「春と修羅」の朗読

Youtubeに、女優木村多江さんの「春と修羅」の朗読がアップロードされているのですが、これが絶妙です。すばらしい。


ご興味のある方は「youtube、春と修羅、朗読」で検索すると出てきますから、試してみてください。


木村多江さんがどういう企画でこの詩を朗読されたのかは私は知らないのですが、

圧巻の出来栄えです。

木村さんが思いつきでやってみようかしら、という軽い感じの朗読でないのは確かで、周到勉強をされていることが感じられます。

音楽や画面とコラボしていますから、テレビとかレコードのディレクター、または法華経のお坊さんなどのアドバイスや指導があったのかもしれません。


私は最初にこれを聴いた時、四行目の「いちめんのいちめんの諂曲模様」とのところで、木村さんが最初はふつうに「いちめんの」、そして少し間をおいて大きく「いちめんの」と読まれるのですが、ここで、ああ、ただの朗読ではない、と察しました。

なるほど、そういうふうに読むものなのか、と膝を叩いてしまいました。


それから、「どこで啼くその春の鳥」では、彼が「春の鳥」を捜しているように。

前半は凄みのある声調ですが、後半の「喪神の森の梢から、ひらめいてとびたつからす」からは、声も音(ピアノになります)が明るくなります。

「おれを見る、その農夫」では、「本当におれが見えるのか」と切実に。 

「ZYPRESSEMしづかにゆすれ」では願いをこめて、

「あたらしくそらに息つげは」では、さらに希望が見えてきます。

そして、「いてふのこづゑまたひかり」、で、木村さんは「ひかり」のところでは、しばらく間をとり、(私の)脳裏に光が見えました。

そして、いよいよ最後の二行にはいります。


私は「まことのことばはここになく」と修羅が後悔して土に涙するところを聴いた時、

もしかして、これは阿修羅が、仏に出逢い、改心した時のことを詠んでいるのかと思いました。

木村さんの動画の画面にも、最後には興福寺の阿修羅が映りました。

「朗読力」のある朗読は、見事なものだと思いました。


ところで「阿修羅」と言いますと、私もそうですが、大抵の人は興福寺の「阿修羅」の像を思い浮かべると思います。でも、阿修羅はもともとは仏に逆らって闘う鬼神でした。それが、仏に会って改心し、仏を守って戦う「八人衆」のひとりになったのです。ですから、こんなにかわいい阿修羅は興福寺くらいで、他の阿修羅はこわい顔をしています。


どうしてこの興福寺の阿修羅がこんな美少年なのか、私はいつも不思議に思っていたのですが、Youtubeで「NHKカルチャーラジオ」を聴いた時に、その意味がわかったように思いました。

そのことを書いた記憶がありますので、それについてはいつかアップしてみたいと思います。

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