かみさまの庭で育っていく一輪の蓮

片葉 彩愛沙

第1話 出産

 ある嵐の晩のこと。

 山奥にある寺で、ひとりの男が布団の上で苦しんでいた。彼の黒い短髪は水を被ったようにびっしょりとしている。

 男の齢は二十代後半で、名前は様大ようだい

 強い風で木製の戸がガタンガタンと音を立て、様大の少し荒くなっている呼吸はかき消される。

 様大は布団をはがして、足を崩していた。左足首は曲がっており、爪も歪んでいる。痩せ型でありながらがっしりとした上半身を、細く長い腕で支えながら天井を見上げている。身長は二メートルもあり、全身に刺青が刻まれている。体の線をなぞっていくと、その腹だけが不自然に膨らんでいる。


 食べすぎか? それとも飲みすぎか? はたまた腫瘍か何かができているのか?

「ああ、くそっ……」

 もうひとつの可能性に様大自身も気付いてはいたが、その可能性だけはないだろうと決め込んでいた。


 ただ、時間が経てば経つほど、その可能性しか考えられない状況になっていた。


 普段はきりっとした眉毛が、苦痛に歪む。食いしばられた口が時折、酸素を取り込むために大きく開き、スプリットタンを覗かせる。

 やがて様大の作務衣に大きな染みができると、その染みが布団にも広がっていく。

 濡れてしまった作務衣を脱ぐ。決して漏らしてしまったわけではない。これは明らかに破水だった。

「まじかよ……」

 様大がそう呟いて、ふぅ……と息を吐いた次の瞬間。

 新たな命がそこから生まれ出たのだった。

 あまり痛みはなかったが、目の前にある命と実際に自分が子を孕んでいた事実に様大は呆けていた。覚えがないわけではないが、いまだに夢でも見ているような感覚が抜けない。


 とにかくこの赤子をどうにかしないと、と様大は赤子を抱きかかえた。

 赤子の伸びるへその緒をまじまじと見ていると、それがへその緒ではないことに気が付いた。手にとってよく見てみると、それは赤子の頭から生えている黒くて長い髪の毛だった。まるで蛇のようだ。

 自分の胎内と赤子の髪の毛がつながっているのではないかと一瞬不安になったが、中へと続いている赤子の髪の毛を引っ張るとすんなりと毛先が出てきた。髪の毛は赤子を一周するくらいに長く、まるで髪で守られているかのようだった。

 慌てて産湯を使わせて、バスタオルで赤子をくるむ。

「ええと、あとは……」

 必死に頭を働かせて、何をすべきか様大は考える。


 あれこれ用意して、一段落したとき、赤子の様子がおかしいことに気付いた。体が大きくなっている。それに、先ほどまではくちゃっとした顔をしていたはずなのに、はっきりとした顔立ちになっていた。たったの数時間で、赤子は成長していたのだ。二歳くらいだろうか。

(俺は夢でも見ているのか?)

 腕の中で温かいものをあやしながら、頭の中で考えていた。こんなことはあり得ない。何が何だかわからない。赤子はキラキラしたまんまるな瞳で、こちらを見つめている。この温かさと柔らかさは本物なのだ。


 結局、その日から様大はその赤子を受け入れ、育てることにした。こんな判断は、普通ならできない。陣痛の疲労で、頭がどうかしていたのかもしれない。もともと子どもを求めていたわけでもなかった。予想だにしていなかった出来事である。

 それでも、今しがた間違いなく自分から生まれてきた我が子に愛おしさを感じざるを得なかった。

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