第52話 奴らの行方
踏み入れた校舎の中は、あまりにも静かだった。
静かすぎて、足音が木霊する。静寂で、沈黙で、それでいて不気味。心霊スポット......確かに納得だ。
でも、そういった空気とは別に、明らかな異物が混じっている。
外見からは分からなったが、中の空気感は完全に化け物の巣そのものだった。
「なんなんだよ、この感じは」
校舎に入り、2階に上った俺は苦い顔で口にする。
気分が悪い。吐き気もある。正気は保つだけで精一杯。人間がいられる感覚じゃない。
「宙を漂ってる奴らのぐちゃぐちゃした魔力が濃すぎるのよ。それはもう体調に影響が出るくらいの濃度。私は体内魔力を調整してるから幾分かマシになってるけど、南くんにとっては毒以外の何物でもない。こればかりは正直どうしようもない。だから、ここは耐えて」
そう言う冴島さんは、当然のように平然だ。顔色は一切変わっていない。流石魔術師っといったところだ。
......でも、
「耐えてって......」
無茶なことを言う。
気を抜いたら嘔吐。一歩間違えれば発狂。集中が切れたら気絶。
歩くだけでも精一杯なこの状態で、根性で耐えろ、か......
「まったく。やるっきゃない、か」
溜まる唾液を飲み込み、何もかも全てを奥へと押し込む。冴島さんがやれって言うのなら、やるしかない。
俺達は校舎内の部屋を一部屋ずつ見て回る。
月明かりは差し込まない。校舎窓からは暗闇のみ。
しかし目が慣れたのか、暗闇の中は辛うじて視認することができた。
校舎内の部屋–––––––かつて教室と呼ばれていた部屋の中には、当時の遺物が埃を被って残っていた。
黒板、教卓、机と椅子。過去の時代に取り残されたとは言えども、未だに使えそうなものばかりだった。
けれど–––––––
「......いない」
あるのはそれだけだった。
「ここにもいない」
俺達が探している奴らの姿。
「ここも」
その醜い姿が、
「ここも」
どこにも、
「–––––––見当たらない」
校舎2階の最後の部屋。
中を目にするけれど何も無し。
俺と冴島さんは、その現状に不思議と不気味と違和感を覚えざるを得なかった。
「どういうこと? いるのは確かな筈なのに、どの教室も伽藍洞じゃないっ」
文句のように冴島さんは口にする。
「数も数だし、隠れられる場所だって無いのに。3階が奴らが固まってるとも考えにくい。かといって、冴島さんの見立てが間違っているとも考えにくいし」
開いた戸を握りしめる冴島さん。
顎に手を当てて分からないなりに考察する俺。
両者明らかに、今の状況に戸惑っている。
あり得ない......あまりにも不可思議すぎる。
「でも......確認しないわけにはいかない。南くん、このまま上の階も調べるよ」
冴島さんはそう言うと、階段に向かって歩き出す。
当然、俺もそれについていく。
そして、3階に上がった俺達は先程と同様に敵の捜索をした。
あらゆる部屋を徹底的に確かめ、隠れられるところが無いのかも細かく調べた。
でも、成果は無かった。奴らの影も、痕跡も、何も無かったのだ。
「不思議......あまりにも不思議」
廊下の真ん中に立ち、腕を組んで考え込む冴島さん。
眉間にはシワ。俯きながら、思考に思考を重ねている。
「ここにも隠れられそうな所はどこにもなかった。どうする? 最後はもう屋上しかないんだけど?」
俺の問いに、彼女は「いいえ」と首を横に振る。
「どうせ屋上にもいないでしょうね。行ったところで無意味だと思う」
「じゃあ、敵はここにいないってことになるぞ?」
「だとしたらこの魔力の説明が付かない。いることは確かな筈なのに......フゥ、ハァ、どうしてなのっ......⁈」
ガンッ、と。
苛立ちを抑えられず、彼女は傍の教室の戸を殴り飛ばす。
吹き飛ばされた戸は床に転がることなく、そのまま教室の窓へと吸い込まれていき、ガシャンと音を立てて突き破っていった。
「さ、冴島さん、気持ちは分かるけど、一応は施設なわけだし。一応器物破損に」
ガシャンという重い音の後、パリパリっと砕けるが外から響いてくる。場合によっては警察沙汰である。
「いいのいいの。どうせ神父に事後処理してもらうんだし。私に罪は一切被らないから」
「いや、そういう問題じゃ......」
神父が不憫だ......意外とあの人苦労しているのかもしれないと、今のでほんの一瞬思ってしまった。
冴島さんは再び腕を組み、考えだす。
今度は顔を下ではなく上へ。俯きではなく仰ぎであった。
......流れる沈黙の時間。
彼女は天井の一点を凝視しながら動かない。
恐らく何かしらを考えているのだろう。そう思った俺は敢えて話しかけず、そんな彼女を見守るように眺めていた。
......と、
「もしかして–––––––」
沈黙を突き破り、彼女が声を上げる。
何か気が付いたのだろうか? 俺はそんなことを聞こうと彼女に声を掛けようとする–––––––が、
「南くん、右に避けて!」
声を出すことは叶わず。
冴島さんは呟きから間髪入れずにそう叫び、俺に向けて手をかざした。
その瞬間、彼女の手の平に青白く輝く魔術陣が展開され–––––––弾丸が射出された。
「ちょっ⁈」
光を目にした瞬間、俺は倒れるように弾丸の斜線から外れる。
ビュンッと放たれ、空を駆ける魔術の弾。
一般人が喰らったら容易に骨折する魔弾。
稲妻を纏った青白い輝きは、俺の左肩を掠めるように通り過ぎていき、遥か後方にある廊下の天井に直撃した。
「グハッ!」
天井が破られると共に、ドカッと床に体を打ち付ける。
体重の乗った重々しい痛みが、右肩から手の甲にかけて響いてくる。–––––––これは、青アザのできる痛みだ。ジンジンと、後に響いてくるタイプだ。
けど、今はそれよりも–––––––
「何するんだよ冴島さん!」
無理矢理立ち上がり、目の前の暴行未遂者に抗議と非難の目を向ける。
当然、俺には意味が分からない。何故急に魔術なんか飛ばしてきたのか、さっぱりである。それに、
「–––––––」
弁明は無し。
目すら向けてこない。
俺の存在なんて忘れたかのように壊した天井を凝視している。
「冴島、さん?」
逆に心配になり、彼女の名を呼ぶ。
しかしそれでも彼女は瞳を動かさない。
冴島さんは俺に目を向けることなく、
「あれを見て」
と、天井を見るように促してきた。
天井を? 一体何が?
疑問と違和感を抱きながら、言われた通りに視線を天井へと向ける。
天井は魔弾の激突により砕かれ、破壊され、えぐられていた。
バラバラになった天井板は床に散乱し、埃のカーテンが宙に引かれている。
–––––––しかし、その中に、明らかに醜い、肉があった。
ぽっかりと空いた天井の穴。
その暗闇の中で、ひょいっと、赤い頭がこちらを覗いていた。
黒くて長い髪を床に向けて垂らし、唾液を口周りにべっとりと。
真っ白い眼は、俺達を完全に捕えていた。
「–––––––」
背筋が凍る。
緊張が走る。
同時に、理解する。
–––––––奴らは、隠れていた。それも、天井の中に。
そして、ぞろぞろ......ぞろぞろと。蟻のように、ぞろぞろと。
穴から、敵が溢れ出てくる。
1体1体、順番に。出てきては廊下床に踊り落ち、矛先を俺達へと向けてくる。
–––––––その数、10体以上。
白色が多かった廊下は、一気に赤一色に染まり果てた。俺からしてみれば、悪夢である。
–––––––しかし、それだけではなかった。
「–––––––ッ⁈」
咄嗟に後ろを振り返る。
背後の廊下には何も無い。いや、まだ何も無い。
廊下先–––––––階段の方から、ペチペチグチャグチャと、肌を打ち付けるような無数の音が近づいてきている。恐らく音源は下の階からだ。
「......そういうこと」
ふと、冴島さんが呟く。何か理解したような口調だ。
「そういうことっ、て?」
「ここの奴ら、私達が3階まで上がってくるのを待ってたのよ。あえて招き入れて、奥の奥まで引き入れる。そうして獲物である私達が3階まで来たら、こうやって挟み撃ち。絶対に逃げられないように、確実に喰い殺せるように。......無駄に賢いが故の姑息な手段、ね」
なんだよ、それ。
そうなると今いる3階はそうだけど、この下の2階と1階はもう、天井裏に隠れていた敵で埋め尽くされているってことじゃないか。
絶望。加えて希望の消失。
ブルブルと手は痙攣を始め、危険を訴えてくる。
–––––––このままだと終わる。
–––––––このままだと喰われる。
–––––––このままだと死ぬ。
脳はそう言ってくる。
理性に似た本能が、胸の中で暴れ出す。
「......それじゃあ、もう逃げ場は–––––––」
辛うじて声が出る。
それも逃げ腰。声は救いを求めるようなものでもあった。
しかし、当の冴島さんは–––––––まったく動じてなかった。
「勘違いしないで。最初から私に逃げるって選択肢は無い。数が多かろうが少なかろうが、皆殺しにする。できなくても、私はやる。けど–––––––」
言いかけて、冴島さんは横に並ぶ俺に真っすぐと体を向ける。
分厚い雲に隠れていた月が、顔を出す。
遮られていた光が窓ガラスを貫通し、差し込む。
そして、狂うことを知らない赤い瞳を照らし、震えていた俺の心を突き刺す。
「それには、君の力が必要不可欠。殺しきるためにも、生き残るためにも、君のその超能力の助けが欲しい」
優しく、力強く。
赤髪の彼女は懇願を告げてくる。
彼女は言い終わると、正面を45°左へ。
階段から這い上がってくるであろう無数の赤い化け物を見据える。
–––––––そして、顔を向けることなく一言。
「正面は任せるよ。多分階段側の方がキツイだろうから、私がやる。だから君は安心して私に背中を預けて欲しい。それと–––––––背中は預けた」
ニヤッと。
ずっと険しかった顔は、少しだけ緩み、微笑みを浮かべた。
それはとても美しく、同時に頼もしい光であった。
「......」
俺は答えることなく彼女の背後に背中を持っていく。
ポケットの中には、まだ得物が残っている。握って取り出して、ジリリと刃を生やす。
–––––––同じように一言。
「......ああ、後ろは頼んだ。数が多すぎるのは勘弁だからな。でも–––––––その背中、預からせてもらう」
「–––––––」
返事は無い。
聞こえていたのかも分からない。
けれど、背中から熱は伝わってくる。
なら......大丈夫だ。それなら、多分やれる。
恐怖で脚は竦むけど、
恐怖で震えが止まらないけど、
恐怖で気分も悪いけど、
俺は、この人の為になら–––––––死んでもいい。
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