ、魔法使えない?」

「魔法って……こうかな」

 テビスの知識から魔法の使い方を見つけた。左手を部屋の隅に向けて、えい、と魔力を放出するイメージ。

 すると音もなく、イメージした通りの小さなサイドテーブルが現れた。

「できた……本当にできるんだ」

 僕がこの家や他の人の家を建てた、何なら荒野だったこの土地を緑豊かな土地にしたと聞かされても、半信半疑だった。

 今自分が実際に魔法を使ったことで多少は信じたが……。

「これが精一杯だよ。家を建てろって言われたら、どれだけ魔力が必要なんだろ」

「いまはこれでいいの。これから、魔力ちょっとずつ返す。血を使う以外の方法、テビスにも考えさせる」

 テビスに『考えさせる』って、あの人王様だよ? ルビー強いな。

「どうして」

 そんなことまでしてくれるのか、と言いかけたが、ルビーがまた抱きついてきたので言えなかった。


「最初は、リョーバ、強かったから好きかと思った。でも、強くないリョーバも好きだった。でもでも、わたしに返せる力があるなら、返したいの」

 ルビーは僕から漏れてる魔力を吸収して食事代わりにするんだっけ。

 今や魔力は漏れるどころか、さっきの魔法で殆どなくなっている。

「でもルビーは、僕が食事しないと生きていけないように、魔力を吸収しないと駄目なんじゃ……」

「魔力、吸収しなくても死なない。あれば吸収するけど、なくても平気」

「本当に?」

「本当」

 エネルギーを摂取せずに生きられるなんて、有り得るのだろうか。




 朝日が昇って少し経つが、ちょっとだけ寝ようということになった。

「本当に!? 本当にここで寝てたの!?」

「本当。証拠に、ベッドふたつある」

「あるけども!!」

 なんと僕は、同じ部屋でルビーと寝ていたというのだ。

 ベッドはふたつあるが、寝返りを打てばお互いのベッドに転がってしまうほど近い。

「ルビーが言うならそうなのかな……僕は大丈夫だったんだろうか……」

 話をしたり、触れたりしているうちによくわかった。

 ルビーは見た目こそ小さいが、成人女性だ。

 未婚の男女が同じ部屋でこんなにベッド近づけて寝るなんて、色々と問題が。

「どうせリョーバのお嫁さんになる。何が起きても平気」

「ルビーそれちゃんと意味解って言ってる!?」

「解ってる」

 薄手の白い寝間着に着替えたルビーが、僕のベッドに四つん這い状態でぎしりと乗り上げる。

 そして僕に顔を、今にも鼻と鼻が触れ合うんじゃないかというところまで近づいて……。

 ぱっ、と距離を取った。


「リョーバ、一年待ってって言ってた。守る」

 記憶なくす前の僕グッジョブ!







 セリステリア国の魔道士の詰め所の一番奥、魔道士長の椅子には、真っ赤なローブを着た男がふんぞり返って座っていた。


 男が座る椅子と、足を掛けている机以外、家具はない。

 本来なら机と椅子が整然と並び、壁には魔導書や研究書などが詰まった本棚や諸々の手続きや雑事に関する書類棚などがあるのだが、跡形もない。


 殺風景になった詰め所の男の前には、灰色のローブを着た魔道士たち三十名ほどが、跪いて頭を垂れている。


「そうか、元勇者は記憶を取り戻したか。だが……インフィニオル国王が邪魔だな」

 赤いローブの男が『邪魔』と口にした瞬間、跪いている魔道士たちの身体がぴくりと反応する。

「おい、お前」

 指さされたのは、運悪く先頭になってしまった魔道士だ。

「はっ、はいっ」

「インフィニオル国王を殺してこい。その後、城と城下町を徹底的に破壊しろ。お前と、お前も行け」

 わずか三名の魔道士に命じると、魔道士たちは青ざめた顔のまま立ち上がった。

「仰せのままに」

 魔道士たちは転移魔法でふっと消えた。




 赤いローブの男がセリステリアに現れたのは、二ヶ月ほど前。

 人員の管理が杜撰なセリステリアで、彼が出戻りか、出戻りを装った偽者かの判断は、未だついていない。

 そもそも男はフードを目深に被り口布をしているため、瞳の色がフードと同じ赤だということ以外は、人相すらよくわからなかった。

 赤いローブの男は人間にしては膨大な魔力を持ち、魔族のような魔法が使えた。

 セリステリアの魔道士たちに指導を行い、新たな魔法の使い方を叩き込んだ。

 とはいえ、他の魔道士たちは普通の魔道士だ。魔力量の都合で、あまり強いものは使えない。転移魔法は自分自身と小さな荷物程度しか運べず、創造魔法は掘っ立て小屋を立てるのが精一杯だ。

 先程の三名に、インフィニオル国王――テビスを殺すなど、できるはずもない。


 だが、彼らは赤いローブの男の言うことを聞くしかなかった。

 少しでも反抗の態度を見せた瞬間、赤いローブの男に殺されてしまう。

 何人かが犠牲になっているのを、目の前で見ている。







「――成る程、それで貴様らは任務遂行を装って逃げ出したと」

 テビスの前には灰色のローブを着た魔道士が三人、縄でぐるぐる巻きにされて転がされていた。

 少し前にテビスの前に現れ、奇声を発しながらテビスに攻撃魔法を使ってきたのだ。

 その場に居た魔族は全員、奇声が聞こえる前から魔道士たちの存在に気づき、攻撃魔法はテビスが何かするまでもなく、誰かが放った防護魔法でかき消されている。


 曲者にとどめを刺そうとした従者らを制したのは、テビス本人だ。

 しかし「拘束を解いてやれ」という命令だけは、誰一人きかなかった。


「逃げ出したかったのは事実ですが、あの男に殺されるくらいなら、インフィニオル王の手に掛かったほうがマシだと……」

 魔道士たちの仲間は余程酷い殺され方をしたらしい。

 仲間たちの死に様については、ついに詳細を語ろうとしなかった。

「そうか、わかった。かといって、余に貴様らを救う道理はない。国王暗殺を謀ったとして厳正に処罰する」

「話を聞いていただけて感謝しております」

 魔道士たちは今度こそ、従者らが手荒く引きずっていった。


「密偵は」

「全員、戻しました」

「それでいい。ちょっと行ってくる」

「どちらへ?」

 従者の問いにテビスは答えず、転移魔法でその場から消えた。




 テビスが飛んだ先は、セリステリア国の王城だ。

 前回、王や宰相たちより話ができた側近を探し出し、声を掛けた。

「これは、インフィニオル国王。如何しました?」

 側近は物陰から現れたテビスに多少面食らいつつ、出来得る限り丁寧な挨拶をした。

 王よりはマシな反応だろうが、この期に及んで「如何しました」はないだろう。

「先程、この国の魔道士が余を殺しにきた。捉えて牢に放り込んである」

「我が国の魔道士が……はいっ!?」

 側近は目を見開き、持っていた書類や筆記具をばらばらと落とした。

「何も知らぬのか」

 この反応は、テビスの想定内だ。

 何やら強力な力を持ってしまった人間が、独断で事を起こしているのだろう。


 そしてその者がおそらく、魔物を創り出した魔道士と同一人物だ。


「申し訳ございません! ほ、本当に我が国の魔道士が……」

「知らぬなら仕方ない。しかし余が命を狙われたのは事実。勝手に調べさせてもらうが、良いな?」

「は、はい、王には私から」

「多分言っても無駄だろう。何か問われたら、全責任を余に回せ」

 そんなことはできませんと側近が叫ぶ前に、テビスは転移魔法を使った。



「誰だ」

 テビスは付近で一番魔力の強いものの前に現れた。

 赤いローブの男が、足を置いている机の上に立った男をじろりと睨め上げる。

「余の顔も知らぬのに、殺せと命じて人を寄越したのか」

 赤いローブの男がどれだけ魔力が多かろうと、所詮は人間で、只の魔道士。

 魔族の王たるテビスの睨みに、男は椅子から慌てて立ち上がった。


「その瞳、角……貴様が」

「何のつもりか聞かせて貰うぞ」

「のこのこ現れたか。好都合だ」


 赤いローブの男が手を挙げると、部屋の明かりが全て消え、真っ暗闇になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る