第28話 終わりの空

"……"


 死の眼前に躍り出る弱者

 白い怪物は笑っている。2メートルを超える巨体で、俺を見下す。

 動くこともない。いや、そもそも動く必要がない。

 何せ、俺の背後からは魔法陣の壁を突破してきた触手の群れが迫ってきている。

 故に不動。だがやはり警戒されてはいるものの、危険視はされていないらしい。


「–––––––」


 –––––––なら、やれる。

 確信する。

 俺達が勝利し、怪物を殺せる、あらゆる条件は既に揃っている。


 1つ。俺は今、警戒されることなく怪物の眼前に立っている。

 2つ。ここは能力を数回だけ使うことのできるギリギリの範囲内。

 3つ。標的は今、勝利を確信し、究極に油断している。


 この3つの条件。

 確実に敵を殺せる最低で最上の条件。

 作戦前に冴島さんに提示された条件。


 油断せず、気を抜かず、神経を研ぎ澄まし、確信を確実にすれば、怪物の首は飛ばせる。

 だから、まずは–––––––


「ッ!」


 バッと。獲物であった俺は、背後に迫る狩人達を凝視する。


 主人である怪物と同じように、不気味にケラケラと笑っている触手達。

 彼らは束となって、異様な速さで俺を狙ってきている。


「とりあえず–––––––」


 急速で近づく触手らの前へ片手をかざす。

 そして、見えているようで見えない空間を掴むイメージを創り出す。


「お前らが–––––––」


 脳内で触手らを……いや、触手らを内包した空間を鷲掴む。

 固定し、確定されるイメージ。体の動きと連動させているので、想像するのも容易である。

 そして、現実と空想でガッシリと掴んだ空間を時計回りに–––––––


「–––––––邪魔だ!」


 グッシャリと、捻った。


"ギィャァァァァァ"


 無人の町に響く雷鳴が如き断末魔。

 花火のように宙で鮮血が散る。

 痛みを知らず、敗北を知らず、恐怖を知らず。

 そんな触手らの体は、小さな小さな俺という下等な存在の手の前で、空間ごと捻じられてしまっていた。

 もはやその様はそこら辺に転がっている肉塊と変わらない。バラバラだった8本の触手は、捻じられた影響で体が1つ結ばれてしまっている。


「–––––––」


 一先ず前座から。目障りだった奴らの処理を終える。

 脳は、イタイ。


 だが、1つ終わったらすぐに次だ。

 今度は本命。仕留めるべき本来の敵。

 俺は背後に向けていた視線を正面に戻し、そびえ立つ白い怪物を見上げる。


"ア……ァ–––––––⁈⁈"


 そこには先程まで存在していた圧倒的強者の姿はなかった。

 より正確に言うとするならば、顔にこべりついていた不気味な笑顔が消えていた。

 初めて見る表情。待ち望んでいた表情。

 怪物の顔は、恐怖の色に染まってしまっていた。

 釣り上がっていた口角は静まり、歯をカチカチと鳴らしながら震え上がっている。


 恐らくだが、白い怪物は今初めて死を予感している。

 自身の身を傷付けられる恐怖、なんて生ぬるいものではない。

 本当に命が終わるかもしれない極限な状況。そんな初めての恐ろしい生死体験。

 俺も大概だが、そんなものを前にして、まともでいられるわけがない。


"–––––––い、イイイ⁉︎"


 怪物は素速くバックステップで逃げ出そうと試んだ。

 背中の付け根から使い物にならなくなった触手を切り離し、身軽になった形態で俺から距離を取ろうとする。


 が–––––––俺はそれを許さない。

 確かに、逃げ出そうとする奴を捕まえるなんてことはできない。

 人間を軽く凌駕する力を有している異形。そんな存在を、非力で軟弱な人間が捕まえられる筈はない。

 けど–––––––俺は例外だ。


 退避行動をし、ちょうど後方へのジャンプを始めた白い怪物に対し、俺は手をかざす。

 細い筋肉。

 短い腕。

 か弱い手の平。

 こんなもので怪物は止められない。

 故に–––––––掴む。その空間を。奴を内包する空間そのものを。

 そして–––––––


「ッ!」


 思い切り引っ張り、引き寄せる。

 –––––––頭は、クルウ。


"–––––––⁉︎"


 宙から勢いよく俺へと引き寄せられる怪物。

 空中での踏ん張りは効かない。

 落下するように、無抵抗に、謎の力によって動かされたその顔は、恐怖のあまり泣いているように見える。


「–––––––」


 無抵抗に接近する怪物を前に、俺は刀を両手で構える。

 ギュッ、と。柄を締め壊れるくらい握りしめる。

 脚を大きく横へと開き、地面に縫い付ける。

 剣先は後方斜め下へ。横一線、斬り上げる構えだ。

 –––––––当然、俺には型なんて無い。

 戦闘経験も、戦闘技術も、ポテンシャルもない。

 故に我流。それどころか素人流。プロに見せれば嘲笑ものだろう。

 けど、俺にそんなものはいらない。

 必要なのは、覚悟、信念、怨念の類。要は心だ。

 それさえあれば、やれる。俺には、手に余る力があるのだから。


 だから–––––––


「ッ–––––––」


 呼吸を止める。

 心を鎮める。

 意識を合致させる。

 細胞の隅々にまで神経を通わせる。

 目の前には宙から引き寄せられる白い怪物。

 狙うは首。一線、一刀、一撃必殺。

 もはや、脳の心配などしない。後悔も、不安も、恐怖も、全ては覚悟の海へと投げ捨てた。

 あとは、奴を、殺すのみ……


「–––––––ッ!!!」


 –––––––そして、眼前に躍り出る白い怪物。

 –––––––そして、恥を捨て恐怖する白い顔。

 –––––––そして、視覚が捕らえる白い首筋。


 そんな目の前の獲物を前にして、

 俺は思い切り、

 刀を横に振った……


 瞬間、血が弾けた。

 ボトリと、重い何かが地に落ちる。

 空に鮮血が噴く。噴水のように首の断面から放たれた赤い液は、飛沫となって俺に降り注ぐ。

 やがて、バタンと。首を失った巨大な質量が、地にその身を倒した。




「……」


 頭が縺舌■繧?$縺。繧?↓螢翫l繧。

 とても、痛迢ゅ≧縲∵ー玲戟縺。謔ェ縺??∝ォ。


「–––––––」


 ュサ吶。

 醜い"豁サ鬪ク"はドロドロに溶け出し、粘性のある液体となって血の池に混ざっていく。

 刎ねた頭も同様で、頭蓋骨がもう丸見えだ。その様は気持ち悪いことこの上ない。


 でも、言えることはある……確実なことが、今、ここにはある。


「終わっ、た……」


 殺した。

 白い怪物を、俺は、今、殺した。

 つまり、もう、奴はいない。


「……」


 事実、現実、結果……それら全てが、俺の頭から体に渡って伝えられる。

 殺した。終わった。作戦成功。

 それを100パーセント認識した瞬間、俺は我慢できずその場に倒れた。

 バシャン。地面の血が服に染み込む。

 けど、もう今さらである。そんなもの、痛みと疲労の前ではどうでもよかった。


 そんな中、ふと、仰向けになって空を見上げた。


 空に星は無い。

 無人とは言え、それでも辺りの電気は付いている。

 なので空で輝く星々は、暗闇に身を隠したまま、俺を見下ろしている。

 でも、その中に、1つだけ。

 輝く星が1つ、顔を覗かせていた。


「……」


 俺はその星をしばらく眺めた。

 もはや体に力はない。

 左膝の痛みは響くし、転んだ影響で体中が痛い。

 頭痛とかはもう、お話にならないレベルだ。


 だが、そんな俺に話しかける声が1つ。


「どう? 生きてる?」


 明るく、優しい、焦がれるような声。

 守ると誓い、覚悟を示した相手。

 そんな彼女が、空を仰ぐ俺に近づき、側で立つ。


「……ああ。でも、あんたよりは生き体だ」


 吐くように言葉を返す。疲れは隠せなかった。

 そんな俺の返答に、彼女はクスッと笑う。


「よく言うよ。頭、もう限界なくせに」


「あんなメンタル強化の暗示を使った無茶な作戦に、あんなめちゃくちゃな能力な使い方とか提案されたらね。そりゃあ、こうもなるだろ?」


 軽い感じでなんとか返す。

 だが正直な話、喋ってるだけでもキツいところであった。話すも聞くも、頭に響く。

 でも……今はとりあえず、話したかった。

 彼女は気まずそうにわざと視線を逸らしながらアハハと棒笑いする。


「それはまぁ、だって、ね? 君が最初に自分から囮になるとか提案したから、覚悟決まってるなーって思って。じゃあ、そこまでの覚悟無駄にするわけにいかないしなーってね?」


 下を出し、テヘッとする。なんじゃそりゃ?


「てね? って。ていうか、その言い方だと他にもあったんじゃないか、他の作戦とか。冴島さんなら考えつかないわけなさそうなんだけどな」


「いやいやいやそんなことないって。今回は本当に厳しくて、本当にあれしか思いつかなかったんだから」


 あたふたと弁明する冴島さん。

 当然、その真意は分からない。でも……必死で、ギリギリであった、ということは伝わってくる。

 俺はそんな彼女を見て、少し目を細める。


「……まあでも、結果論ではあるけどさ、いい作戦だった。無理矢理で無茶苦茶で、脳筋でゴリ押しだったけど……運も相まってか、なんか、やれた。その……ありがとう」


 そして、感謝の意を述べる。

 口元の麻痺が始まってしまっている。喋るだけでジーンと、砂嵐のように頭に信号へと伝わる。それに、なんか妙に血の味がした。

 俺の感謝に、彼女は一瞬だけ目を丸くし、その後は優しく微笑みながら–––––––


「こちらこそ、ありがとう。南くん」


 そう、俺に告げた。

 耳元から痛みと混ざって響き渡る彼女の言葉。その喜びと興奮を胸に、俺は意識を夜闇へと落とした。




 月は、そんな俺達を、見下ろしていた。

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