5 生活事情

 僕の服を両腕でしっかり抱きしめたルビーは、畑までついてきた。

 畑の作物にも魔法を使えば一瞬で収穫期まで成長させられるが、それだと魔力で作った食べ物と変わらない。大地の力を借りて育てているので、まだ殆どの作物が青い。

「うん、順調に育ってるな」

「これ、なにする?」

「食料になるんだよ」

「ちゃいろいの……えっと、パンはどれ?」

「パンは向こうの麦から作るんだ」

「???」

 さっぱりわからない、という顔の小麦畑までルビーを案内して小麦を指し示すと、ルビーは青々と実る小麦の穂を手にとって、首を傾げた。


「これがどうしたら、パンになる?」

「確かに一見、パンと結びつかないよな。じゃあちょっとだけ」

 小麦畑のごく一部に魔法を使い、一瞬で成熟させて収穫した。

「ちゃいろくなった!」

「まだパンにはならないんだよ。これをこうして……」

 宙に浮かせた小麦を挽き砕いてふるい、粉にしてみせた。

「これが小麦粉。これに水と酵母を混ぜて、オーブンで焼くとパンになるんだ」

「ほああ……」

 水と酵母も魔法で創り出したから、出来上がったパンは僕が食べても使った魔力の一部を取り戻すだけになる。

 ……待てよ、これなら魔力の塊と同じだから、ルビーでも食べられるのでは?

「今作ったパンは僕の魔力で出来て」

「おいしそう」

 僕が言い切るより先に、ルビーが興味を示した。小さな唇の端からは涎まで垂れている。

「食べてもいいよ。はい」

 宙に浮いていたパンを取り寄せてルビーに渡すと、ルビーは躊躇なくかぶりついた。

 小さな口いっぱいにパンを頬張り、ろくに噛みもせずに飲み込む。食べるスピードが速い。

「魔力だけど一応噛んだほうがいいんじゃ……」

「おいしい!」

 ルビーの顔くらいのサイズがあったパンは全て、あっという間にルビーの口の中へ消えていった。

「魔力が食べ物だから、僕が魔力で作ればルビーも食べるのか。一人で食事するの味気なかったし、昼食は今みたいなのを用意するから、一緒に食べてくれる?」

「うん!」

 畑で思わぬ収穫が得られた。


 昼食もパンと果物のみ。そろそろ肉類が食べたい。

 魔物は人間の町や村は壊滅させたが、動植物はほとんど荒らしていない。

 元人里から離れた場所にある森の中には、動物が多く生息しているはずだ。

「狩りをしてくるよ。ルビーは」

「いっしょいく」

 ルビーはどうあっても僕と離れたくないらしい。昼飯のパンも美味しそうに食べてたし、僕の魔力ってそんなに美味しいのだろうか。



 目に見えている森まで転移魔法で飛び、隠蔽魔法を使って木陰に潜むこと暫し。

 眼の前にイノシシが現れた。

 今日は運が良かったが、次からエサなり罠なりを作っておこう。


 イノシシは僕が魔力で心臓のあたりを貫くと、倒れて動かなくなった。

 獣の捌き方は、旅の最中に自力で身につけた自己流だ。

 スマートなやり方なんて知らないから、僕は体中血まみれになるし、辺りには血の臭いが立ち込める。

「ルビー、見てて辛くないか?」

「へいき」

 かなりスプラッタな状況だというのに、ルビーは顔色一つ変えずに僕の手元をじっと見つめている。

「いま僕は、食べるために生き物を殺してるんだよ」

「ふーん」

 反応に不安を覚える。このあたりの情緒を教えておかないと、後々困るかもしれない。

 僕は手を止めて、ルビーと視線を合わせた。

「命ってのは、生き物それぞれがひとつしか持ってないんだ。僕も、ルビーも。だからこうやって他者の命を奪うことは、余程の理由がない限りやっちゃ駄目なんだよ」

「たべることは、よほどのりゆう?」

「僕は人間だからね。こうやって他の命を奪ってでも食べないと、生きていけないんだ」

「うん」

 ルビーはこくりとうなずいた。わかってくれてると良いんだけど。

 あと話してて、僕自身、命を語れるほどの立場かと疑問にも思った。

 ……これは深く考えても仕方がないな。

 僕は作業を再開し、可食部のみになったイノシシを魔法の鞄に詰め、残りはその場に埋めて、家に戻った。



 夕食にはイノシシのステーキを食べた。

 焼いて塩コショウしただけだが、新鮮なため臭みもなく美味しい。

 ルビーにも同じものを魔法で創って出したが……不評だった。

「パンとくだもののほうがすき」

 だそうだ。

 果物の中でもキイチゴやベリー類が好みで、ステーキを押しのけてそればかり食べている。

 ぱっと見は偏食だが、全て元々魔力だからいいか。

 残したステーキは消しておいた。




「うーん」

 僕はルビーの後ろに立って、唸っていた。

 ルビーは椅子に座り、足をぷらぷらさせて退屈そうだ。

「まだ?」

「もうちょっと……いやこれやっぱり、多少は切らないと駄目か……でもなぁ……」

 何を悩んでいるかと言うと、ルビーの髪のことだ。

 折角綺麗なワイン色のロングヘアなのだから、梳いて整えて手入れをしてあげたい。

 だけど僕には散髪のスキルなどないし、そもそも女性の髪を触ること自体初めてだ。失った記憶の中にはあるかもしれないが。

 せめて櫛で何度も梳いてみると、ルビーの髪は時折適当に切られていたのか、長さがバラバラだった。

 前髪の一部は眉より上までしかなかったり、後ろの髪は左右で長さが違う。

 こればかりは僕に豊富な魔力があったとて、どうにもできない。

 頼れるのはテビスくらいか。

「もういいよ、ルビー。これからテビスと話してくる」

「うん」

 こんな時でも変わらず僕の服を握りしめているルビーは、僕の隣に椅子を移動させて座った。


 指で何もない空間にくるりと円を描く。

 すると円がぽわんと光り、円の中にこの家のどこでもない景色が見えた。魔族なら子供でもできる、連絡魔法だ。

 テビスから、ここならばいつでも繋いで構わないという場所を聞いておいたので、そこへ空間を繋げた。

「テビス、今いい?」

 声を掛けてしばらくすると、円の中にテビスの顔が入ってきた。

「リョーバか、数日ぶりだな。調子はどうだ」

「ぼちぼち。ちょっと相談したいことがあって」

「何だ? リョーバからの相談事なら全力で応えてやるぞ」

 ルビーは僕の魔力が目当てであるとはっきりわかっているからまだわかるが、僕はどうやら魔族王テビスにも好かれている。

 テビスは初対面のときからずっと、やたらと僕の世話を焼きたがるのだ。理由を聞いてもはぐらかされている。

「ルビーのことなんだけど」

「ルビーって誰だ」

 そういえばテビスに、名付けたことを話していなかった。

「この前の女の子だよ」

「名乗ったのか」

「名前無いから付けてくれって言うんで、僕が付けた」

「そうか、いい名前だな。ルビーがどうした?」




 翌日、僕とルビーはインフィニオル国へ転移魔法で飛んだ。

 テビスの部屋へ直接転移してもかまわないと言われているが、ルビーに城下町を見せたかったので、城壁の外へ到着し、ゆっくり歩いた。

「いきもの、たくさん」

 城へは何度か行っているが、城壁内をこんなにゆっくり歩くのは僕も初めてだ。

 比較対象がセリステリアしかないが、人間の町よりも明るく清潔で住みやすそうな町並みが広がっている。

 人間は僕以外におらず、ルビーの言う「いきもの」はみな、頭に様々な角が生えている。

 ふと隣のルビーを見下ろす。

 背中の小さな翼はワンピースで隠れていて全く見えない。

 頭に角も無いので、ぱっと見は人間と変わらない。

 なんという種族なのかを直接ルビーに訊いてみたこともあるが、本人も全く覚えていなかった。

 今日のルビーは、僕が昨日着ていた服を限りなく小さく畳んで両手で握りしめている。長さの違う後ろ髪は、うなじの辺りで紐でくくっておいた。

「疲れてない?」

「へいき」

「何か気になるものはある?」

「ん……ない」

 時折ぽつぽつ会話しながら歩き、城へ到着した。


「来たか。思ったより遅かったな」

「城下町を歩きたかったんだ」

「なるほど。こちらは手配できておるぞ」

 テビスに会うと、早速事が進んだ。

 ルビーはお城の侍女に椅子に座らされて何故か身体を採寸され、それから大きな布を首に巻き付けられた。

「???」

「大丈夫。少しの間じっとしてて」

「わかった」

「リョーバの言うことは聞くのだな……」

 困惑するルビーに声を掛け、ルビーが素直に返事をすると、テビスがため息とともにそんな事を言った。

「そういえば、ここじゃ食事しなかったみたいだね。ルビー、魔力しか摂らないんだよ」

「魔力を? なるほど、それでか」

「何か解ることある?」

「そりゃリョーバに懐くだろうなと」

 男二人で話している間に、ルビーの方は終わった。手際のいい人だ。


 ルビーは髪を丁寧に切りそろえられ、ついでに香油なんかも付けられて、つやつやサラサラの綺麗な髪を手に入れていた。

「綺麗になったね」

「きれい?」

「そうだよ、ルビーは綺麗だ」

「ふーん」

 全く興味がなさそうだ。

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