神崎美奈子はつかれている
月待 紫雲
ついている
神崎美奈子が名刺を渡すとき、相手の反応は大抵決まっている。困ったように眉をひそめ、こういうのだ。
「心霊、相談?」
はい、と元気よく答えれば、玄関の扉を閉められたり、怪訝そうに睨まれたり……まぁ良い顔はされない。
これだけ怪しさ満点なら、印象だけはばっちりだろう。美奈子は前向きにとらえていた。
だから夜の駅で、顔色の悪い女子高生に名刺を渡したときも、同じ考えであった。
「なーんか説明できない困りごとありませんかねぇ? 相談、診断は無料。悩みごとが解決されたときだけ報酬をいただきます、ハイ」
女性にしては低めの、けだるい話し方。胡散臭いしゃべり方だとは自覚しつつも、美奈子はその話し方をやめない。くせでやってしまうというのもある。
相手の女子高生は可愛らしい子であった。髪の長さは肩までで、茶色が少し入っている。恐らく地毛であろう。今時珍しくないが、メガネをかけていた。顔立ちは少し丸く、太っているわけでなく、幼げ見えるようなものだ。制服はどこのものかわからないが着崩している様子はなく、身だしなみは細部まできちんと整っていた。真面目な委員長だとか、地味だけど可愛い子なんていうラベルが美奈子の中で張られる。
「とはいえ、お嬢さん学生だし、一度解決したら二度と縁ないだろうから初回無料サービスとかしちゃいますよ?」
あれこれ適当なことを言って、女子高生を混乱させる。女子高生は、雪崩れ込むような情報に気が参ったらしく、こめかみをおさえていた。
「どうでしょう? なんか悩み事ないです?」
美奈子は営業スマイルを浮かべて話を止めた。
相手が「ないです」と言えば終わり。相談があれば受ける。ただそれだけだ。居酒屋の勧誘ではないのだからこちらのほうが良いというアピールの必要もない。というか競合相手なんてものは、そうそういない。
数秒間、相手は固まっていた。
「…………えっと、あります」
迷った挙句決めたのか、頭の中を整理するのに時間がかかったのか、相手は頷きながら言った。
美奈子の三白眼が、鋭く光る。
「お時間のほうよろしければ、そこらのファミレスでお話聞きますが」
「だ、大丈夫です」
久しぶりに仕事ができる。そう思った美奈子はテンションが急上昇した。
「ささっ、どうぞどうぞ。あぁ、飲み物くらい奢るんで。ホント前金とかないんで安心してくださいねぇ。契約書もないですから。面倒ですし!」
少し声が上ずっているのを自覚しつつ、美奈子は近くのファミレスへ、女子高生を連れて行った。
ファミレスに着くなり、美奈子はステーキのセットを注文した。食べ終わった後にパフェも注文するつもりでいた。女子高生のほうは、ソフトドリンクと、美奈子に押されて軽くパンケーキを頼むことになった。
美奈子はアメリカンコーヒーをそのまま、女子高生はコーラを入れてきた。
「で、困り事ってなんですか?」
うきうきで美奈子が聞くと、遠慮がちに女子高生が語り始めた。
「母がおかしいんです。最近アパートから一軒家に引っ越しをしたんです。そこから母やおかしくなって」
「具体的にはどんな感じです?」
「私が夜中にトイレに行こうとしたら、母がリビングに立ってたんです。真っ暗闇の中で、電気もつけずに。あとは、母に話しかけても、全然違う変なところ見てたり、返事がなかったり。ときどき、母じゃないみたいな、低い声を出すときもあるんです」
「それは、怖いですね」
話を聞いていると、パンケーキと遅れてステーキがやってきた。
「最初は引っ越しで母も疲れてるのかなって思ったんです。だけど」
「さすがにおかしいと?」
「はい。それになんだか、私のほうも、毎日見られてるような感じがして、気持ち悪いんです」
「それは家の中です?」
「はい」
思い出して寒気がしたのか、自分の体を抱きしめるように、女子高生は腕を組んだ。
「そうですか。ま、甘いものでも食べて、少しは疲れをいやしてください。大丈夫、お金は払うから気にしないでください」
「あ、ありがとうございます」
頭を下げて、彼女はパンケーキを食べ始める。
美奈子もステーキ肉をナイフで切って食べ始めた。口の中いっぱいにアツアツの肉汁と、和風ソースの味が広がり、舌にしみる。
「おっほ」
至福のときだった。
人目を気にせず大口を開けて、次々と肉を平らげていく。濃いめの味付けにセットのライスが進む。
そしてあっという間にステーキセットを食べ終えた。予定通り、追加でデザートのパフェを頼む。
「よ、よく食べますね」
「まぁ。カロリー消費も多いですし」
次に来たチョコパフェもぺろりと平らげる。
「ごちそうさまっと。さて、どうしましょうか」
「どうするって」
「悩み事ですよ。私が家まで行って調べるか、お話だけで、はいお終いか」
「その今からって……大丈夫ですか」
「はい、全然平気です。親の許可は取らなくても?」
「たぶん、もらえないと思うんです」
「自分で言うのもなんですが、胡散臭いですよね私」
女子高生は首を振った。
「父は夜遅くて。めったに母の様子がおかしいところを見ないんです。だから信じてもらえなくて。母は母で、覚えていないみたいで」
「お嬢さんしか異常な現象を知らないから、家族はお嬢さんを信じて許可を出してくれないだろうってことですか」
頷かれる。そして、だから、と言葉を続けた。
「家族じゃなくて、私個人で頼もうかな、って」
小さな声だった。
きっと周りに理解が得られなくて、ひとりで悩んで心細かったのだろう。
美奈子は立ち上がって自分の胸を叩いた。
「まっかせてください」
家にたどり着くと、女子高生がカギを開けた。
「どうも失礼しますー」
「え、あ、ちょっと」
女子高生が母親と話すことも待たずに、玄関から靴を脱いで入り、リビングらしき部屋へ直行する。
扉を開けると、トイレがあった。
「あの、部屋はそっちじゃないです」
「……アッハイ」
女子高生に案内され、今度こそリビングに入る。
母親はテレビを見ていた。
「お母さん? ただいま」
女子高生が言うが、母親からは返事がない。部屋の中央にあるテーブルの前、ソファに座ってぼんやりとテレビを眺めているだけである。晩御飯はつくってあるのか、ほのかに焼き魚の匂いがした。
初っ端から様子が変である。いくらテレビに夢中でも、「おかえり」と生返事すらしないのはおかしい。映画でもドラマでもない、バラエティ番組をそこまで集中して見る理由もわからない。
もし、自分が娘で、母親に毎日こんな態度を取られたら、きっと気が狂いそうになるだろう。
「お嬢さん、ちょっと煙たいだろうけど我慢してね」
美奈子は腰に引っかけてあるマルチポーチから紙タバコが入った箱とライター、携帯灰皿を取り出した。箱をトントンと指で叩いて、タバコを出し、口に咥えた。ささっと火をつけて紫煙をくゆらせる。
「ふぅ」
煙を吐く。煙はまるで意思があるかのように、ゆらゆらと、ある方向に流れていった。
――と。
テレビが消えた。次に部屋の電気も消える。
「ひっ」
どうやら、女子高生が尻餅をついたらしく、鈍い音を立てて床がゆれた。
美奈子は冷静に視線を動かす。
暗闇に灯ったタバコの火が、煙の流れていった方向へ走る。
いた。
リビングの端のところに、それはいた。黒い布のようなものを被った不気味な人影が、浮かんでいる。枝垂れ桜のように頭を垂れているが、こちらを見下ろすように大きい。少なくとも、体を伸ばせば二メートルは超えるだろう。そんな影が、いた。
「お嬢さん、じっとしててください」
女子高生に声をかけ、美奈子は影に歩み寄る。
心霊相談と名乗っているものの、美奈子には霊能力者ではない。身を守る術やいわゆる幽霊を退ける術は知ってはいるが、除霊や浄霊の類はできない。そんな美奈子は、影が何であるか理解する力も、霊を打ち倒す力も皆無であった。
では、美奈子は何ができるか、であるが、何もできない。
美奈子は影があった空間を指さし、口を開いた。
「じゃ、よろしく」
美奈子は何もしない。「やらせる」のである。
次の瞬間、家全体が震えだした。地震が起きたように、あちこちがガタガタと揺れ、騒ぎ出す。
女子高生は悲鳴を上げた。話を聞く限り、今まではこんなことはなかったであろうから、無理もないだろう。
勝手に扉が開き、ドアノブが壁に叩きつけられる。バタバタと階段を駆け上がるのか、転げ落ちるのかわからない音が響く。天井がミシリと音を立てる。
有り体に言ってしまえば、ラップ音やポルターガイスト現象だ。
けたたましい音の連続に、美奈子は気だるげに耳を塞ぐ。
「だ、大丈夫なんですか!」
女子高生が不安げに叫んだ。
「あー平気ですよ。悪霊同士で潰し合いさせてるだけですから」
「悪霊、同士……?」
美奈子は暇つぶしに女子高生に説明した。
「私ね、めっちゃ強い悪霊に憑りつかれてるらしいんですが、好都合なことに人間に危害加えないらしいんすよね。同じ悪霊に襲われそうになったり、例えば殺人犯に殺されそうになったりとかしたら迎撃してくれるんですけど」
「それって、凄い危ないんじゃぁ……」
引き気味の声が聞こえる。とんでもないやつに任せてしまったと思われているかもしれない。
「いやぁ大丈夫っすよ。ウチの悪霊、百戦錬磨なんで。それとも私が怖いです? 一応霊能力者からお墨付きもらってるんで、害がないのは保証しますよ」
そのうち、「バキ」や「ボキ」といった、家から鳴るとは思えない、異常な音が鳴り始めた。できた泡が順々に弾けていくように、小刻みに響く。
やがて音が薄まっていき、最後には無音になる。
――そして、電気が点いた。
明るい部屋で、テレビが笑い声を流す。母親はソファに横になって眠っているようだった。
女子高生は今にも泣きそうな顔で、床に座り込んでいる。
「お、終わったの……」
「ハイ、終わりましたね」
女子高生の顔はすっかり青ざめていた。美奈子をまるでバケモノであるかのように見上げている。今日のことがトラウマになるかもしれないと思うと、少し申し訳なく感じた。感じただけだが。
煙を吐く。煙は美奈子の周りに広がるだけで、さっきのような、意思のある動きはしなかった。
タバコを携帯灰皿に入れ、マルチポーチにしまう。
「じゃ、私はこれで。一週間後、お金払う気になったら同じ時間、同じ駅で会いましょうね」
仕事は終わったとばかりに、美奈子は女子高生の家を出ていった。
家を出てしばらく歩いて、美奈子は歩みを止める。周りを確認して、頭をかいた。
「道、わかんないや」
その夜は、迷子になった。
一週間後、同じ駅であの女子高生と出会った。
「この間はありがとうございました。おかげさまで普通の日々を送れています」
頭を下げられ、「仕事なんで」と首を振った。
「それでお金のほうなんですけど」
「払う気になってくれました?」
「はい」
頷く。心なしか顔色が以前より良くなっているようだった。表情も少し明るくなっている。
「でも、そんなにはお金ないんですけど。親にはやっぱりうまく説明できなくて……」
「あぁ、大丈夫です大丈夫です。三千円くらいでいいので」
「ほ、本当ですか。こういうのって高いんじゃ」
「正式なお仕事じゃないもんで、いいっすよ」
女子高生は戸惑いつつも自分の財布から三千円を出し、美奈子に渡す。美奈子はお金を受け取ると、
「確かに。では、またのご利用、ございませんようお祈りしております」
そう、笑顔で締めくくった。
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