12 離反者



 リョーバがルビーから熱烈なプロポーズを受けていた頃。


「半年かかるだと? 元勇者は魔王を倒して帰ってくるまで半年しか掛からなかったではないか」

「それはゆう……元勇者殿が優れていたと、認めざるを得ないわけでして……」

「言い訳は聞かぬ! どれだけ馬を使っても構わぬ! ひと月で元勇者をひっ捕らえてまいれ!」


 セリステリア国では国王が下級兵士その一に無茶振りしていた。


「しかし馬にも限りが……街道拠点に配備していた馬は建物ごと壊滅しておりますし……」

「言い訳は聞かぬと言っておるであろう! できなければそなたは首じゃ!」


 直属の上官である第三兵団副団長に国王への報告役を押し付けられ、この場で理不尽な物言いを一身に浴びていた下級兵士その一は、王のこの言葉でなにもかもどうでもよくなった。


「わかりました、もう貴方にお仕えすることはございません」

 下級兵士その一は立ち上がってそう吐き捨てると、胸から王宮兵士の証である勲章をべりっと引き剥がし、王の足元に思い切り投げ捨てて挨拶もなしに立ち去った。

 勲章は床を跳ねて王の顔面にぺちりと当たった。

「ぶ、無礼な! 待て貴様!」

 王が喚き散らしている間に、兵士は執務室から遠く離れていた。


 下級兵士その一には身寄りがない。

 親兄弟親戚、果ては友人までも、魔物に殺されている。

 生きていることを呪ったことまであったが、セリステリアが僅かに見せた良心のお陰で王宮兵士の職を手に入れた。


 王宮の近くの兵士寮で住み込み始めてからは、気のおけない友人もでき、上官たちも独り身の兵士に何かと気をかけてくれた。

 訓練は厳しかったが、自分の剣で魔物を討伐できるのであればこの上なく嬉しい。その一心で兵士団に身をおいていた。

 しかし、王城の近くに居ると、良くない話を耳にする機会が増える。

 勇者を異世界から喚ぶという突拍子もない話や、魔物は実はセリステリア国が創ったという噂。

 国王と宰相の馬鹿さ加減。

 魔王を倒してきた勇者に半銅貨一枚も渡さず、更に魔族王討伐を命じる場には、下級兵士その一も居合わせていた。

 勇者の記憶を封じたという不思議な玉のことは、宰相が国王に見せるために堂々と持ち込み大声で効果を喋ったため、その場に居たものの殆どが存在と効果を知っていた。


 下級兵士その一は執務室から一直線に、宰相の元へ向かった。


「失礼します。王命により勇者の記憶玉を受け取りに参りました」

 王命と言った瞬間に、宰相の部屋の扉ががばっと開き、兵士を招き入れた。

「王命とあらば持ってゆけ」

 宰相が尊大そうに指さした先には、先日と同じく小ぶりなティートローリーに乗ったままの、虹色の玉がある。

 貴重なものらしいのに、宰相は「これを任されている自分スゴイ」をアピールしたいがためだけに、部屋に堂々と飾っていた。

「はい。……では失礼します」

「ああ待て。お前、名は?」

 兵士その一が名乗ろうとした瞬間、一陣の風が吹いた。

「ぶわっ!? な、なんだっ!」

 窓は開いていない。扉の向こうは廊下で、風が吹き込むことはまず無い。

 舞い上がる書類吹雪が収まった頃、兵士その一の姿はなかった。




「えっ? どこだ、ここ」

「インフィニオル国です。びっくりしましたよー、王命を断って首にされた下級兵士が、さらっと記憶玉持ち出そうとするんですもん。宰相の目はやはり節穴ですね」

 気さくに話しかけてくる人物は、自分の左胸のあたりを親指でとんとん、と軽く突く。兵士のそこに勲章が無いことを言いたいらしい。

 人物をよく見れば、頭に小さな角が左右に三本ずつ、計六本も生えている。

 ニッと笑った口からは、大きめの犬歯が覗いている。

 顔つきや体つきから男性のようだが、人間ではない。

 これが噂に聞く魔族だろうか。

 それが何故、目の前にいるのだろう。

「ああっと、そっちもびっくりしましたよね。私はインフィニオル国の国王陛下直属の密偵、お察しの通り魔族です。記憶玉を見張る任に就いておりました」

「見張るって、あの部屋には宰相以外誰も……」

「魔法ですよ。聞いたことありません?」

「あっ」

 噂の中に、セリステリアの国民が魔族の魔法で国外脱出している、というものがあった。

 人を遠くへ飛ばせる魔法があるのなら、姿を消す魔法も、あるかもしれない。

「何でもできるのですか」

「何でもって言われると微妙なところですね。少なくとも転移や隠形はできます。まあそんなことより、貴方その玉、どうするつもりでした?」

 兵士その一は手に虹色の玉を無造作に掴んでいた。

 これを見張っていたという割に、目の前の魔族は玉を奪おうという素振りすら見せない。

 少しの逡巡の後、兵士その一は正直に答えることにした。


「勇者殿は異世界から召喚された挙げ句に記憶を封じられて、王たちの言いなりにならざるを得なかったと思うのです。ですから、勇者殿を探して全てを話し、これをお返ししようかと」

 魔族は話を聞いてうんうんとうなずき、兵士その一の肩にぽんと手を乗せた。

「やっぱりあの国は権力を持ってない人ほど賢いね。君は善人だと思うよ。だけど、実はそれを勇者殿に近づけるわけにはいかないんだ」

 今度は魔族が、テビスから伝えられていた記憶玉に関する情報を兵士その一に与えると、兵士その一は落胆した。

「そんな複雑な事情が……」

「だからそれ、こちらに渡してもらえるかな。あの国にあって良いものじゃないんだけど、勇者殿が一番近づかないのもあの国なんだよね」

「仰る通りですね。お返しします」

「うん。……ところで君、これから行く宛ある?」

「実は、ありません。でも私以外にも国を出た人たちがいますから、彼らを探してみようかと」

「なるほど、無計画に見えてちゃんと考えていたんだね。ちょっとまってね」

 魔族は横を向き、何もない空中に指で円を描いた。

「陛下、今いいですか?」

 魔族がこれこれこういうわけですがと話している間に、兵士その一は空中に浮かぶ不思議な円をこっそりと覗き込んでみた。


 円の内側は景色が切り取られていて、別の景色と、黒髪に銀眼、巨大な角を二本生やした威厳のある人物が見えた。

『そやつのことか?』

 円の内側の人物が、兵士その一に向かって問うてきた。

 それだけで、兵士その一はその場に跪きたくなってしまった。

「そうです。あれ、どうしたんですか?」

「えっと、そちらの方は一体?」

「ああ、我が君、インフィニオル国王陛下ですよ」


 なるほど、国王というのはこの方のような人物のことなのだな。

 セリステリアを治めているあのぼんくら共は、王を名乗るなど烏滸がましいにも程があるし、長年仕えてた自分は愚か者だ。


「お初にお目にかかります。私は――」

『あーあー、堅苦しいのは苦手でな。楽にしてくれ。……ふむ、黒髪に黒目とは、あやつに似ておるの。わかった。こちらへ寄越してくれ。身一つで構わぬと言い聞かせておけよ』

「畏まりました」




 兵士その一は記憶玉を魔族に渡した。

 更に転移魔法で連れて行かれた先は、緑あふれる豊かな土地に家が数件建っているような場所だった。


「こんな場所がまだ残っていたのですね」

「勇者殿の功績ですよ。あの方は類稀な魔力量をお持ちで、荒野を半日も掛けずに豊かな土地にしたのです」

「はあ……!?」

 兵士その一は生まれて初めて、呆れて物が言えないという状態に陥った。


 更にその数十分後には、もう一度呆れて物が言えない状態になる。

 魔族に勇者その人を紹介され、勇者自身が眼の前で独り暮らしに十分な家を魔法で建てたのだ。

「こんな感じでどうですか?」

「どうも何も……すご……」

 兵士その一は言葉もない。

「ところでお名前伺ってもよろしいですか?」

 勇者は腰が低かった。

「こ、これは名乗りが遅れて申し訳……」

「あーあー、堅苦しいの苦手なので」

 似たような台詞をついさっき耳にしたなと思いつつ、兵士その一は自己紹介した。







 新しい隣人が増えた。

 元セリステリア国王宮兵士で、僕の記憶玉を持ち出そうとしたそうだ。

 記憶玉はテビスが放っていた密偵によって元の場所へ戻され、兵士さんは僕の家から北東の場所に控えめな家を希望した。

 仕事は、やりたいことがみつかるまで、グライソンさんちの酪農を手伝うそうだ。

 酪農はいくら人手があっても困らないし、元兵士だから体力も十分で、とても重宝されている。


「これ、私が初めて解体した羊の肉です。グライソンさんが持たせてくれたので、どうぞ」

「ありがとうございます。お礼を……」

「いえいえとんでもない! また持ってきますね!」

 やっぱりお礼を受け取ってくれなかった。

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