第1話 夢と希望の新生活(3)

        ***


 魔法を覚え、ようやく始められたスローライフ。

 だが、この森はただ魔法が使えるというだけでスローライフを満喫できるほど容易たやすい場所ではなかった。

 この森にむ動物たち──場合により植物は、何かの間違いでひょっこり地球に現れようものなら、軍が出動して対処しなければならないほど凶悪で馬鹿げた存在であったからだ。

 この脅威との戦い──というか向こうが勝手に襲いかかってくるのだが──に、俺は何度もたたきのめされることになった。

 そんな状況で俺の助けとなったのが、神さまに施された『適応』だ。

 この能力は予想よりもずっと強力で、叩きのめされているうちに『適応』して攻撃が効かなくなってくる。

 要は我慢してさえいれば、どんな強敵相手でも最後には打ち勝てるのだ。

 もちろん、普通の奴なら大を負った時点で心がくじけ、そこであきらめてしまうことだろう。

 だが、俺の胸には不屈のスローライフ魂が宿っており、どんな困難にも挫けることはなかった。

「うおおぉぉ! 高まれ、俺のスローライフよ!」

 初めこそ弱者であった俺。

 しかし気づけば、森の獣たちをじゅうりんする強者となり、ここにきてようやくスローライフを満喫できるようになった。

「ふはははは! 圧倒的じゃないか、我がスローライフは!」

 ああ、なんという充足感であろうか。

 これがスローライフ。

 これこそがスローライフ。

 世のスローライファーたちは、こんな爽快で楽しい毎日を送っていたのか!


 そんな満ち足りたスローライフな日々のなかで、特筆すべきことがあった。

 シルという友人が一人(?)できたのだ。

 正しくはシルヴェール。

 初めて会ったときはてっきり森に住む魔女かと思った。

 なにしろこんな森の中、その格好が毛皮のかんとうとかであれば違和感など抱かないのだろうが、シルはファンタジー感たっぷりの装飾を施された、同じ布から仕立てられたとおぼしき上着とズボンという、浮くどころか超然とした姿で現れたからだ。

 長い髪は黒に近い深紫、瞳は青みのある透き通ったおん。顔立ちはたいへんな美人さんだが、無駄にぜんとしているせいでお堅く見え、近寄りがたい雰囲気を醸しだしているのがちょっと残念なところ。

 まあ実際口調も硬かったりするが、性格のほうはだいぶ穏やかで親切な奴だ。なかなかのお節介焼きでもあり、なにかと俺のことを気にかけてくれる。ちょくちょくやってきては、色々とこの世界の話を聞かせてくれたり、塩や調味料、衣類やちょっとした家具、書物など、俺の生活向上のための援助もしてくれた。

 正直、シルには感謝している。

 している……のだが、シルはちょっと困ったところもある奴だ。

 俺の名前は『けい』なのに、勝手に『ン』をつけて『ケイン』と呼んできたり、望んで森に籠もっている俺に対し、たまには森から出て世界に目を向けてみてはどうかと勧めてきたりする。

 あと、俺を珍しいオモチャかなにかと勘違いしているのではないかと疑いたくなるときも。

 三十二のオッサンだった俺を、十六の小僧にしてしまうというたちの悪い悪戯いたずらをされたときはさすがに驚いたものだ……。


『ふぁ!?』

 以前「少しは身なりも気にしろ」と贈られた鏡に映るのは、同じく贈られた異世界の服を身につけた若造の姿。

 黒髪に濃褐色の瞳、世の不条理に対する憎しみが表れでもしたかのようなねた顔立ちの、日本のどこにでもいるごく普通の少年……に戻った自分。

 あれほど自分の姿を眺め続けたことは、元の世界でもなかった。

『ふむ、お前の人相が悪いのは昔からなのか……』

『よーし、シル、今日はお前に異世界の伝統的な座り方──正座というものを教えてやろう』

 そのあと無茶苦茶説教した。


 とまあ、シルはまれにとんでもない悪戯を仕掛けてくるが、俺が一番困ったもの、それは──

「なあケイン、やはり私にはお前の言うスローライフというものがいまいち理解できないのだが……」

 そう、シルはどれだけ言葉を尽くしても、スローライフを理解してくれないのだ。

「なんでだ……。もう何度も説明しただろ?」

「ああ、聞いた。何度も」

「なんでわからないんだ? ほら、まさに俺が満喫しているこの生活そのものだろ?」

「私には致命的なかいを起こしているように思えるんだ、そこが」

「なんでだよ!?」

 まったく、こいつは本当にスローライフを理解しやがらない。

「しゃーない。じゃあ俺がさらにスローライフらしい生活をしているところを見せれば、なんとなくでも理解するだろ。つーわけで、そろそろこの場所に立派な家を建てることにする!」

「なるほど、聖域の効力も弱まってきているから安全のためにも頑丈な家を建てる、まったく正しいな。手配しようか?」

「おいおい、それじゃあスローライフじゃなくなっちまう。自分が住む家なんだから、自分で木を切り、岩を割り、そうやって資材を集めて建てなきゃ意味がないんだ。へへっ、こいつぁきのいいスローライフになるぜぇ……。わくわくしてきやがった!」

「なあ、それはもはや、ある種の開拓なのではないか……?」

「だから、スローライフだっつーの!」

 物分かりの悪い友人にあきれつつも、その日から俺は自分の城となる立派なログハウスを建てるべく──


『ギャギャギャァァ──ッ、ギリギギリリリリリィィ────ッ!』

「やかましいわこの木材! ──ぐあっ、急にビーム放つんじゃねえ! 熱いだろうが! 無駄な抵抗はやめて大人しく俺の家になれ!」

「ケイン! とれてる! 腕とれてる! とれてるぞお前ぇ!」

 森に棲む魔獣よりも攻撃的でやたらきょうじんな大樹や──


「おい! ケイン! 死ぬぞ! そろそろ死ぬ! 顔色とかすごいことになってるから! 意地になるな、今日は引け! おいって!」

「んぎぎぎぎぎぎ……ッ! 基礎……家の基礎ぉ……ッ! 適応……早く……早くぅ……ッ!」

 不用意に近づくと衰弱死する大岩など、これぞと思える建材との死闘に明け暮れる日々が続く。


 さすがにこの森でも特にヤバイ奴らだ。

 今や強者となった俺でも、わずかなすきを見せただけで容易に傷を負い、血を流し、時には手足がもげたりした。

 しかしそんな目に遭っても、俺は楽しくて仕方なかった。

 なぜなら、今の俺はかつて焦がれた夢を生き、その夢の象徴となる家を建てるために頑張っているからだ。

「すごい……世界との一体感を感じる。今までにない何か熱い一体感を。風……? なんだろう、吹いてきている、確実に、着実に、この俺のほうに……」

「おーい、ケイン、あまり物騒な威圧をまき散らすなー。魔獣が森の外にまで逃げていきかねないからー」

 シルは時折やってきては、資材集めに奔走する俺のスローライフぶりを見学した。

 そわそわと、どうも手伝いたそうな顔をしているときもあったが、自分の力だけで家を建てるという偉業を達成したかったので、お手伝いはやんわりと固辞した。

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