第8話はじめての石川先生の指揮

放課後になった。

僕はトランペットを持って、音楽室に入った。

里香先輩は、先に来ていた。

笑顔で手招きをされたので、隣に座った。(うれしかった)

Bachのトランペットをケースから出すと、先輩たちが、寄って来た。

(すでに里香先輩から、母さんが元ペット奏者なことは、知られていた)


「吹いてみて」と、3年生の華奈先輩が言ったので、b♭の音を少し吹いた。


「きれいな、芯のある音かな」

「アンサンブルしやすいよ」

「このまま、フォルテが出ればいいね」

「響いている、唇の形もきれい」


里香先輩、敏生先輩(2年)、華奈先輩(3年)、翔太先輩(3年)がいろいろ言って来るので、音階を少し吹いた。(鬼母の特訓もあって、無難に吹けた)


里香先輩は、ますますうれしそうな顔。

基礎練習の楽譜を、譜面台に置いた。

「これ、吹ける?」

「低い音と高い音があるよ」


僕は、ためらわなかった。

(楽譜なら、ピアノで慣れているから)

大きな音ではないけれど、普通に吹いた。

低い音も、高い音も、あまり苦労はしなかった。

(先輩たちは、驚いた)

(僕は、驚く理由は、わからなかった)


トランペットパートを含め、いろんな楽器の音が鳴って、少し騒がしくなっていると、講師の石川先生が入って来た。

「さっそく、曲の練習を始めるけれど・・・」

「一年生で合奏経験者は、合奏に入って」

「そうではない人は、譜面が読めるようにになるまで、見学」


その指示があったので、僕は合奏未経験者なので、楽器はケースにしまった。

里香先輩は、小さな声で「吹いてもいいよ」と言ったけれど、石川先生の「陰険」を考えると、とても怖くて無理だった。


練習する曲は、ワーグナーのタンホイザー序曲。

静かな前半、だんだんと、いろいろな盛り上がりがある曲。(金管も活躍する)


ただ・・・聞いている限り、上手ではない。

弦が揃っていない、楽譜を追うのに懸命で、指揮棒を見ていない。

トロンボーンが有名なテーマをフォルティシモで吹き出した。

でも、ひどい。

音程もリズムも、荒いだけ。(音楽を壊している)


里香先輩とトランペットたちは、まとまっている感じ。

キチンと楽譜通りに、指揮棒と合っている。

(このパートで良かったと思う)


クラリネットの美由紀が目に入ってしまった。

(見たくはないけれど)

マジメに吹いていた。(まあ、当たり前)


途中で、石川先生が合奏を止めた。

陰険な顏、怖い顔(プルプルと怒っている感じ)だ。

「お前ら、やる気あるのか?」

(確かにヒドイ合奏とは思うけれど・・・)

(怖がらせるだけが練習ではない、と思う)


コンサートマスターの佐々木さん(3年生、男子)が、立ちあがって、先生と相談して、こっちを向いた。

「今日は、パート練習にします」

「それぞれのパートで、タンホイザーを練習してください」


石川先生は、暗い顔のまま、音楽室を出て行ってしまった。

僕は、その時思った。

「人徳」を感じない人。

でも、それは、どうでもよかった。


とにかく里香先輩の隣にいるだけで、幸せなのだから。

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