見えない花火、明確な敵

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見えない花火、明確な敵



「全然見えないな」

 タカハシはなんでもないようにつぶやいて、フンと鼻を鳴らした。取り繕っているけど、内心ではとてもがっかりしていることをぼくは知っている。タカハシの咥えているの細く伸びた部分が、いつもよりへたっているからだ。

「去年は見えたのにねぇ」

 サトウは大げさに肩を落としてショックを表現しているけど、花火が見えなくなっていることはなんとなく予期していたらしくて、そこまで気落ちはしていないみたいだった。「やっぱりか、まぁ仕方ないよな」とでも言いたげな顔をしている。

「どんどん壁が高くなってるんだから、当たり前」

 アライは冷たく言い放って、道すがら売店で買った飲み物に口をつける。アライだけが座り込んで頬杖をつき、花火を一目でも見ようと背伸びをしているぼくたちを退屈そうに見上げている。

 ドン、ドン、というくぐもった小さな音だけがぼくたちのところまで届いている。壁の向こうのトウキョウ人は音だけじゃなくて光も楽しめていると思うと、がむしゃらに走り回って叫びたくなるような羨ましさが込み上げる。たぶんタカハシもサトウもアライも、ぼくと同じような衝動を抱えているはずだ。

だけどみんな我慢する。明確な敵であるトウキョウ人のことを羨ましがるヤツなんて、ぼくたちサイタマ人のなかには存在しないからだ。トウキョウのものを欲しがるなんて非県民にもほどがあるし、そういう人を見かけたらサイタマ秘密警察に通報する義務がある。だからみんな口には出さず、支給された制服のすそをつまんで羨望が収まるのを待った。

「これだからトウキョウは、本当にどうしようもないな」

「俺たちサイタマ人でよかったよ」

 かわりに口を衝いて出るのはお決まりのトウキョウ批判でサイタマ賛美だけど、今日ばかりはなんだがいたたまれなくなって、アライ以外も黙って座り込んだ。

 タカハシがくわいの素揚げを咥えているのはトウキョウ人がよく口にするという飴玉やたばこへの対抗意識だし、アライが持っているカップに入っているのはサヤマ茶に細かく刻んだ里芋を入れたサトイモグリーンティーという名前の、トウキョウのなんとかって飲み物を形だけマネしたもので、そもそもぼくたち四人は毎年大人たちには内緒でトウキョウのスミダガワ花火大会を盗み見ている。

 やっぱりみんなトウキョウに憧れている。ぼくたちだけじゃなくて大人たちだって、飲み会ではしょっちゅうトウキョウの悪口ばっかり言うくせに、次の日には何重もの検問をくぐってトウキョウへ出稼ぎに出る。父なるサイタマへの敬愛の証として家族をサイタマ県庁に預けながら、お高くとまったトウキョウ人がやりたがらない面倒で大変な仕事をトウキョウ人より百円も安い時給で引き受ける。その身ひとつで孤独に一生懸命やる。そうしないとすぐクビになってしまうからだ。



「そうだ」

 サトウがなにかを思い出した様子で、背嚢から短冊状のビニール袋を取り出した。なかには細長いひものようなものが四本入っていた。ぼくが「なにそれ」と訊くと「線香花火」と短く応じる。

「花火だって? そんな貴重品どうしたの」

 アライが目を丸くする。サイタマではこのところ火薬が不足しがちで、あったとしてもすぐに軍部が没収してしまう。ぼくのお母さんは「また戦争をするんじゃないか」と不安そうにつぶやいていた。

「親父のコネで手に入れたんだ。トチギの財団連の会長と知り合いらしくて、シデ=ハメーテに売ってた廃棄前のやつを少し分けてもらった」

「よくわかんないけど、すごいね」

 ぼくが素直に言うとサトウはとても誇らしげな顔をしつつ、「さっそくやろう」とマッチ箱を取り出す。線香花火はぼくたちに一本ずつ手渡してくれて、ぼくとアライは礼を言うけどタカハシは黙りこくったままだった。ただじっと右手に握った花火を、正確にはその先の火薬部分を見つめている。

「タカハシ?」

 怪訝に思ったサトウが声をかけるとタカハシははじかれたように顔を上げ、サトウをきつく睨んだ。

「提出義務はどうした⁉ 十日前から指令が出ていたじゃないか。火薬はすべて軍部に預けるように、と」

 サトウはタカハシの鬼の形相と反り立ったくわいの素揚げに驚いたようだったけど、すぐに平静を取り戻した。

「いいじゃないか、これくらいさ。これっぽっちじゃ弾薬一つさえ満足に作れないし、それに今日は大人たちだってお祭り気分で浮かれているから、見逃してくれるよ」

 ぼくは「そういうことでは」といきり立つタカハシの肩を「まあまあ」とおさえる。タカハシのお父さんは偉大なるナカノ書記長の第三秘書官を務めているから、その息子のタカハシもこういう話に律儀というか、すこしサイタマ至上主義者の傾向がある。

「ぼくの分は大丈夫だから、後で提出に行こうよ」

「しかし……」

 タカハシはぼくの提案に、しゅんとくわいの素揚げをうなだらせる。

「それでは平等でなくなって君だけが我慢することになってしまう。不平等はいけない」

「あー、はいはい。わたしの分も提出するから」

 アライは面倒くさそうに言うけど、その表情は穏やかだ。タカハシの生真面目さに呆れつつも、それが美点でもあることを認めている。

「サトウのを『みんなの』にして、それだけに火をつけよ。それでおしまい」

 タカハシはしぶしぶといった様子で頷くけど、くわいの素揚げが揺れているから内心では喜んでいるんだと思う。本人は絶対に肯定しないだろうけど、毎年のスミダガワ花火大会を一番心待ちにしているのはタカハシだからだ。

「それじゃあ、俺のだけやろう。誰かマッチに火をつけてくれない?」

「ぼくがやるよ」

 ぼくはマッチ箱を受け取りつつ、四人で円を作るような配置に移動する。「大役を任されちゃってなんか緊張するな」と頬を掻くサトウにアライが冗談っぽく言う。

「絶対最後まで灯しきってよ。途中で落としたら許さない」

「そうだな、やるからには当然成し遂げてもらおう」

「あんまりプレッシャーかけないでくれよ……」

 怯えたように肩をすくめるサトウがおかしくて、ぼくたちは笑った。サトウもつられて顔をニヤつかせる。

 ぼくはマッチを箱の側面に沿って擦ったけど、上手く火がつかない。

「あれ?」

 カッ、カッ、と何度も試すけどやっぱりつかない。

「反対の面なんじゃないか?」

 タカハシも箱の向きを変えたり違うマッチにしてみたり、色々と試してみるけど火がつく気配はない。四人のあいだに気まずい沈黙が流れる。

「家にあった古いやつだから、側薬が剥げてたのかな……。誰かほかに、なんでもいいから火をつけれるもの持ってない?」

 サトウの質問にぼくたちは揃って首を振った。いまは夏だから灯油の配給はないし、ライターや新品のマッチなんて高級品、ぼくたち子どもには与えられていないからだ。タカハシは気を取り直すように、自信のこもった声音で言う。

「まぁ、マッチなんて僕の父を通して偉大なるナカノ書記長に懇願すれば、すぐに用意してくださるだろう。今日のところは残念だが、次にまた四人で集まったときにやればいいさ」

 サトウはのろのろとした手つきで、お役御免になった花火をビニール袋に戻した。

「そんなに都合良く、書記長は俺たちの願いを聞き届けてくれるのかな」

「なにを言うんだ、サトウ! 偉大なる書記長は全県民の八割以上の支持を受け、今の地位に就任しておられるんだ。34年間ものあいだ全県民に信頼され、そしてその信頼ひとつひとつに応えてきた実績がある」

 タカハシは陶酔するように目を輝かせながら言うけど、たぶん書記長はそれほど熱烈に支持されているわけではないと思う。選挙で八割以上の票を得たのは事実だけど、そもそも投票率が有権者全体の24%に満たないからだ。サイタマ政府が発注する公共事業と日々の配給だけでは到底生きていけない。だから大人たちはみんなトウキョウまで働きに行かなければならず、政治に関心を持っている暇なんてないのだ。そんなハリボテの政権に大した力がないことは公然の秘密だから、誰もタカハシの熱心な語りには同調しなかった。

 ただ、壁の向こうから届くドン、ドドン、パラパラ、というむなしく響く音だけが、ぼくたちのあいだを風に乗って流れていく。



「あのさ」

 アライが誰の顔も見ずに、体育座りした自らの靴の先を見つめながら告げる。

「わたし、もうすぐトウキョウに移住することになる……、と思う。パパとママがそうしよう、って話し合ってた」

 びっくりしすぎて声が出なかったけど、アライの声音が固く張り詰めたものだったから、冗談で言っているわけではないんだ、と否が応にも理解する。移住とはつまり、脱サイすることに他ならない。

「どうして?」

 責めるような言い方にならないように気を付けて、ぼくはどうにかそれだけを訊いた。

「トウキョウのほうが何倍も暮らしやすくて、わたしの将来を考えてもそれが最善なんだって。学校もたくさんあって、自分に合うところを選ぶこともできる、とか言ってた」

「移住するって言ったって、どうやって? あの壁をどう越えるんだ?」

 サトウが落ち着いた様子で質問する。サトウはいつも、ぼくたち四人の年長者として冷静であろうと努めてくれている。アライが少し緊張をほどいたようにゆったりと首を振る。

「壁を越えるんじゃなくて、ここから西に行ってチチブ山地までまわりこんで越境する。あっちのほうは壁もないし、両都県の見張りも薄い。そういう専門業者の人への依頼も済んでるってさ」

 アライはどこか他人事のように淡々と言う。まだ上手く呑み込めていないのかもしれない。でもそんなに簡単に脱サイの計画を話してしまったら、タカハシはどう反応するだろう、とぼくがタカハシのほうを向くと同時に、アライの眼前にくわいの素揚げが突き付けられた。もちろん、その持ち主はタカハシだった。まるで銃のようにくわいの素揚げの細く伸びた部分を、まっすぐ油断なくアライに向けている。

「君……、いや、貴様を脱走ならびにサイタマ反逆罪で告発する!」

「タカハシ! よせ!」

 すぐにサトウが二人のあいだに入ってタカハシの前に立ちふさがる。

「邪魔するな、サトウ! アライを庇うと君まで同罪になるぞ」

「お前こそ冷静になれ。そんなくわい一つでなにができる?」

 タカハシは自らが握りしめているものがくわいだと指摘されて初めて気づいたようだった。ぼくたち一端の少年団員には実銃なんて与えられるわけもなく、せいぜい農業用の鍬か鎌がいいところだ。

「数少ない、気の置けない友だちの新たな門出なんだ。立場上祝ってあげられなくても、黙って見送ることはできるはずだ」

 サトウはタカハシの肩に手を置いて、「頼む、頼むよ」と何度も言った。タカハシはうつむいてなにかをこらえるように唸った。しばらくのあいだ唸り続けてから、バッとアライに顔を向ける。

「途中で当局に見つかったら、ニシヤワ動物公園送りだぞ。『非県民』としてサルの隣に展示されるんだ。その後どうなるのかは僕も詳しく知らない。グンマー帝国に売られるか、チバピーナッツ農場でピーナッツにされる、とは風の噂で聞いた。その覚悟が、君にはあるのか?」

 タカハシの眼差しを真摯に受け止め、アライが嘘偽りなく正直な気持ちを吐露する。

「はっきり言うと、覚悟なんてまだできてない。トウブ動物公園で見世物にされるかも、って考えただけで足がすくむ。ピーナッツはアレルギーだし、グンマー帝国語は言語体系が違いすぎてよくわからない。だけど、たぶんわたしは後悔しないと思う。どんな結果になっても、サイタマで一生を腐らすよりはマシ。その点だけは自信があるよ」

 やがてタカハシは観念したように大きくため息をつき、再び腰を下ろした。

「……わかった。非常に不本意だが、黙って、なにも見聞きしなかったことにしよう」

 アライは途端に顔をほころばせて「ありがとう」と丁寧にお礼を言う。それを受けたタカハシは不貞腐れたようにつぶやいた。

「なにも言わずに去ってくれたなら、まだ気楽でいられたのにな」

「わたしも黙ってるつもりだった。けど、今日久しぶりに集まってみて、やっぱり言わなきゃ駄目だ、って思ったから。なんかほら、平等じゃない、でしょ?」

 アライがあまりにも大真面目に言うから、タカハシは思わず何度か目を瞬いて「そうだな」と笑った。二人のあいだに穏やかな空気が戻ってきたと思ったら、今度はサトウがなにやら心配そうに眉尻を下げている。

「しかし、トウキョウ人ってものすごい差別主義者なんだよな? サイタマ人の『田舎クサさ』が嗅ぎ分けられるから、向こうではトウキョウ人のフリした隠れサイタマ人が何人も摘発されて、拷問にかけられた挙句にトウキョウタワーに括り付けられて嗤われる、って聞いたよ」

 それはぼくも気になっていたところだ。トウキョウではサイタマ人のことをタマ人と呼んでいるらしい。サイタマに限らずどこの地域にだって、過激な地元主義者は一定数いるけど、トウキョウはとくにその傾向が強いらしい。明確な敵であるトウキョウは諸悪の根源に違いないのに、トウキョウ人は自分たちを正義だと謳っている。

「大丈夫。『ふぁっしょん』と『けしょう』っていうトウキョウ人流の着飾り方は勉強してるし、きっと上手くやる。それに、トウキョウにだってサイタマ人に宥和的な人はきっといるはずだから」

 憑き物が落ちたようにアライが笑ってみせるから、本当に行ってしまうんだな、とすごく寂しくなったけど、ぼくも精いっぱいの微笑みを返す。



 例年通りならもうすぐ壁の向こうの花火大会がフィナーレを迎える頃合いになって、タカハシがアライの目を見て切り出した。

「トウキョウに着いたら、できるだけ中心地から離れた西のほうに居を構えるといい」

「なんで? ママはアダチ区にするって言ってたけど。アダチはほとんどサイタマだから馴染みやすいだろう、って」

戸惑うアライにタカハシはやけに周りを気にしながら、声をひそめて言う。

「……これは父が秘密裏に教えてくれたことなんだが、近いうちにサイタマ政府極秘の作戦が実行されるそうだ。その作戦名は『トウキョウ都庁爆破計画』。敵の指令本部を確実にたたき、コウィキ・ユーリカ大統領の暗殺も目論んでいる」

「そのための火薬押収指示か!」

 サトウが目を剝き、タカハシは慇懃に頷く。

「おそらく計画が実行されたら、また本格的な戦争が始まるだろう。『コシガヤレイクタウンの戦い』以来の激戦になることは間違いなく、トウキョウ23区は火の海になる。だから君の身の安全のために、中心部は避けるべきだ」

「……わかった。それとなくママたちに伝えて、ムサシノ市とかミタカ市にしてもらう。もしも聞き入れてくれなかったら、そのときは二人の腕を無理やり引っ張ってでも23区から遠ざかるから安心して」

「うん、それがいい。僕も万一にでも友人を殺さなくてよくなるな」

「まさかタカハシ、従軍するつもりなの?」

 ぼくの質問に、タカハシは決して気負わずに首肯する。妙に落ち着いて穏やかな表情だったから、むしろこちらが気後れしてしまう。

「当然だ。僕はサイタマが好きだからな」

「そっか……。それは、タカハシらしい理由だね」

 サイタマ政府のため、とかだったら全力で止めたし、どうにか説得して思いとどまらせることもできたかもしれない。けど一片の曇りもない純粋な郷土愛は、ぼくにはどうしようもない。阻止する資格がない。

 それっきり、ぼくたちはなにも言えなくなって、遠くからいよいよ勢いを増したドドン、という音がしきりに届いて代わりに沈黙を埋める。

「じゃあさ!」

 サトウはまるで名演説をかますみたいに大仰に腕を振るった。

「さっきの線香花火、やっぱりやろうよ! 今からでも家に戻って、なにか火をつけられるもの持ってきてさ。アライとタカハシは、もう会えないかもしれない……、から」

 尻すぼみに小さくなっていく声量には、サトウの言葉にならない複雑な思いが含まれている気がする。ぼくは諸手を挙げて大賛成だったけど、なにか言葉を発するだけで泣いてしまいそうだったから、口をつぐんでいた。

「そうだな、そうしよう!」

 一番に賛同したのは、意外にもあれだけ渋っていたタカハシだった。タカハシにはサイタマのことだけじゃなくて、友だちのことを気遣い、心配し、ときには優先する優しいところがちゃんとある。タカハシもまたれっきとした一人の人間であり、誰がなんと言おうと、タカハシのサイタマ主義は人間の顔をしている。

「なら一旦解散しよっか。サトイモのカップも捨てたいし」

 アライが立ち上がって伸びをしているとき、ぼくはふと気になっていつもの調子で訊いてみた。

「結局、サトイモグリーンティーはおいしかった?」

「いや全然。普通に考えておいしいわけない、ヘンなとろみがあるし」

「ま、まぁそうだよね。なんか想像つく」

 アライもいつものぶっきらぼうな感じに戻っている。それがどうしてか、とても嬉しかった。あまりにもバッサリで思わず苦笑してしまったけど。

「あっ、あれ!」

 サトウがうわずった声で壁のほうを指差した。よく目を凝らすと、壁と空の境目でチラチラとなにかが光っていた。直後、ドドーン、という大きな音が空気を震わせる。

「いまの、花火だよね?」

「最後の締めの、一番大きな一発かな? ものすごい端の部分しか見えなかったけど」

「しかし見えたといえば見えたな!」

「いや、あれは『見えた』のうちに入らないでしょ……」

 ぼくたちは大して感動もせず、踵を返して歩き出す。ぼくたちには自分たちだけの花火があるからだ。だから、寂しくないし、むなしくない。


 また来年もここにみんなで集まりたいと思う。

 でもたぶん、花火はもう見えない。

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