第一話 予算ゼロ!?(2)

   ◇◇◇


 数日後、私は書き上げた退職届を手に協会長の部屋の前に来ていた。背には私物を詰め込んだ、収納拡張済みのリュックサック。

 基礎研究課が解体となったことで業務契約上の仕事がゼロになったこともあり、引き継ぐ業務もなく、私物の回収も先ほど完了したので、あとはこの退職届を提出して去るだけだ。

 前協会長時代からお世話になった職場。

 思い入れはあった。特に前協会長のハルハマー師はたたき上げの人で、基礎研究の重要性をよくわかってくれていた。共同開発した錬成品も多い。

 ことあるごとに「ルストたち、基礎研究課の皆がこの協会のかなめだ」と、言ってくれていたのは今でも忘れられない。

 そのハルハマー師も政変の余波で左遷となってしまい、代わりに来たのが役人上がりの今の協会長だ。

 今思えば、私もあのとき辞めておけばよかったのかもしれない。

 そんなことを考えながらドアを開けようとすると、なにやら声が漏れ聞こえてくる。

「こちらが武具協会からの……」

 リハルザムの耳障りな声。

「ふん、確かに。それでは基礎研究課に回していた予算は全て武具錬成課に回しておくぞ」

 それに答える協会長の声。

「ありがとうございます! さすが協会長閣下は物事の真価をわかっていらっしゃる。お荷物だった基礎研究課解体のご英断、さすがです。これで武具錬成課から更なる成果を上げてみせましょう」

「なになに、当然の判断だ。これからも武具協会からの例の件はよろしく頼むぞ」

 その協会長の声はご満悦げだ。私は消音ぐらいしとけよ、めんどくさいところに来たなーと思いながらも、まあ辞めるしいいかとドアを強めに叩くとそのまま中へ。

「おい、誰だっ!? ──ルストか! お前の入室は許可してない! 勝手に入ってくるな」

 そう騒ぐ協会長に返事をするのも面倒だったので、無言のまま協会長の机に靴音を響かせ近づく。

 そして退職届を叩きつけるようにして置いた。

「用事はこれだけです。私、辞めますので。それでは」

 くるりと身をひるがえし、そのまま退出しようとする。そこへ耳障りなリハルザムの声。

「おい、ルストっ。なに勝手に辞めようとしているんだ! 辞められるわけないだろう!」

 私は何言ってるんだこいつ、と思いながら口を開く。

「辞められますよ。これ、私の労働契約書」

 そう言って前協会長と取り交わした契約書を取り出す。

「私の労働契約は基礎研究課に関することだけです。退職の際は基礎研究課の研究内容の引き継ぎを要するとありますが、誰かさんのおかげで、たまたま基礎研究課は解体になったので、引き継ぐこともありません。つまり即日の退職が可能です」

「雑用はどうする! 誰が俺の蒸留水を作るんだ!?」

「そんなの自分で作ってください。そもそも労働契約外の業務ですし。錬金術師なんだから、それぐらい簡単でしょ」

 私はため息をつく。

「ふん、いい厄介払いだ。リハルザム師はお前などいなくてもどうとでもなると、日頃から言っていたからな。そうだな、リハルザム師?」

 協会長がリハルザムに問いかける。

「えっ。あー、はい。まあ」

 急に歯切れが悪くなるリハルザム。

「雑用をこなしていればなんとか最低限の給与だけは出してやろうという、協会の温情もわからん奴など、要らんっ。さっさと出てけ!」

 挙動不審なリハルザムの様子も気にせず、協会長が言う。

「結構です。それでは」

 私は今度こそ、とばかりに部屋を出るとそのまま外へと向かう。

 錬金術協会の正面エントランスを足早に通る。建物から出る直前、足を止め振り返る。目に入るのは、大階段に飾られた一枚の絵画。これまで毎日一度は目にしていたそれは、錬金術師の始祖とされている人物とドラゴンの姿を描いたものだ。

「……お世話になりました」

 最後に、その絵に向かって呟くと、そのまま外へと出る。

 降り注ぐ太陽の光が、まぶしくもすがすがしい。まるで私の退職を祝福してくれているようだ。

「はぁー。退職、こんなもんか。まあ、気分はそれなりに良いかなー。さて、自室の賃貸解約も終わってるし、荷物も全部ある。このままカリーンの元に向かいますかー」

 私はリュックサックから一本のスクロールを取り出す。

 それは今回のために錬成した、騎獣を封じたスクロールだ。特に魔石を核として錬金術によって生み出される、錬成獣と呼ばれる存在をこのスクロールで出し入れすることができる。

「《展開》」

 呟いた私の手を離れ空中に浮かび上がったスクロール。自動的にくるくると広がるとその状態で固定される。

「《顕現》ヒポポ」

 手のひらをスクロールに叩きつけるようにして魔力を通す。

「ぶもーっ!」

 次の瞬間、私の目の前に現れた八本足の小型カバ。私がヒポポと名付けたその子が、うれしそうに鳴く。

「よいしょっ」

 私はヒポポの背につけたくらにまたがると、辺境を目指し出発した。


 街を出て、街道を進む。

 カリーンの開拓予定の領地、私の新しい職場はこの国の北の外れになる。

 カリーンには、すでにお世話になることを連絡済みだ。もろを上げて歓迎する、との返信があった。

「カリーンもいちいちおおだよな。私みたいな普通の錬金術師にできることなんて、たかが知れてると思うんだが。錬金術師なんてしょせん、便利屋みたいなもんだぞってハルハマー師の口癖だったな……。いや逆に辺境の開拓地だからこそ便利屋みたいに何でもそれなりにできる人員が必要か」

 私はヒポポの上で大きく伸びをする。

 リズミカルなヒポポの足音。

 春の陽気に満ちた風が気持ちいい。

 最近は雑用と、研究のために少ない予算をやりくりするのにかまけていて、外出自体が久しぶりだ。前はよく、ここら辺まで素材の採取に来ていたのだが。

 こうして外に出てみて、初めて自分があの環境でどれだけストレスを感じていたかを理解する。

「最悪、ヒポポを全力で走らせれば数日で着くし、久しぶりに素材採取でもしていくかな」

 私は街道を外れるようにヒポポに指示。素材となる薬草の群生地へとヒポポを進める。

「湖の脇の群生地、まだ残っているかな~」

 そのときだった。ヒポポが突然ぶるると鳴くと、その尻尾をパタパタ動かしはじめる。

 これは何か異変があったときの合図だ。

 私は身構えると、ヒポポに、感じた異変に慎重に近づくよう指示。

 合図の種類から、人なんかの可能性を念頭に置いておく。

 そして薬草の群生地の手前、私は倒れている人間を発見する。

「ヒポポ、周囲の警戒、よろしく!」

 ばっと鞍から下りると私は念を入れて慎重に倒れている人へと近づく。

 これが街道沿いであれば、何らかの犯罪者が怪我人を装っているわな、なんてこともあるが。こんな誰も通らない場所ではその可能性は限りなく低い。

 逆にその倒れている人が倒れる原因となった何かが、周囲に潜んでいる方が怖い。私たちが近づいたことでとっに隠れた可能性がある。

 しかし、何事もなく倒れている人のそばまで近づくことができた。

 倒れていたのは青を基調とした神官服をまとった女性だった。

「珍しい。神官騎士か。しかもこの神官服、確かふくしゅうの女神の信徒の……」

 私は呟きながら膝をつく。

 うつぶせに倒れたその人の肩に手をかけ、意識の確認をするため声をかける。

 服越しでもわかる、手のひらに伝わってくる熱。どうやら発熱しているらしい。よく見ればその透き通るような銀髪も汗でしっとりしている様子。

「意識は、なしと。そういえばこの先の薬草の群生地には解熱の薬草もあったな。この人もそれを知って? しかし、このままじゃあ気道の確保も、体の状態の確認もできないぞ。仕方ない、あおけにするか」

 私はできるだけ頭を動かさないように気をつけながら、その神官騎士を仰向けに寝かせた。

 あらわになる、その顔。

 白い肌が熱のためか赤らみ、苦痛にゆがんでいる。それでも損なわれていない美しさは、はっと目を引く。

 しかしその顔には、黒々とした入れ墨のようなものが大きく刻み込まれていた。

「これは呪いか!」

 私はそれを見て、急ぎリュックサックからスクロールを取り出す。

「《展開》」

 空中に固定されるスクロール。今回は地面に横たわる神官騎士の女性の額の真上にて、くるくるとスクロールが広がる。

「《転写開始》」

 額の上に固定されたスクロールが、光りだす。

 それは一条の光となって、横たわる神官騎士の女性の体へと降り注ぐと、頭のてっぺんから爪先に向かってゆっくりと下っていく。

 私はその様子をじっと観察する。

 爪先に光が到達したそのタイミングで、呟く。

「《示せ》」

 スクロールに文字が浮かび上がってくる。それは目の前に横たわる女性の情報。もちろん、簡易的なものにすぎない。しかし怪我等、大まかな体の状態はこれで十分見ることができる。

「やはり顔の紋は、呪いか。──緊急性は低い。ただ、位置情報が術者へと伝わってしまう系統か。この人も苦労しただろうに……」

 スクロールを下へ読み込んでいく。

「あった! 発熱の原因、毒か! 脇腹に傷ありと、そこから毒が入ったか。……特殊な毒だな。を引き起こしている。これは使い魔の生物毒か? 手持ちのポーションだと適合しない。この先の群生地の薬草で新しく作るか」

 私はそこまで読んでスクロールの展開を終了すると、リュックサックにしまい込む。

「ヒポポ! この人の護衛、よろしく!」

 私はヒポポに告げると、リュックサックから取り出した一本のポーションを片手に、群生地へと向かって駆けだした。

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