死神の猫
十三番目
序章 始まりの死動
Prologue = ◆ ◇ =
よく晴れた日だった。
誰もが心地よく感じるうららかな日差しの中で、私の最愛はポツリと赤に染まっていた。
◇ ◇ ◇ ◇
じわじわとした湿気と、今にも降って来そうな曇天。
もう梅雨入りでもしたのか、気温も少し蒸し暑いくらいだ。
にも関わらず、私の部屋には冷んやりとした空気が
部屋にある唯一の椅子を陣取り、我が物顔で
スーツにも喪服にも思える服を着た男は、黒々とした長い髪を後ろで結えている。
あえて細められた目から
「貴女も
まず、話を聞かないっていう選択肢はないのだろうか。
いきなり現れたかと思ったら、「おめでとうございます! 厳正なる選考の結果、貴女は死神のパートナーとして選ばれました」なんて言われるのだ。
正直、立ったまま夢でも見ているのかと思った。
悪徳勧誘もびっくりの状況に、思わず言葉を失っていたところだ。
「あの……、話すとか言ってますけど、そもそも不法侵入ですよね? どこから入ったかは知りませんが、今すぐ出て行ってください」
もしや出口が分からないのかと思い、丁重に指し示してみたが、全く動く気配のない男にため息が出そうになる。
「おや、そっちは窓ですよ。ここは13階ですし、そこから帰れと言われますと、少々モラルを疑ってしまいますねぇ」
モラルのモの字もないような事をしておいて、モラルを疑いますなんてよく言えたものだ。
死神がどうとか言ってた時点で、とっくにまともじゃないとは思っていたが……。
いや、そもそも不法侵入するやつがまともなはずもなかったな。
不審者を家の中に入れておくのは危険だし、ここは正当防衛ということで窓から叩きだ……、丁重にお帰り願おう。
「とにかく、即刻お帰りください。これ以上ここから動かないのであれば警察を──」
部屋の空気が圧縮されたかのような感覚だった。
押し潰さんばかりの圧に身体が耐えられず、強制的に地面へと縫い付けられる。
地に伏した身体の上からさらに重たい圧を加えられ、肺が徐々に圧迫されていく。
上手く息を吸えない口からは、呼吸にも満たない浅い音が漏れ出ているだけだ。
「警察が……何です? 貴女まさか、警察でも呼ぶつもりだったんですか?」
椅子にゆったりと腰掛けたまま、こちらを
「これはこれは! 片腹痛いにもほどがありますよ。人間の警察を呼んだところで、いったいどうするつもりだったんです? もし、それで私をどうにかできるとほんの少しでも考えたのなら……随分と愚かで浅はかじゃないか、小娘」
底知れない闇があった。
先程まで細められていたはずの目は開かれ、こちらをじっと見つめている。
真っ暗な瞳は覗けば覗くほど、延々と落ちていってしまうような深さを感じた。
呼吸が出来ない苦痛さえ忘れ、今にも飲まれそうな意識から手を離しそうになったその時──ナニカが宙を舞った。
そのナニカはひらりと男の頭上へ舞い上がり、そのまま男の頭に向けて急速に落下した。
「この! クソ上司ー!」
鈍い音が鳴り、直後、押し潰されるような圧が一気に消え去っていく。
緩んだ身体へ流れ込んだ空気に、げほげほと咳が込み上げてきた。
球体は
「このバカ上司! 俺のパートナーを殺す気か!」
「まったく……、乱暴ですねぇ。本当に殺す気は無かったですよ。ただ、少しばかり痛い目をみたら、そのまま契約してくれないかと思っただけで」
目の前で起こっている状況に、頭が追いつかない。
彼らのやりとりを呆然と眺めていると、こちらの視線に気づいた男が助けを求めるように見つめてきた。
先ほどの底知れない雰囲気は嘘のように鳴りを潜め、目はゆるりと細められている。
初めて会った時と同じ、
しかし何故だろう。
今の私には、子供を怒らせてしまった父親が、どうしていいか分からず隣に居る母親に助けを求める時の
これにしか見えない。
そもそも、出会い頭から迷惑行為を連発してくるような相手を助けるほど、私の人間性が出来ているわけもなく。
なんなら先ほどから、脳内の悪魔たちが応援のファンファーレを鳴らしまくっているくらいだ。
天使たちも、今回の件で悪魔たちを止める気はないようで、ダンマリを決め込んでいる。
というかあのファンファーレ、多分天使たちが貸し出してるやつだ。
ちゃっかり後方支援に回っているとは、さすが私の天使たち。
抜かりがない。
まあつまるところ、私がこれから取る対応に大して変わりはないということだ。
ガン無視。これにつきる。
「そんな……、本当に出来心だったんですよ。手加減もきちんとしましたし、あんな無様に転がりながら、コロっと死にそうになってしまうとは思わず。あ、転がりながらコロっと死ぬって、何だか面白いですね」
そこの球体さん、出番です。
今すぐそいつをやっちまってください。
むしろ殺っちまうの方でも、全く、1ミリも構いません。
「むつき! 起きて平気なのか!? 怪我は? どこか痛いところはあるか!?」
謎の球体は私の側に来ると、身体の状態を確認するように周りをグルグルと飛び回っている。
「大丈夫。少し驚きはしたけど、今は別に何ともないし……」
「おや。手加減したとはいえ、あれだけのダメージを食らって平気とは。少しは見どころが有るようで、安心しましたよ」
「ほんと、どの口が言うんですかね」
「この口ですねぇ」
思わず
「しかし良かったです。こうして見る限り、あなた方の相性は問題無さそうですから。何より、誰に対しても素っ気ない態度ばかりだった彼がねぇ……」
「うるさい。俺のパートナーに近寄るな」
「おやおや、俺のパートナーだなんて。まだ契約も結んでないのに、少し気が早いんじゃないですか? それと貴方、いつまでその姿でいるつもりです。詳しい話は
なぜ契約を結ぶのが前提として進んでいるのかについては、いったん横に置いておこう。
俺のパートナーと言っていたことからも、おそらくあの球体が男と同じ死神だというのは分かっている。
ただ、こちら側の姿とはいったい──。
聞きなれない言葉の意味を問おうと視線を向けたその時、球体がいきなり破裂した。
飛び散った球体の欠片は徐々に黒ずんで行き、ドロリと溶け出したように降ってくる。
溶けた欠片が降り注ぐと、その欠片だったものたちはまるで影が伸びるかのようにスルスルと持ち上がり、何かの形を作っていく。
全てが終わった時、そこに居たのは黒いローブを
背は私よりも少し高く、ローブが首から下をすっぽりと包み込こんでいる。
首元には留め具があり、後ろ側に見えているのはフードだろうか。
全体的に見て、彼には少し大きめのサイズに感じられた。
しかし、そんな服装よりさらに目をひくのが、彼の類を見ないほどに整った容姿だった。
ちょうど少年から青年に差し掛かる時期のような、まだ
肌は白く、黒い髪と瞳がやけに
黙っていれば、人形だと言われても納得してしまうかもしれない。
それくらい美しい少年だった。
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