4 一方その頃



「き、消えたっ!?」


 玉座の間にいた誰かが声を発したが、王自身もおそらく口から同じ言葉を吐いていた。



 時は、リョーバがセリステリアで国外追放を言い渡された直後に遡る。


 セリステリア国王は、魔王を討伐してきた勇者が魔族国の王の討伐を拒んだため、勇者から勇者の称号を剥奪した。

 更に、セリステリア城の周囲以外は人の営みが絶えたこの土地での国外追放処分である。

 普通の人間なら生きることすら難しいほどの、重い処分のはずだった。


 いくら超人的な魔力や身体能力を備えているとはいえ、勇者も人間だ。

 考えを改めた勇者は許しを請うために跪くであろう。

 国王や宰相をはじめ、その場に居た兵士や騎士たちは全員同じことを考えていた。


 ところが、勇者は命乞いもせず、ただ姿を消した。

 しかも、唐突に、である。

 勇者の身体能力を駆使して超スピードで移動したのだろうか。

 その割には、扉も窓も閉まったままで、何かが動いた形跡もない。


「さ、探せっ! 勇者……いや、元勇者を即刻捕らえよ!」

 その場で王の口から直接王命が下り、兵士たちは慌てて周辺を捜索したが、見つかるわけもない。

 史上最速で伝令が飛んで城の外も捜索された。

 厩舎の馬は数が揃っているし、城壁の東西南北にある門番は全員、勇者の姿など見ていないと証言した。


 まさに忽然と、元勇者は消えてしまったのである。



「草の根分けても探しだせ! 彼奴は国宝である『究極鞄』と『究極地図』を持ち逃げしよった!」


 リョーバが『魔法の鞄』『魔法の地図』と呼んでいたアイテムは、セリステリアの国宝である。

 しかし、リョーバも言っていたが、魔力さえあれば魔法で簡単に創れるものだったりする。

 この二つは、まだ魔物のいない時代にインフィニオルからやってきた国交の使者が置き忘れていったもので、むしろセリステリアがネコババしたようなものだ。

 ちなみに、魔族の国であるインフィニオルとの国交は、セリステリアが一方的な条件を押し付けたため交渉決裂し、現在に至っている。


「おのれ、リョーバめ。多少は使える男であると認めてやったというに」

 国王は玉座に深く腰掛けて、ギリギリと歯ぎしりをした。

 セリステリア国王が言う『認めた』というのは、国王が直々に「ご苦労であった」と労うことである。

 これが、この国で一番栄誉あることだとされていた。


「陛下、ご安心を。こちらには切り札がございます」

 怒りのあまり肩を震わせ始めた国王に、宰相がそっと耳打ちする。

 宰相が手を叩くと、心得た従者たちが小ぶりなティートローリーを運んでくる。

 乗っているのはティーセットではなく、クッションの上に鎮座した、虹色に輝く握りこぶし大の玉だ。

「勇者の記憶のことをお忘れですか」

 宰相が笑みを浮かべると、国王はじっとその玉を見つめて、額の汗を手の甲で拭った。

「そう、じゃったな。しかしそれは、本人が目の前におらねば使えないのでは」

「そのとおりです。これを囮にすれば元勇者も我らの前に帰ってきます。そして、記憶が戻れば……」

 含みをもたせる宰相に、国王も口元に笑みを取り戻す。

「元々は無能者なのです。今も魔王を倒す力があったとて、ろくなことはできますまい」

 この国の致命的な欠陥は、これだった。


 国王と宰相が、救いようのない馬鹿なのである。







 目覚めて室内であることにまず驚いた。

 体が強張っていないことにも。


 寝ぼけた頭で少し考えて、ようやく思い至る。

 僕は家を建てて、ベッドの上で寝たのだった。


 上半身を起こすとと、ベッドのすぐ横に見慣れた毛布が転がっている。

 ルビーは昨夜、一度は僕と同じベッドで寝ようとした。

 僕は自分の年齢を知らないが、他の人の反応を見るに成人はしていてそれほど年老いていないというあたりだろう。

 女性と同衾してしまったら、色々と、困る。

 だがルビーはお構いなしに僕の隣へ潜り込み、僕が抗議する前にベッドから出た。

 そして、ベッドへ入ってきた時も握ったままだった毛布を引き寄せて、身体にまきつけると、床の上で丸まった。

 人間、魔物、魔族、どれでもない彼女は今のところ、人の形をした小動物という表現がしっくりくる。

 自由気ままで、予測がつかないところがそっくりだ。


「ん……あさ?」

 もそもそと毛布が動き、中から赤い髪と白い指、小さな顔が出てくる。

「おはよう、ルビー」

「おはよ?」

 ルビーは僕の言葉を復唱して、こてん、と首を傾げた。

 もしかして、挨拶とかを知らないのかな。

「朝起きたら『おはよう』って挨拶するんだよ」

「わかった。おはよ。ふわぁ」

 本当に知らなかったようだ。

 魔王の城でどういう生活をしていたのかはまだ聞き取れていないが、少なくとも人間らしい生活はしていなかったのだろう。

 僕の言うことは素直に聞いてくれるから、これから教えていけばいいか。

 時間はたっぷりある。

「まだ眠いなら寝ててもいいよ」

 何なら二度寝をしたって誰も怒らない。

 ルビーは欠伸をしてむにむにと口を動かし、ぱっと立ち上がった。

「ん、おきる」

 先程までの眠たげな様子はもう無い。寝起きは良いようだ。


「どうして毛布で寝たの?」

 一人分の朝食の支度をしている間も、ルビーは僕のそばから離れない。

「だれかと、いっしょにねる、したことなくて……」

 ルビーが「んん、んん」ともどかしげだ。言いたいことはあるが、上手く言葉が出てこない様子だ。

 誰かと一緒に寝たことがないのに、やってみようとして、やっぱり止めた理由……。

「落ち着かなかった?」

「そう、それ、おちつかなかった。リョーバのちかくなのに。でも、リョーバのにおい、ほしかったから、もうふでねた」

 ルビーは普通に会話はできるが、所々抜けている。

 今のところ不便はないし、学習能力が高いから、一緒に暮らしているうちにどうにかなるだろう。

「床、硬いでしょ。僕のベッドの隣にもう一つベッド置くから、今夜はそこで寝てみて」

「わかった、そうする」


 朝食を終えてから早速、ルビーについてもう少し話を聞くことにした。

「いつからあの場所にいたの?」

「わからない。ずっとあそこ」

「最初はどこに居たかは覚えてる?」

「さいしょから、ずっとあそこ」

「小さい頃からってこと?」

「えっと、ずっと、このまま」

 どうやら気がついたら魔王城にいて、それまでの記憶はないらしい。

 事情がちょっと僕に似てる。

 いや、元々こういうサイズで生まれてくる種族かもしれないから、断定はできないか。

 ともあれ、これ以上ルビーから情報は得られないだろう。

 ここまで聞いておいて今更だが、ルビーの過去がどうであれ、何ら問題はない。

「わかった。色々聞いて悪かったよ」

「ううん、へいき。リョーバとずっとおしゃべり、たのしい」

 可愛いことを言うルビーの頭を思わず撫でると、ルビーは幸せそうに目を細めた。


 もうじき昼になるが、日差しは柔らかい。

 昼食の前に畑の様子を見てこよう。

「畑に行くけど、ルビーはどうする? 好きなことしてていいんだよ」

 畑に植わっているものは僕の食料になるものばかりだ。

 ものを食べないルビーには全く関わりがない。

 ルビーに提供しているのは寝床と風呂くらいの上、僕が一方的にルビーを保護しているのだから、ルビーに働かせるのはお門違いだろう。

「リョーバといっしょにいる」

 しかしルビーは、僕のあとをついてきた。毛布はまだ手に握ったままだ。

「その毛布、いい加減洗いたいんだけどなぁ……もうボロボロだし。何か代わりになるものってないかな」

 ずっと土と僕に挟まれて揉まれてきた毛布だ。土は都度払い落としてきたが、丸洗いできるタイミングはなかった。僕の汗とか涎とかも吸っているはずだ。

「これとおなじくらい、リョーバのにおいがついたもの」

「うーん。服じゃ駄目?」

 服なら着替えが何着かあって、交互に洗っている。清潔感で言えば多少マシなはずだ。

 ルビーは僕に鼻を近づけて、くんくんと匂いを嗅いだ。

「いまきてるふくならいい」

「これ? わかった、じゃあ着替えてくる」

 寝室で別の服に着替えて、それまで着ていた服をルビーに渡した。

 ルビーは改めて匂いを嗅いで、こくりとうなずいた。

「うすいけど、リョーバがいうなら、これにする」

「助かるよ」

 毛布は無事、魔法で丸洗いとほつれ等の補修ができました。よかった。


 じゃなかった、畑仕事をするんだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る