無才の魔女エレノアは時を超える

三歩ミチ

第1話 魔法陣作家エレノア

「描けた……!」


 魔法陣を描きあげた瞬間には、大いなる達成感がある。エレノア・シルフィーヌは最後の一筆を終え、自身の作品を見下ろした。今回の作品も完璧だ。無駄がなく、美しい。

 この魔法陣にマナを注げば魔法が発動するのだが、エレノアが描いた魔法陣が使われることはない。今回仕上げたのは、「100年の時を超える」魔法の魔法陣。これを発動するのに必要なマナは、人間では扱えない。

 実用性のない、美しいだけの魔法陣を描き上げる魔法陣作家。25歳のエレノアがこの仕事を始めて、そろそろ5年が経つ。


「ああ、もう夜だわ」


 作業に集中していると時間を忘れがちだ。窓の外に目を向ければ、夜の闇に金と銀のふたつの月が輝いている。

 窓ガラスに反射する自分の顔を見て、エレノアは顔をしかめる。肩まで伸びた黒の髪と藍の瞳。魔法の才がないのを突きつけられるから、自分の姿を見るのは嫌いだ。

 視界が歪んだのはその時だった。立ちくらみがして、視界が一瞬真っ白になる。めまいが収まったとき、目の前には瓦礫の山が広がっていた。エレノアは自分の作業場に居たのに、建物が跡形もない。


「え……?」


 ひゅう、と涼しい風が頬を撫でる。風の音も温度もあまりにも自然で、ここが野外だというのは明らかだった。

 一体何が起きたのか目の前の光景を呆然と眺めるエレノアの隣で、がちゃ、と瓦礫を踏む足音がした。


「は? 何だここ」

「きゃっ!」


 低い声が聞こえ、エレノアは反射的に悲鳴を上げた。恐る恐る隣を見ると、金の瞳をした青年がじっとこちらを見ている。金髪が月光に照らされ、ほのかに輝いていた。

 金の瞳に金の髪。彼は優秀な魔法使いだ。転移の魔法は複雑で人間に扱えるものではないはずだが……もしかしてこの男が、何かしたのだろうか。

 エレノアが警戒心を強めるのと同時に、男はこちらを睨んだ。


「君は誰だ」

「……あなたこそ、誰なの」

「俺はヴィクトル・リーンハルト。リーンハルト商会の会長を勤めている」


 そう名乗る彼の装いは洗練されていた。胸元にたっぷりとフリルがあしらわれたシャツや、脚の形が浮き出るほどに細身のパンツなど、見たことのないデザインだが華やかで様になっている。

 服装だけではなく、顔立ちも華やかだ。左右対称の端正な顔立ちは、芸術家であるエレノアの目にも美しく映った。


「私はエレノア・シルフィーヌ。魔法陣作家よ」


 エレノアが名乗り返すと、ヴィクトルは眉間に皺を寄せる。


「魔法陣作家?」

「ええ。魔法使いが詠唱ひとつで魔法を使えるようになったのは、歴史的にはつい最近のことなのよ。マナの取り扱い技術が未熟な時代は、魔法は魔法陣によって使われていたの。私は、伝統的な魔法陣の技術を学んで、新しい魔法を開発して、描いた魔法陣を販売しているの。あなたも魔法使いなら、魔法の歴史くらい知っておくべきだと思うわ」

「君が何の話をしているのか、俺にはさっぱりわからない。魔法文明の話か?」

「魔法文明? それは何?」

「かつてこの地で栄えた文明をそう呼んでいるんだよ。魔法とかいう神秘的な現象について書かれた碑文が、遺跡の中から見つかっているらしい」

「かつてこの地で栄えた文明……」


 その言い方が引っかかる。魔法のあった時代が、まるで過去かのような物言いだ。


「まさか……!」


 エレノアははっとした。先程自分が作り上げたのは、時を超える魔法陣。誰にも使えないはずのものだったが、しかし、あれが発動したとすれば説明はつく。


「あなた、何年から来たの?」

「何年から来たって、妙な聞き方をするな。新コルニレオ暦100年だろ」

「私が居たのは、ヒュノス5年だったわ」

「ヒュノス5年? ……待てよ、何か聞き覚えが……魔法文明の最後の時代は、『ヒュノス期』と呼ばれていたような……」


 記憶を辿るような仕草を見て、エレノアの確信は深まる。


「やっぱりあなた、100年先の未来から来てしまったのね」

「俺が、未来から来た?」

「そう。そして恐らく、私は100年前の過去からここへ来てしまったの」

「どうやって? そんな方法、あるわけないだろう」

「きっと、私のせいだわ。ここに来る前、私が作ったのは『100年の時を超える魔法陣』だったの。人には発動できない魔法陣のはずだったけれど……何らかの理由で発動して、私たちは時を超えてしまったのよ」

「君のせい?」


 鋭く睨まれると、ひゅっと喉の奥が鳴る。エレノアが普段接しているのは、変わり者の収集家ばかり。威圧されるのには慣れていないのだ。


「君のせいなら、さっさと帰してくれ。その魔法陣を作ればまた時間を超えられるんだろ?」

「魔法陣を作ることはできるけれど、私は魔法使いじゃないのよ。マナを扱えないから、魔法は使えないわ」

「さっきからよくわからないな。俺は魔法とやらには詳しくないんだよ」

「魔法陣の魔法を発動するにはマナがいるのよ。マナを扱えるのは魔法使いだけ。あなたみたいに、月と同じ金の色を瞳や髪に持つ人だけが魔法を使えるの」

「俺はそんなもの使えないが」

「マナを感じて扱うにも修行が必要らしいから。理由はわからないけれど、あなたの時代には魔法は廃れてしまったのね。……でも、この時代のどこかには凄い魔法使いがいるはずよ。でないと、時を超える魔法陣は発動しないから」

「……何だっていい、俺はさっさと帰りたいんだよ。君のせいなんだろ? 責任を取って、俺を帰してくれ」

「わかってるわ。魔法使いを探しましょう。あとは、魔法陣に使える大きな布や紙も」


 エレノアだって、早く元の時代に帰りたい。魔法陣を発動した魔法使いが居るのなら、さっさと見つけて協力を仰ぎたい。そう考え、手がかりを探そうと周囲を見回すが、辺り一帯は瓦礫の山だ。


「こんなことになるなんて……一体、何があったのかしら」


 ふと湧いてくる、当然の疑問である。エレノアが100年の時を超えたのだとしたら、王都はこんな瓦礫の山になってしまうということである。100年という時は長いが、歴史の中では案外短い。魔法という技術が生まれてからも既に数百年経つと言われていたのに、たった100年で、あの王都が全て破壊されてしまうとは。


「100年前に魔法文明は滅び、新コルニレオ国が建国されたと言われている。何があったのか確かなことはわからないが、研究者の話では碑文に『月が落ちた』という記述があったそうだぞ」

「月が落ちた……?」


 そう言われ、エレノアは空を見上げる。夜の深い闇は、時を超える前に窓の外に見たものと同じだ。果たしてその空には、銀色の月がひとつだけ掛かっていた。


「本当だわ……月がひとつしかない」

「昔は複数の月があったのか?」

「ええ。夜になると、金の月と銀の月が空に浮かぶのよ。金の月から降り注ぐ光こそがマナなの」

「マナって、魔法を使う時に必要なんだよな? それが落ちたせいで、魔法文明は滅びたのか?」

「そうなのかしら……もし金の月が落ちてきたのだとしたら、あれはマナの塊らしいから、ものすごい量のマナが吹き荒れたはずだわ。私の魔法陣が発動してしまった理由もそれかもしれないわね」


 そう喋りながらも、エレノアの思考は何となくふわふわと浮わついていた。月が落ち、魔法は使えなくなり、文明が滅びる。エレノアが暮らしていた時代の先には何とも悲惨な未来が待ち受けているのだが、悲惨すぎて、現実味が湧いてこない。


「落ちたものは落ちたんだから仕方ないだろ。それで、俺はどうやったら元の時代に帰れるんだ?」


 ヴィクトルは、月が落ちたという事実にも動じた様子はない。それもそうか。彼にとっては、月がひとつしかない空こそ普通のようだから。

 現実感のない状況の中で、ヴィクトルを帰すという目的だけははっきりしている。エレノアが絶望しきらなくて済むのは、ヴィクトルのおかげかもしれなかった。彼は怖い顔をして急かすものだから、感傷に浸らず、やるべきことをしなくてはならない気持ちにさせられる。


「とにかく、魔法使いを探すしかないわ。マナがないと魔法は使えないの。月が落ちてマナがどうなっているのかも、魔法使いがいないとわからないわ。私には感知できないし、あなたは何も知らないないから」

「何も知らなくて悪かったな」

「くれえぇ……」

「責めているわけじゃないわ。仕方のないことよ」

「けて、くれえぇ……」

「……なあ」

「……何か、聞こえるわね」

「助けて、くれえぇ……!」


 耳を澄ませば、それは助けを求める悲痛な声だった。エレノアとヴィクトルは顔を見合わせ、声のした方へ揃って視線を向ける。


「魔法使いかもしれないわ」

「違うとしても、あの声を聞いてしまったら助けないわけにはいかないだろ」


 声のした方に向かうエレノアたちであったが、なにしろ足元は瓦礫だ。しかもエレノアの足元は、作業場で履いている室内用のスリッパである。転がる石に足を取られ、その度によろめいてしまう。


「ああもう、面倒な奴だな。ほら」


 振り向いたヴィクトルが、こちらに手を差し出してくる。


「手を貸す。その靴じゃ転びかねない」

「あっ……ありがとう」

「君がいないと魔法陣を作れないのに、怪我をされたら困る。行くぞ、声が近づいてきた」


 エレノアの手をぐっと引き、ヴィクトルが握り込む。手の支えのおかげで、エレノアも瓦礫の上を怪我せずに歩き、声の近くまで辿り着くことができた。


「た、助けて……助けて、くれえ」

「助けに来たぞ! どこにいる!」

「ここ、ここだよ! 頼む、出してくれ!」

「下から聞こえるな。どこだ?」


 ヴィクトルは慎重に足元を調べ、声の主に話しかける。


「ここか? おーい、聞こえるか」

「聞こえる、ここだ! 出してくれ、頼む!」

「この穴から聞こえてるな。……よっ、と。重いな……」


 重いと言いつつ、ヴィクトルは瓦礫をひとつふたつと退けていく。隣で見ているエレノアの目にも、瓦礫の下に空間があるのが見えてきた。


「このでかい岩はひとりじゃ無理だな。おい、内側から押せるか?」

「すまない、無理だ! 届かない!」

「それなら仕方ない……やってみるか」


 地面に落ちた大きな瓦礫を抱えるように腕を回すヴィクトルに、たまらずエレノアも声をかける。


「私も手伝うわ」

「怪我をされたら困ると言っただろう。君はそこにいろ」

「魔法陣を描くのに、指を怪我したら困るってことでしょ? なら、こうするわ」


 エレノアは踝丈のスカートの裾を持ち上げ、両手を覆う。こうすれば手を怪我することはない。ヴィクトルは納得したらしく、すぐに瓦礫へ視線を戻す。


「左右から手をかけて、向こう側に転がそう」

「わかったわ」

「石の下には穴があるみたいだ。落ちないように気をつけてくれ」


 エレノアはヴィクトルの向かい側で、石の端に手をかける。服越しにもその表面のごつごつした感触が伝わってきた。これを素手で触ったら痛いだろうに、ヴィクトルはひとりでいくつも動かしていた。

 自分も、少しくらい力にならなきゃ。そんな気持ちから、エレノアは懸命に力を込める。びくともしなかった石がふっと持ち上がり、そこからごろんと回転して移動した。


「やったな、エレノア!」

「やったわね!」


 どちらからともなくハイタッチをし、笑顔のまま目が合う。ヴィクトルが笑うのを初めて見た。険しい顔つきの時は怖いが、笑顔は少し可愛らしい印象だ。


「服を繋いでロープ代わりにするか。おい、エレノア。俺は脱ぐから、背中を向けておけ」

「私も手伝うわ」

「今はいい。……さっきのスカートを手袋代わりにするの、あれももう止めておけよ。白い脚が丸出しだったぞ。目に毒だ」

「えっ……あっ、わかったわ」


 さっきは夢中で、そこまで考えていなかった。意外な角度からの指摘に、エレノアは頬を染めて背を向けるしかできない。

 程なくして、背後から「助かったよ! ありがとう!」という、若々しい青年の声が響くのだった。

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